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続)もしも、有り難いことが当たり前になったとしても

今年から、障がい者グループホームで働いている。
ここ自体オープンしたばかりで、若手(平均年齢26歳)が中心となって回している。福祉の経験ゼロのメンバーで、既存の考えにとらわれずに理想像を描くことができるのが強み。でも、その在り方ややり方は常に模索中だ。

今日までかなり手取り足取りで支援を行ってきた。いや、「支援」ではなかったのかもしれない。例えば、朝食・夕食は配膳までやってあげ、片付けもカウンターにお盆を返したらあとは全部スタッフがやる。

しかし、別のホームのベテランさんのお話でハッとした。
「それじゃ、人間としての質が落ちていくよ」と。

支援とは本来並走であり、おんぶに抱っこしてしまっては、その方の自立を妨げてしまう。だから、できることは積極的にやる機会を与え、必要ならそれができる環境を整えること。役割を分担すること。人の役に立つって、ほとんどの人が嬉しく感じると思う。

そして、例えばお皿洗いを「やらせてあげる」のではなく、困っていたらお互い様の精神で。そうでないと対等な関係にはなれない。


役割を分担するうえで気を付けたいなと思ったこと。
それは、その役割を果たすことがあまりにも当たり前で「ありがとう」すら無い状況にしないこと。

以前書いた記事でもこんな話をした→→もしも、有り難いことが当たり前になったとしても|seedsoilsoul さすらいの百姓|note

家族間でもそうだ。よく出てくるのは、奥さんが毎日当たり前のように家事をしているのに旦那さんはありがとうを伝えず、旦那さんが家事を「手伝った」ときに奥さんから感謝の言葉がないと不機嫌になるというエピソード。


私たちのグループホームは、ホストファミリーを目指している。役割分担が当たり前になりがちな家族という形だからこそ、お互い(スタッフ・利用者関係なく)がやっていることに注意を向け、感謝を伝える。

そうすることで、支援者・被支援者の壁は消えていくだろうし、みんなで一緒に自立していくホームができると思う。


このホストファミリーでも、もし私がいつか自分の家族を持った時も、ありがとうが溢れる空間を作っていきたい。


インスピレーション源
仲間との会話
先輩たちからの助言

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