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カマガミサマ研究メモ② ほかの神様、主婦とのつながり(オシラサマ、山の神)

①はこちら

ここからは考えてはいたけどWSのメモには載せなかった部分。展示には追加しています。「越後妻有の民族」には、カマガミサマを女性が管理することから、滝沢秀一氏が女性とカマガミサマの関係について考えた一つの想像が書かれていました。滝沢氏のオシラサマと釜神様、主婦と家の神、釜神様についての想像を引き継ぎ、現代の釜神様をつくってみようとすることで、その続きを考えられないかな、というのが、私の作品「信仰の家のおはなし:カマガミサマのお茶会」の一つの出発点です。

以下メモの続き

滝沢秀一氏は、「越後妻有の民族」(pp408-412)で、余談としながらも、釜神様を「意味不明と整理してしまったことの中に、私達に伝える、何かが含まれているかもしれない」として、主に以下の2点から、主婦や女性と釜神様について想像を膨らませている。
ひとつは囲炉裏の座る位置で「カカジロ」が「ヤマジロ」ともよばれ、それが「山の神がいるところだ」という人の話から、その山の神を管理する、家に密着した巫女のような主婦の姿を想像し、さらにもう一点、東北の神様で木像の双体の神様である「オシラサマ」が「家の神であり、主婦が管理する」ということに着目した。オシラサマは「アソバセル」といって、イタコなどの巫女が両手に持って祭文を唱えながら動かすこと、それ以前はまつりの際に主婦が木像を持って神を迎えたという説があることなどから、主婦神と山の神、そして木像釜神が結びつく可能性について述べている。


私は青森に2年ほど住んでいたが、このイタコのオシラサマ遊ばせは、映像でしか見たことがない(地元の女性たちは、アソバセルっていうのがあるよ!でもあれは、お人形遊びともちょっと違うよね、なんていうんだろう。などとかなり身近な存在として話していた)。オシラサマはたしかに木像だが、布にすっぽり包まれている印象が強く、あまり釜神様と見た目の印象はにていない。他のウェブの記事などでは、アソバセルとは、起こすとか、神様と女性たちが遊んで上機嫌にさせるとか、様々言われている。「アソバセル」とは、神様が、本来あるべき神棚から降りてきて、そのエネルギーを人間相手に発散させるようなことなのかもしれないともおもった。

また、オシラサマアソバセではオシラサマの着替えをすることが儀式の一つのプロセスだそうだが、その様子を取材した下記の記事も興味深かった。



オシラサマ(複製) うぃき野郎 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=112319163による

皆で作ったご馳走を食べおわると、物言わぬオシラサマを相手に女性たちがひとりひとり胸の内を打ち明けるという時間がはじまった。それは、「オシラサマを遊ばせる」という理由で集まった女性たちが、一年に一度、心の底に溜まった澱みを吐き出し、互いを励ますというものだった。女性たちは身の上話を終えると堰を切ったように涙を流し、泣き声を上げることさえも憚ることはなかった。僕はその姿に圧倒されつつも、山間の小さな集落で封建的な古いしきたりの中で生きてきた女性たちの人生を想像した。オシラサマは、明日を生きていくために心の糧を得ようする女性たちの営みの真ん中に存在していた。
「みすず あたらしい糸に4 母性の匂い 奥山淳志 2023年12月1日」https://magazine.msz.co.jp/series/newthread/4/



ちなみに、陸前高田では、「神様アソバセ」という名目で女性たちが集まってお茶のみをする文化があったらしい。→※いちのせき市民活動センター 伝説調査ファイルNo.6「オシラサマ」https://www.center-i.org/情報紙idea/センターの自由研究/センターの自由研究-伝説調査ファイルno-6-オシラサマ/ 2024年10月13日閲覧

参考文献


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