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鬼滅の刃 能 狂言を見に行った話。

元々歌舞伎や人形浄瑠璃、能といった伝統文化を一度は見に行ってみたいなと思いつつきっかけがなく月日が過ぎ…な折、鬼滅で能がある、ということ、最初は東京大阪のみでしたが、行った人が良かった!と絶賛している中、今度は福岡で!ということで行ってきました。

PR的には気軽に見に来ていただいて…と仰っているようですが、ちょっとでも知識はあった方が絶対より楽しめる!(RRRでの学び)ということで
こちらの本で予習していきました。

<野村萬斎 What is 狂言?>

https://www.amazon.co.jp/dp/product/4827909512/

<初めての能・狂言1>

https://www.amazon.co.jp/dp/product/4093431132/

勿論知らなくても支障はないのだけど、「道行といって、舞台を一周すればどんなに遠い所でも到着したことになる」とか、「能楽師の扇は侍にとっての刀と同じ意味合いがあり、袴を履く時は必ず腰に差す、小道具の代わりにもなり、役柄によって使う扇が違う」などは知っていた上で見た方が面白かったし、泣きの型も本で見ていたので、炭治郎がやってた時にあ!泣きの型だ!って気づけたので良かったです。(知らなくても嘆いてる感は伝わります)

ネタバレ配慮なしの上素人の個人の感想で間違いもあったり恐れ多いことを言ったりします。気分を害しても責任は持てません!
それでも大丈夫な方のみどうぞ!


上演前に若手3人(炭治郎役善逸役伊之助役)の場内アナウンス。初心者が多いことを見越して拍手をするタイミングなど教えてくれるので親切で良きです。
そのほか色々喋ってるのだけどかなりグダグダw演者さん3人がそのままかまぼこのようでとても微笑ましかったです。

●導入部


場内暗くなり鎮まり返っている中、始まりは唐突に、客席後方から現代版無惨様(浅草邂逅時の洋装)が登場。ここは事前に行った人から聞いてたので、おお!て感じ。(語彙力…)

もっと悠然と歩いてくるのかと思ったけど割と速足。
マスクもされているのでここのセリフは録音の模様。

マスクをされた状態で、舞台前まで来ると客席をじろりと一瞥するのですが、もうその目つきが怖い。怖い怖い怖い。
「私の名前は鬼舞辻無惨。…」という名乗りから始まるのですが、後に続く能の中でも、基本人物はまず名乗るのがセオリーのようなので、そこに揃えてあるのかなと思いました。

階(きざはし)は何で装飾されてるんだろうと思っていたのだけど、通常は使わない(※)階を装飾することで別物とみなして使用しているという意見を見て成程…となりました。
階を登って舞台に上がり、暗闇の中切戸口から退場。そのまま場面展開していきます。

---読まなくてもいい階+@推察ーーーーーーー
※通常は使わない、と記載してますが、横浜では舞台にひらりと飛び乗ったというのをレポで見て、演出を変えたのかな、と単純に思っていたらどうも違うようで。階を使うことは明確に禁止、としている能楽堂が多い模様。

装飾することで別物と見なすというある意味頓智を、横浜能楽堂側が許可しなかったのではないか、という考察を見ました。
舞台の高さが低いというのも見たのですが、舞台の高さって場所によって違うんですかね。決まりとかないのかな?

何故そこまで明確に『禁止』しているのか、凄く気になる所です。
それもあって階のみを写真に撮るのもご遠慮ください、とのことだったようですが、私自身はこの注意見てないのだけど、どこにあったんだろう…?
階=神聖なものとみなされているのかな?
気になるといえば皆さん鉢巻(鬘帯?)されてたけど、凄く目に近い位置にされてるんですよね。眉毛の位置。あれも場所の決まりがあるのか、そもそも鉢巻を巻く意味はなんだろう…。ググったところ、女性役がする、との記載もあったけど、女性は鬘被ってたし目に付いたのは男性ですしねえ。
何か意味があるなら知りたい…。



かなり目に近いですよね?😂
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「私の顔は青白いか…」と浅草で絡んできたチンピラに対するようなセリフを言うから怖い。この辺も、後に続く無惨様のシーンの、生に対する執着が垣間見れて原作の無惨様感、凄く出てて良かったです。

