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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#42~多事多端の北東北函館旅:2日目(2)【五所川原→津軽中里→五所川原→弘前】
相変わらず小雨が降っている。五所川原駅前にそびえ立つ高さ20mを越えるという立佞武多の巨大な格納庫は、空っぽであるが故に一層その巨大さが感じられる。祭りというものへの興味が高くない私だが、これは実物を見に来ても良いなぁと珍しく思った。
2024年11月15日(金)の昼下がり、五能線でここまでやってきた私は次は津軽鉄道に乗るのだが、その前に腹ごしらえをせねばならぬ。だだっ広い駅前広場の反対側に平屋のバスセンターがあり、「そば」という貼り紙があったので入っていくと、その中のこれまただだっ広い待合室の端っこにそば屋さんとおやき屋さんが仲良く並んでいた。
まずは簡素な造りのそば屋で天ぷらそばを食する。白っぽい津軽そばの麺に控えめなかき揚げ天ぷらが乗ったシンプルな一品は、既にストーブが点いている待合室の冷え込みの中で美味さが五臓六腑に染み渡る。そばの後は「きくちのおやき」と昭和なフォントの看板がある横のお店で白あんと黒あんのおやきを一つづつ買ってデザートにする。おやきといえば長野県のアレを思い出すが、ここのおやきはまあどら焼きである。100人近くは座れそうなベンチには5~6人しかバス待ち客はおらず、私は3席をドンと占領して、デザートタイム兼荷物整理タイムを実行した。
そろそろそば屋はランチタイム終了らしく、おやきを食べ終わる頃にはそば屋のおばちゃんがガラガラとシャッターを降ろし、淡々とおやきを焼き続けるきくちのおっちゃんの姿だけが目立っていた。
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普通に小綺麗なJR駅舎、100%昭和なバスセンターの次はいよいよ津軽鉄道の駅舎に向かう。「ここにふるさとがある」と掲げられた駅正面の表示は「津軽五所川原駅」であり、JRにはない津軽の名称をわざわざ冠しているところに断固たる矜持を感じる。
経年劣化なのか元々のデザインなのかは分からないが、うっすら茶色に変色したような平屋の駅舎は全くもって味があるとしか言いようがない。中に入ると、古めかしい石油ストーブが真ん中に置かれた待合スペースと古色蒼然たる木枠のきっぷ売り場、錆びついた丸い鉄枠の改札口、とまるでここは戦前なのかと思うが、私はスマホ限定のデジタル切符「津軽フリーパス」を使っているので、やはり今は令和らしい。
私はJR全線乗りつぶしと並行してローカル私鉄を巡って御朱印ならぬ鉄印を集める「鉄印帳」という企画にも参加していて、ここでも鉄印を貰う(というか300円で買う)のだが、最近元々の鉄印帳とは別に「東北・道南エリア版鉄印帳」なるものが売り出されている。津軽鉄道はこのエリア版にしか参加していないので、まずエリア版の鉄印帳ブックを1,650円で買わされる。なかなかに上手い商売をしよるわいと思うが、まぁ経営支援の一貫と思えば安いものかもしれない。
クリアファイルなども購入して更なる経営支援に貢献した私はJRの跨線橋を渡って津軽鉄道のホームに向かった。ホームで待っていた列車はオレンジ色のディーゼルカー「津軽21形」で、前面にも側面にも「走れメロス」という文字がデカデカと描かれている。25年程前に製造されたこの形式の車両が今の津軽鉄道の主力車両で、これだけでも十分に風情があるのだが、ホーム横には冬期のストーブ列車で使用する旧国鉄譲渡の旧型客車とそれを牽引する古ぼけたディーゼル機関車が鎮座している。そのまた横にある昭和4年製造の木造有蓋貨車「ワム5」までは一応保存車両ぽく置かれているのだが、それ以外にもラッセル車、タンク車、無蓋貨車等が留置というか半ば放置されていて、津軽鉄道の一番の見所は車窓ではなくて、この津軽五所川原駅構内なのではないかと思った。
メロスならぬ津軽中里行き気動車は14時40分に発車し、津軽平野を北に向け走り出した。天気が悪いので風光明媚という訳にはいかないが、田畑の中にぽつんと佇む十川駅、農業小屋を模したと思われる駅舎が風景に馴染む五農高前駅、と古い車両は右に左に大きく揺れながら北に向け進んでいく。嘉瀬駅にはかつてスマスマの企画で香取慎吾が描いた「落書き列車」がどんと置いてあった。平日の昼間という最も客数が少ないであろう時間帯なので、乗客は5人しかおらず、そのうち3人はどう見ても鉄道ファンである。
