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カマガミサマ研究メモ③ 作ってみた

前回の記事

前々回の記事で、カマガミサマを作って考えてみる、ということをWSの課題として設定してみました。研究には構成的手法というのがあるらしいです。私達も実際にカマガミサマを作ってみました。作ってみてどうだったか、感想と考察です。

こんな釜神様たちができた

床置きの6組がWS成果物

感想・考察

  • 現代風の釜神様を作ってみようと思ったけど、意外と古風な釜神様が多い。

  • 顔に漫画表現っぽいものがあるのが今風

  • 4体が合体するのも今風(発想に合体ロボアニメなどの影響が見られる)。2体じゃなくて、4体というのが、夫婦ではない、新しい家族みたいな感じでよい。

  • 余った木を持ち帰って、家で作っていろいろな人に渡したい、と言ってくれた方がいた。そうやって発展形が生まれるのはとても興味深いので、今後どうなっていくのか、ぜひ知りたい。

  • 持ち物が昔の釜神様と同じになってしまった。昆布と松は縁起物なので良いとして、問題は道具かな?と思う。この地方では仕事道具として大事なものを、神様に捧げて技量がうまくなるように願う風習があり、それにちなんで釜神様も当時の人の大事な仕事道具である鍬や鋤を持っていたはず。なにか現代風の仕事道具を持たせ技量アップを図りたいところだったが、木の枝で作れる現代風仕事道具を考えるのが難しかった。

  • 祖先のことでいうと、個人的に私が幼少の頃に亡くなった祖母が見守ってくれていたらいいなあという気持ちがあり、祖母はメガネを掛けていたので、メガネを作ったら良かったかもなあと思った。祖母は薬剤師だったらしいので、薬剤師が使うものでもありかもしれない。でも、私は薬剤師ではないから、ご利益が得られないのかな。祖先と自分が違う仕事をしている場合はどうすればよいのか。両方持たせればよいのか?

  • 釜神様を祖母を思い浮かべて作るとして、道具にメガネを作ることを考えると、祖母というリアリティみたいなものが、自分の中で高まりすぎて、飾ってたら毎日気持ちが高ぶりすぎるような気がした。でも、高ぶったほうがいいのかもしれない。遺影ってそういうものかもしれない。そういえば、実家には位牌はあるけど、遺影はない。遺影を置いたら、もしかして毎日感情高ぶっちゃうのかも。祖先が自分の後ろにいる感じがもっと感じられるのかも。遺影って、気持ちを支えてくれるものだったのかも。→このへんが、ティム・インゴルドさんがトークで話していた、祖先は後ろ医にいて消え去るのではなく眼の前にいるもので一緒に進んでいる、という感覚を持つことと、つながる気がしている。

  • 今度作るときは鍬や鋤じゃない道具を持たせて家に飾ってみて自分の気持がどう変わるか試してみたい。

  • オシラサマのように、持ち物を変えるとか、着替えなどの行事があったらどうなるのか?

  • 木を毎年切るということを考えると、それは女性がやらずに男性がしていたような感じがする。秋山郷では、日常の世話は女性だけど、更新は男性がしていたのか??はっきりとは書いていないが、書籍に掲載されている山田数雄さんのお話だと女性が木を切っていたとはあまり考えられないが、秋山郷では、同じ名前の風習でも家ごとにかなり違うので、女性が木を切った家もあったのかも?

意外と、現代風の道具が作れなかったところから、ヒントが見つかった気がする。取り急ぎ、記録まで。


せが豚コマではなく豚ロースを買えるかもしれません