初回は正面席だったので特に感じなかったのですが、2回目、脇正面の一番端だったので正直気を抜いてたんですが、普通に無惨様と目が合った感じでビクっとした。

どこかでここまで見ないだろうと思ってたのに、気を抜いてるのを見咎められたモブ鬼の気持ちになりましたw

会場見渡すにしてもこの前方端の席で目が合ったように感じるってほんとすごい。萬斎さんのホスピタリティすご!
観客の気のゆるみすら見逃さない無惨様、怖い。(褒めてる)
多分こうゆうので萬斎さん沼にハマっていくのだろうと理解しましたw

●翁=新作儀礼『日の神』


五番立は必ず翁という祝祭儀礼から始まるらしいです。神様を主役とする能翁の代わりとしてヒノカミ神楽を配したとのこと。
炭治郎が直接炭十郎さんさんからヒノカミ神楽を受け継ぎ一緒に舞う。
橋掛りから2人が鈴のついた七支刀のような剣を捧げ持ち、すり足?という足運びで出てくるのですが、鈴が全くと言っていいほど鳴らないのが凄い!

余談ですが以前友人と鈴がついた神社のお守りを携帯につけてたら茶道やってる友人はほぼ音しないのに私はシャンシャンシャンシャン鳴ってすこぶるうるさかったので速攻取りましたw
体幹がぶれない歩き方をしたら鳴らないんですかね~😂

ヒノカミ神楽を継承するということで技名を言いながら一緒に舞ううちに、最初はずれていた動きが揃い、やがて炭十郎さんは舞うのをやめ、橋掛りまで下がり、舞い続ける炭治郎を見つめるんですが、ここの炭十郎さんが欄干に足かけてワイルドー!!!😍💖💞✨✨✨

原作の炭十郎さんはそんなことしなさそうですがワイルドでカッコいいので良いです…。ヒノカミ神楽の恰好をしてるので顔は炎と書かれた布で覆われているのだけど、近くで見てもその布穴開いてる???てわからないレベルで見えてるのか不安になるけど未来のワイルド炭治郎見た気がしてキュンキュンしてました😆
そして萬斎さん(炭十郎さん)結構な速さで後ろ向きのままスーーーーーーッと揚げ幕に消えるんです。何もないとわかっていてもあの速さで後ろ向きに進むって結構恐怖じゃないだろうかと感心しました。(トークイベレポ情報だと萬斎さん得意らしいですw)

脇正面の席からだと、ほんと大股2歩位の位置にヒノカミカグラの恰好した炭十郎さんがいるので、未来の炭治郎具現化してそこにおる感がピークに達して、私の脳内は大分脳汁分泌していたんじゃないかと思います。
カッコよかった…😍💖💞✨✨✨

●脇能=新作能『狭霧童子』


炭治郎の家族が無惨様に殺されて、禰豆子が鬼になってしまったくだりは冨岡さんの説明でさくっと割愛。
冨岡さんが鱗滝さんに手紙を送り、鱗滝さんの元に弟子入り、修行をしているところまで口上の説明で進みます。

橋掛りの端の五色の揚げ幕という所から登場人物が出てくるので、次は誰が…と思ってると大岩出てきて笑うw

大岩を相手に苦戦している炭治郎の前に錆兎と真菰が現れるのだけど、真菰が…結構ゴツイな…ってそこばっかり気になって…二次創作の真菰が最強なのとか連想してしまってちょっと笑いが…😂(ごめんなさい🙇‍♀️)
ここは演者が全員男性という能ならではでしょうか。(錆兎役の祐基さんが割とスレンダーチックだったので余計に…😂)

パンフではここに柱の謡が書かれてるんですが、こちらは第一稿とのことで本番ではありませんでした…。9本の柱に加え雷、獣、花もあり、心を燃やせもあったので、これは是非聞きたかった~!という所です…。残念…。囃子のCD出しませんか…。それに特典でつけませんか…の気持ち…。

錆兎と真菰の助けを借りて、岩を切った後、出てきた鱗滝さんの脇を錆兎と真菰が通り過ぎるのですが、パンフレットには“鱗滝は2人に気づかない”というト書きがあり切なくなりました。

