愛は哀より出でて哀より愛し 蘇我白夜・物部牡丹ペア アフター
僕の部屋には、空がある。
何よりも透き通った、青い、蒼い、碧い空が。
キャンパスの上に世界を切り取る。それが僕の、世界への向き合い方だ。
だからこそ、僕の思い出はキャンパスの上に乗せておきたい。だからこそ、僕の大切な人をこの白紙の空の上に……。
「あの……白夜様?ただ本を読んでいるだけでいいのですか?……その……もう少し何かポーズを取っていた方が」
「照れているのかい?なに、気にする事はないよ。僕が描きたいのは『君が居る世界』そのものなんだから」
僕がこういうと彼女は少しだけ俯いて恥ずかしそう文字に目を落とした。きっと手伝いをしたい気持ちが強いのだろう、ただ普段通り本を読むというのは……何もしてないと同義であると思ってしまったのかもしれない。
彼女の横顔をじっくりと眺める。まだ緊張しているのか体が強ばっているように見える。それもそうか、モデルを頼んだのはこれが初めてなのだから。
「………そのままでいいから少し耳だけ貸してくれるかな?」
「は、はい」
「僕の過去の絵はね、一枚も残っていないと君のお父さんからは聞いているね?」
「……はい、全て焼けてしまったと聴きました」
「あれ、実は嘘なんだ」
牡丹はその大きな瞳をより一層大きく見開いてこちらを振り返った。
「なぜそんな嘘を……?」
「簡単な話さ、『あれは高く売れる』らしいからね。公にしたくなかったんだ」
今自分についている価値は知っている。死後、評価される画家は沢山いるが……僕の場合は事故の後だが……そういったレッテルは作家本人に付加価値がつくのだ。
「そう……だったんですね。ではなぜその話を今?」
「……君なら、話しても良いと思ったんだ。あの空を描いた君なら」
「…………」
苛烈を極めたステラバトル。あの戦いについて覚えている限りの場面は描き起こしたが、記憶は曖昧だ。
「君は僕だ。あの頃の僕なんだよ、ただひたむきに空を目指していた僕の姿が、君に見えた。だから言ってもいいと思ったんだ。だから、だからさ──」
だから、嬉しかった。その言葉は言わずとも彼女には伝わっていると思う。彼女はずっと、僕だけを見ていてくれた。僕の空と、僕自身を。
その彼女、牡丹は僕の言葉に気になるところがあったのか、僕の顔をじっと見つめていた。何か気に障ることがあったのだろうか?と慌てて謝ろうとした時。
「……嬉しい」
一言、僕の思いに呼応したかのように発せられた、その言葉は、涙と一緒に僕の目の前に現れた。
「白夜様、やっと、笑ってくれた」
「………牡丹」
彼女の頬には涙が伝っていた。その涙は晴れ渡る空にかかる虹のように、美しかった。
「ははは、ありがとう。君のおかげだよ」
何故だかとても照れくさくなってしまった。そのくらい、今こぼれ落ちた彼女の笑顔はこれまで見てきたどんな顔より綺麗で……どんな顔よりも──好きな顔だった。
「あはははっ、ダメだなっ……これじゃあ、とても君を描けないや……」
本当に、君には敵わない。君のそんな笑顔を見ると僕は泣いてしまうから。
「大丈夫、あなたなら大丈夫です……!泣いたら、その分一緒に笑いましょう……笑って、笑って、笑い疲れて。そしたら一緒にまたキャンパスに向かい、また笑いましょう…!一緒に……」
彼女はそう言いながらハンカチを僕の頬に当ててくれた。思えば、こうやって泣くのはいつ以来なのだろうか。そして、彼女は僕の頭を抱き寄せ、子供をあやす様に背中を叩いてくれた。
「あぁ……あぁ……そうだね。もういいんだね」
今、僕の部屋には、空が居る。
何よりも透き通った、青い、蒼い、碧い空が。誰よりも深い藍い空が。
全てはきっと描けないだろう。
だからこそ、一緒に──。
「もう、泣いてもいいんだね」
描ききれない『アイ色』をこの世界に乗せよう。君と、笑いながら。