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もしも、有り難いことが当たり前になったとしても
行く春や鳥啼き魚の目は泪
日本では桜の季節が別れの季節だが、秋が学年度の区切りであるオランダでは、夏が終わるころが別れの季節だ。
2022年9月。卒業式を終え、私と同じように留学していた同級生たちが、母国へと散り散りに帰っていく時期。仲良し同学年4人組の中では、私が一番最後に旅立つことになっていた。
3人を見送る空港行きの電車の中。私の想いを豆粒のような小さな文字でぎゅうぎゅう詰めに書き、思い出の写真を2,3枚貼ったメッセージカードを渡した。”Thank youuuu Sakiiiii”と順々にハグしてくれた。
あっという間に空港に着き、混雑しているからと、重い荷物を力の限り押し早歩きで受付の方へ去って行ってしまった。もっとぎゅぅ~っとハグしておけば良かったな...彼らにもらったプレゼントを両手に持ちながら、一人ぼっちの電車で涙をこらえた。
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思えば、留学先で出会った、インドやタンザニア、ミャンマーにルーツを持つ友達たちは、当たり前のように「今日は元気?」と私のことを気に掛けてくれて、「一口食べる?」と食事を分けてくれて、自分の用事はお構いなしに探し物に付き合ってくれた。
施すこと・分け合うことが当たり前の文化みたいだ。
ありがとう、と言わない文化があるらしい。
衝撃を受けた本に載っていたのは、マレーシアのボルネオ島に住む「プナン」という少数民族。調べてみると、ミャンマーやインドでもそういう傾向にあるとか。
施すこと・分け合うことが当たり前だから、わざわざ言わない。
逆に言うと、施しを突き返されたように感じてしまうこともある、とか。
その一方で、日本では感謝の気持ちを「ありがとう」と表す。語源的には「有り難し」つまり「滅多にない」「珍しくて貴重だ」という意味だ。
昨今の日本では「すみません」が「ありがとう」の代わりに用いられることが増えた。謙虚な気持ちの表れなのかもしれないが、あまりにも多用されて形骸化しているし、過度な申し訳なさで感謝の気持ちが伝わってこないこともある。
これでは確かに、「え、こんなに優しくしてくれるとは思っていませんでした」と皮肉交じりの驚きの表現になってしまい、「ありがとう」を言わない文化もあるのが理解できる気もする。
でもね、
もしも「有り難い」ことが当たり前になったとしても、
私は相手に「ありがとう」と伝えたいし、
どんなに当たり前のことでも、
相手の優しさに対して、素直な感謝と喜びの気持ちを持っていたい。
そして、もしも「有り難い」ことが本当にレアで、
文字通り「有り難く」なったとしても、
わざわざ私に優しさを分けてくれた相手をぎゅぅ~っと抱きしめ
幸せを心いっぱい、素直に受け取る人でありたい。
それが私なりの、心の豊かさであり、世界に優しさの種を蒔く方法だから。
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インスピレーション源:
「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」著・奥野克巳
その他 仲間との会話
オランダでの日々を思い出しながら