数少ない地元客を載せた列車は15時6分に主要駅である金木に着いた。終点までただ往復してもつまらないので、金木で少し散策するか、もう一駅先の芦野公園駅併設の駅舎カフェを訪れるか悩んでいたのだが、私はとりあえずホームに降りた。やがて反対方向からの列車が到着し、今や珍しくなったタブレット交換の光景を見ることもできた。しかしここからがどうも変な方向に進んでいく。
一旦駅舎を出てみたが雨が強くなってきたので散策は中止し、まだ止まっている列車に再度乗り込もうとしたが、デジタル切符を見た駅員さんに「この切符、金木から先は使えませんよ」と言われて凍り付く。「津軽フリーパス」という名前で勝手に全線フリーだと思っていたのだが、画面をよく見ると確かに「五所川原~金木間」と書いている。完全な見落としであった。そうなると芦野公園までの一駅の運賃も勿体ないので、散策を兼ねて歩くことにして私はメロス列車を見送った。
しかし歩き出した私はすぐに後悔した。距離的には15分程で普段であれば何ということのない距離だが、雨風がどんどん強くなってきて、おまけに重いバッグを抱えているので、真っ直ぐ前に進むことすら難しい。途中で金木最大の名所である太宰治の生家「斜陽館」の前を通るが、傘が飛ばされそうな強風で、写真一枚撮るのが精一杯である。とにかく早くコーヒーを飲みたいという気持ちを奮い立たせて雨中行軍を続けたが、びしょびしょになって辿り着いた芦野公園駅カフェの扉には「11月14日から20日まで東京出店のため臨時休業します」との貼り紙があった。
半時間程は暖かいコーヒーを飲んでゆっくり旧駅舎を堪能できるという私の期待は木っ端みじんに打ち砕かれた。ちょうど着いた頃に雨が止み始めるという更に心が折れそうになる追い打ちもあってすっかり落ち込むが、まあ済んだことは仕方がないので、少し気を取り直して、誰もいない駅舎、カフェ、ホームを徘徊し写真を撮る。五所川原方面に戻る列車のヘッドライトは小雨にキラキラと輝いていてとても綺麗だった。
16時14分芦野公園駅発の列車に乗り込む。運転席後ろの整理券発行機に蓋がされていたので、運転手さんに整理券は取らなくていいのかと尋ねると「いいですよ、降りるときにどっから乗ったか言うてもらえれば」との返答。大らかなもんである。16時25分終点津軽中里駅に到着、下車客は3人であった。
すっかり暗くなった「日本最北の私鉄、最北の駅」津軽中里駅をひととおり探索する。別の看板には「日本最北の民鉄」というのもあって、私鉄なのか民鉄なのかよく分からない。北海道には道南いさりび鉄道があるがあれは三セクだから私鉄ではないのか、札幌の路面電車はどうなのか、いやそもそもJRだって今は民間企業ではないか、などと思うが、そこはまあ措いておこう。
レールはホームの先ですぐに途切れていて、最果て感が漂っている。もう使われていない転車台も意外に綺麗なまま存在していて、これまた終着駅っぽい郷愁を醸し出していた(後刻調べてみると7年前にクラファンで復活させたとのこと)。駅舎には人形劇場が併設されていて、時間帯によっては賑わうのだろうが、今は真っ暗で駅前広場にも人っ子一人いない。まだ16時半だが、感覚的には最早23時である。
それでも窓口には年配の女性駅員さんがいて、私は金木までの切符を買った。出された切符は硬券にパンチが入れられたもので、デジタルフリーパスが全線有効だと買えなかった一物である。「もう汽車乗ってもらってもええよ~」とにこやかに言ってくれた駅員さんは窓口のカーテンを降ろして、私は再び北の最果て駅で孤独な存在となった。
17時8分に日本最北の私鉄駅を後にする。客は当然のように一人で、さすがに金木駅ではたくさん乗ってくるだろうと思っていたが、補充された乗客は僅か4人で、ほぼ空気輸送のまま津軽平野を走った列車は17時45分に津軽五所川原駅に舞い戻った。
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五所川原からは18時15分発の青森行き快速『リゾートしらかみ5号』で今夜の宿所弘前に向かう。五能線の代名詞とも言える観光列車だが、観光客はみんな途中で降りたのかガラガラで、ボックスシートも通常席もほぼ誰もいない。HB-300系というハイブリッド型気動車で真新しく綺麗だが、空いている観光列車というのは逆に虚しいものである。
巨大なりんごのオブジェとねぶたが鎮座する弘前駅に18時54分着、ここで更に客が増えて通勤通学列車に変貌した列車を見送り、私の今日の旅は終わった。