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遊ぶの定義が違った話

大学時代、「遊ぶ」と言えば京都の神社仏閣やお洒落なカフェを巡ることを指していた。たまに学生らしく遊園地に行ったり誰かの家で映画を観て飲み食いしたりもしたけれど、私たちの「遊び」は京都を中心に関西の観光名所や隠れスポットを訪れるのが主だった。

山梨で学生時代を過ごした高校の友人は、「遊ぶ」といえばもっぱら宅飲みでオールすることだったと言う。周りに何もないところだったから、それくらいしかすることがなかったそうだ。

そして今、彼女と私の「遊ぶ」はドライブに出かけて美味しいものを食べ、温泉に入ることを意味している。
何もないところだけれど、大人になった今、行動範囲はぐっと広がり、経済的な意味でも「遊び」の選択肢は増えた。

東京の人々の「遊び」はもっと幅広いのだろう。
環境が違えば、言葉の意味や定義も違ってくるということに、友人との何気ない会話で気がついた。
「遊び」は、「遊ぶ」ことは、楽しいことである。だから、たとえ選択肢が少なくても、1人でも複数人でも、その時その場所でできる、最大限の「遊び」をしていけたらと思う。


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