進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#15~さんふらわぁ僥倖旅(1)【成田→銚子→外川】
昨年12月に仙台~名古屋間の太平洋フェリーに乗ったばかりだったが、今度は茨城県の大洗から北海道に行く商船三井フェリーが就航50周年で半額キャンペーンをやるとの情報を入手し、私の心は再びフェリーモードに切り替わった。関西在住者には中々ハードルの高い航路だが、半額となれば行くしかあるまい。
2023年2月1日(水)朝一番の関西空港発ピーチで8時40分に成田空港着。前回と同じくメインはフェリーだが、前後には鉄道乗り回し計画も抜け目なく入れてある。今日は成田線で銚子に向かい、銚子電鉄を往復した後、鹿島線→鹿島臨海鉄道経由で夕刻に大洗港に到着するスケジュールとしている。
JR成田空港駅発の列車は9時5分発車で25分の余裕があるが、巨大な成田空港内は移動に時間が掛かる。しかもLCC発着スポットは空港の端っこに追いやられていて、飛行機を降りるとまずバスに乗らされ、バスを降りると延々と歩かされる。田舎じゃないんだから電車はいくらでもあるように思うが、京成に比してJRの本数は意外と少なく、この列車を逃すと銚子電鉄の予定が苦しくなってくるので、大いなる焦燥感を抱えながら駅への長い長い道程を急いだ。しかし横須賀から延々と走ってきた快速は10分延着で、折り返し発車もまた10分の遅れであった。列車の遅れは得てして好ましからざるものだが、このように有利に働く場合もあるので、一方的に憤慨するのはよろしくない。
11両という長大編成の快速逗子行きに乗り込み、京成との分岐などを眺めているうちに9時16分成田駅着。次の成田線9時41分発銚子行きには時間があるが、今回はフリーではない通常きっぷなので改札は出られない。やむなくさしたる特徴もない成田駅の構内を行ったり来たりして時間をつぶした。
成田線は総武本線の佐倉駅から成田を経由して銚子の一つ手前の松岸駅に至るいわば本線と、成田から我孫子に北上する支線が逆T字型を形作っている。今日はその横棒の半分に乗るだけで、後程乗車する鹿島線を併せても僅か1%程しか既乗区間は増えない。しかし乗りつぶしとはそういう牛歩の積み重ねである。
我孫子へ向かう支線のレールにあっさり別れを告げた列車は、森とも林ともつかぬ景色の中を淡々と東へ走る。大都市成田から僅かしか離れていないのに、もう殆どの駅が無人駅のようだ。昔の鉄道紀行などを読むと、どんな小さな駅にも駅員がいて、膨大な余裕時間に任せて花壇の手入れをしているとかいうような記載があるが、今や地方では駅員のいる駅の方が珍しく、全くもって隔世の感だなと思う。
10時11分佐原駅着。あやめと水郷が有名な街で、駅改札にも水郷巡りを宣伝する大きな暖簾がかかっている。5月くらいに来れば一番楽しめるのだろうが、今は真冬の寒風に暖簾が大きく揺れている。
地図上ではこの辺りから利根川沿いに線路が走っているように見えるが、実際には川までの距離はかなり遠く、それほど水面を見ることは出来ない。佐原の次の香取駅を出て暫くすると鹿島線が左に分かれていき、その先には利根川を越える巨大な橋梁が見える。数時間後にはまたここに舞い戻ってきてその橋梁を渡る予定なので、その時の感動に備えて、私は視線を敢えて平凡な風景の写る反対側の窓に向けた。
香取駅の次はその名もズバリの水郷という駅に着くが、中途半端な草叢の中に所在無げにポツンと立っているような駅で水郷感は殆ど感じられない。そもそも車両が209系という関東のあちこちで走っている通勤型電車で旅情感に乏しいのに加えて、頼みの綱の利根川との関係もさほど近しくないので気分があまり高揚しない。ガラス越しに差し込む陽光の効果もあって、やがて私は微睡みの中に落ちた。
総武本線と合流する松岸駅の手前付近で目が覚める。東京からの特急はみんな総武本線経由なので、ここから銚子駅までの車窓は賑やかになってくる。何本もある留置線に多くの回送列車が羽根を休め、ビジネスホテルや醤油工場の看板、左前方には大きな利根川河口に架かる銚子大橋などが見えてくる中を、漁港にあまり似合わない近郊電車は今にも止まりそうな緩々とした速度で走り、定刻10時56分に銚子駅ホームで75分の任務を終えた。
大きな醤油樽やイルカのオブジェが置いてある改札前をぶらぶらし、駅構内に勝手に住みついているネコを少々愛でてから、大きなJR線ホームの先っぽにポツンと建っているこれもオブジェのような銚子電鉄の小さな駅舎に向かう。銚子電鉄についてはいろんな人がいろんなことをいろんなところで沢山書いているので詳細は省略するが、大赤字にも関わらず、ぬれせんべいを始めとして石ころや空気まで売ってしまうあの手の子の物販や、果ては自虐映画まで作って奮闘する地方ローカル線の雄である。
11時15分発の外川行き列車は伊予鉄道のお古だが、実は伊予鉄道の更にその前は京王で走っていたという超古参で、製造は昭和37年というから61歳になる。2両編成の前方車両は昭和レトロ風の広告やポスター等で装飾されており、後方車両は恐らく伊予鉄道時代ほぼそのままの仕様のようで、どちらの車両もなんとも言えない古ぼけた味を醸し出している。
銚子を出るとすぐに隣の仲ノ町駅に着く。ここは本社もある銚子電鉄の中枢駅で、車庫見学も出来るらしいが、今日は先を急ぐので居並ぶレトロ車両達を車窓から撮影するだけに留める。なんだかいつも先を急いでいるようで、次回はゆっくり来ようと常に決意しているのだが、その決意が実現することはあまりない。やはり一期一会の精神で行くべきなのだろうか。
銚子電鉄全ての駅にはネーミングライツによる愛称が冠されている。『本銚子駅』は「上り調子 本調子 京葉東和薬品駅」、『笠上黒生駅』は「髪毛黒生駅」とセンスがいいんだか悪いんだかよく分からない愛称の駅名票を見ていると、ほっこりとした気持ちになってくるが、やはりピンチはチャンスなどではなく、ピンチはピンチなんだとも思う。
やがて海鹿島(あしかじま)という素敵な名前の駅(愛称は「足腰元気☆緩消法 海鹿島駅」)を過ぎると一瞬だけ海の見える場所がある。海のイメージ満載の銚子地方だが、銚子電鉄は殆ど森や田園の中を走る。アナウンスで「一瞬だけ海が見えます」と言われて目を凝らしていたら本当に一瞬だった。
沿線随一の観光スポット犬吠埼を有する犬吠駅で大半の乗客が降り、客は私ともう一人だけとなった。それでも与えられた義務を忠実に履行するように列車は走り、11時37分に朽ち果てそうな木造駅舎が佇む終点外川駅のホームに滑り込んだ。銚子から僅か22分、されど22分というレイドバックしたプチトリップであった。