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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#8~北海道5日旅:3日目(1)【釧路→根室】

 釧路の朝は早い。北海道の東なのだから当然なのだが、その早い朝焼けすらまだ見えない暗い中をホテルを出る。2022年9月8日(木)今日は根室を往復したあと、一気に西に向かい、狩勝峠を越えて富良野→旭川という強行軍で、5時35分発根室行き始発の快速『はなさき』に乗る。
 乗り遅れたら大変だという強迫観念で早々に目覚めてしまったので、釧路駅には5時に着いたが、改札どころか駅建物自体が5時20分まで閉まっている。じっとしていると寒いので、駅前をあてもなく徘徊していたら、あっという間に駅舎ドア前に行列が出来ていた。よく分からないままとりあえず行列に並んでみると、地元の人が「根室まで乗るんだったら右側のボックス席が景色いいよ~」と並んでいる人に話しかけている。どうやらこの行列は駅舎オープン待ち=根室行き始発待ち、のようである。

 少し遅れて5時21分くらいにドアが開くと同時にみんな物凄い勢いで改札を駆け抜け、ホームで待つ列車に殺到する。同じようにダッシュするのは何だか気恥ずかしいので、若干小走り程度に調整して乗り込むと、既に右側ボックス席は見事に埋まっていた。左側のボックス席には少し空きがあったが、やはり地元民推奨の右側が気になったので、右側ロングシートに腰を落ち着ける。
 JRは根室本線の釧路~根室間を「花咲線」などと称して観光路線としての宣伝に力を入れているが、それにしては老朽化したキハ54形たった一両で、次の列車は2時間半後とは解せぬ。一体観光客に来て欲しいのか廃線にしてしまいたいのか良く分からない。とにかく少ない座席は満杯で、大半は鉄道ファンと観光客であった。

 列車は定刻に発車し、長い釧路川鉄橋を渡って東釧路駅に着く。ここで左側に分岐していく釧網本線に別れを告げ、一路根室に向け進んでいく。淋しい一両編成だが一応快速なので、次の停車駅厚岸までの5駅を一気に通過する。この区間はポスター映えするような湿原風景ではなく、陽もあまり差さない森林の中を走る。いわばウォーミングアップといった感じで、昨日も2回乗ったキハ54形の老兵列車は定刻6時21分に厚岸駅に到着した。

 ここからはいよいよ厚岸湖とその湖岸に広がる別寒辺牛湿原を眺望できるハイライト区間で、車内のシャッター音も次第に盛んになってくる。この厚岸湖・別寒辺牛湿原地区のラムサール条約登録面積は約5,300haで釧路湿原の総面積約16,000haの1/3を越える。観光客が多く押しかけるのは釧路湿原の方だが、釧網本線の車窓からは意外と湿原が見えない一方、こちらの根室本線は湿原のど真ん中を走り眺望は申し分ない。実際、右に左に低層湿原の絶景が広がり、タンチョウが飛び交う度に車内からは歓声があがっている。なるほど右側の方が遥かに広がる湿原と湖が美しく見えていて、地元の人のアドバイスに改めて納得した。
 厚岸から15分間湿原の中を快走した列車は6時47分に茶内駅に到着、ここで行き違いのためしばらく停車する。茶内駅のある浜中町はモンキーパンチ氏の生誕地で、ルパン三世のモニュメントや顔出し看板があって賑やかである。根室からやってきた交換列車もルパンラッピングであった。

 やがて湿原に別れを告げた列車は、草原と若干の海景色を我々に交互に示しながら浜中駅、姉別駅と走り、7時11分に厚床駅に着いた。あっとこ、とは何という素晴らしい音感であろうか。さきほどの「あっけし」も同じだが、促音であることになぜか感動する。何回目かのアイヌ語由来を調べてみると「アットゥクト~(オヒョウニレが伸びている沼)」とのことだが、オヒョウニレが分からない。更に調べてみるとオヒョウニレとは「山地にみられるニレ科の高木」とのことで、アイヌ語とは関係がなかった。
 厚床駅からはかつて標津線が北東の別海町方面に伸びていた。別海町は愛媛県と同じくらいの面積のところに11万頭の牛(人口は1万5千人)がいるとことろで、そんなところをコトコトと走っていたであろう標津線を想像してみるが、今はその歴史を記した案内板がぽつりとホームに立っているだけである。
 厚床から根室まではまだ50分もある。その半分を過ぎたあたりで、青春18きっぷのポスターでも有名な落石岬が視界に入ってくる。車窓からの距離は相当あるようで肉眼ではあまりはっきり見えず、やはりここも結局はクルマで来るしかないのかと思う。
 落石岬からはかなり離れている落石駅を出てしばらくすると花咲駅に差し掛かるが、JRは「行こう!花咲線」などと宣伝しているくせに、この花咲駅は6年前に廃駅とされてしまっている。別にこの駅まで来いと言っている訳ではないのだろうが、花咲線なのに「旧花咲駅」なのは違和感が拭えない。

 東根室駅7時57分着。終着の根室駅に向けて線路が北西にカーブしているために「日本最東端の駅」の称号を得ているこの駅では、厚床や落石から乗ってきた高校生達が一斉に下車した。地図をみると駅からすぐの場所に道立根室高校というのがある。勝手に旅情を設定しがちなこういう駅も普通に通学に使用されているんだなと思う。ちなみにここで降りてしまうとまたスケジュールが大変なことになるので、後刻また来る予定である。

 まだ暗い釧路を出てから2時間半をかけて快速『はなさき』は8時ちょうどに根室に到着した。最東端駅の名誉こそ隣駅に譲ってはいるが、稚内同様に遂にここまで来た感がこみ上げてくる。むしろ特急が走っていない分、根室の方がひとしお感慨深いかも知れぬ。
 昨日の稚内同様レンタカーを借りて、納沙布岬まで足を伸ばした。岬周辺は広大な公園として整備されていた。天気もよく、事前情報どおり貝殻島のロシアの灯台が小さく見える。比較するものでないことは承知しているが、北方領土返還という政治的要素があちこちに表出しているので、宗谷岬とは空気感が違うなぁと感じた。あちらもサハリンが見えて、大韓航空機事件慰霊碑があったりするので、まぁ同じかもしれないが。

 納沙布岬から根室市街に戻り東根室駅に行く。日本最西端の駅はJRだと佐世保駅、私鉄まで入れると松浦鉄道のたびら平戸口駅、最終的には沖縄モノレール那覇空港駅、となり中々の激戦だが、最東端はすっきりとこの東根室駅である。北方領土には鉄道がないらしいので正真正銘である。
 先ほど根室高校の生徒達で賑わっていた駅には今は私しかいない。北海道らしい板切れで作ったホームには屋根はなく、駅舎もトイレさえもない潔さで、緩やかに婉曲したレールが青い空に美しく映えている。ホームと駅前にある最東端の碑などをひとしきり写真に撮って、私はホームで意味もなく深呼吸をしてから、根室駅に戻るクルマを走らせた。

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