修行は終わり最終選別に炭治郎を送り出す鱗滝さん。
ぴゃーっと揚げ幕から出て行った炭治郎がぴゃーっと帰ってきて「早いっ」とのけ反る鱗滝さん。多分3秒くらいしか経ってない位早くて客席も爆笑。私もここめちゃくちゃ面白くてお気に入りですwww

このシーンは橋掛りで繰り広げられる場面が多く、1回目の正面席からだと、目付柱が邪魔で見えづらい所が多かったので、2回目はめっちゃ近くで眼福でした。ひゃー!!!(喜)


●修羅能=新作能『藤襲山』


爆速で帰ってきた炭治郎の藤襲山での手鬼との戦闘の回想。
手鬼は数人で演じていらっしゃって、その分手も沢山で、なるほど~!と思いました。
手鬼の首を切る際に、炭治郎の刀から新体操のリボンのように青と白のリボンが出て水の呼吸の技を現しているのですが、そのリボンを出す瞬間を見たい!と2回目脇正面席で頑張ったのだけど目視叶わず😂

他の方のレビュー拝見したところ、手鬼の裏に回った隙に後見の方が取り付けてたとのこと。しかしそれを一切感じさせないスピードで美しかった。
リボンの色もすごく吟味されたのではと思う位、アニメで見る水の呼吸のエフェクトの青と白で✨単純だけどあの仕掛け凄いなー。萬斎さん考案らしいですね。
演出の都合上手鬼が錆兎と真菰の名前言うのだけど、なんでお前が名前知っとんねーんってそれは少し違和感ありましたw

手鬼倒した後、原作でのお兄ちゃんの事を思い出してる走馬灯を、冥府から聞こえる兄の声、などと説明がありますが、最初ここきちんと聞き取れなくて、イマイチよくわかってなかったです😂
でもちゃんと、原作通りに手鬼の手を握ってあげる炭治郎にホロリ😥

数人でやってる手鬼がひとりひとり離れて切戸口に消えていくことで手鬼の崩壊も上手く表現されていたと思います。そして手鬼の最後の一部が錆兎と真菰にくるりと早変わり。

その切り替えの見せ方がまた凄いなと。さっきまで手鬼だったのに裏でさっと用意してるんですよね。
2回目はわかっていたのもあって、しかも間近脇正面なので、あの2人今用意してるな…フフフ…と違った楽しみ方をしてました←

●狂言(その一)=新作狂言『刀鍛冶』


鋼鐵塚さんの一人狂言。演者さんは伊之助と同じ人で萬斎さんのお弟子さん?あのセリフ量と共に一人で舞台に立つって凄く緊張しそう。凄い。
トンテンカントンテンカン(鋼を打つ)
じゅ~(熱する)
あちやあちやあちやあちや
トンテンカントンテンカン(鋼を打つ)
じゅ~(熱する)
あちやあちやあちやあちや

トンテンカントンチンカン…とリズムが良くて会場は笑いに包まれてました。面白かった~。
すごくリズムが残っていて日常生活でも心の中で言ってますwww

●鬘能=新作能『白雪』


舞台にめちゃくちゃ大きい背負い箱と鱗滝さんが持っている箱と2つあるので大きいつづらと小さいつづらを連想する私…w

禰豆子が人間だった頃の夢を見ているという体で、冨岡さんの語りから入り、箱から出てきた禰豆子が舞う。禰豆子は竹枷を咥えた状態なのでセリフは一切なし。

禰豆子が舞ってる時に、顔をククク!とコマ送りのように動かす箇所があったんですが、初見の際、正面から見れたのも良かったのか、そこがすごく目について、普通に生きていたら多分ほとんど人間がしないであろう動きで、違和感が凄くて、禰豆子が異質の存在、人間ではない感がすごく伝わってきました。
ああいう舞の型?があるのかわからないのですが、凄いな~とひたすら感心。ひっそりと静かに舞ってセリフは一切ないのだけど、途中お囃子が激しくなるところもあり、それは禰豆子の家族を殺された憤りや怒りを現わしているのかなと感じました。

激しくなった調べも落ち着いていき、舞が終わるとまたひっそりと箱に戻っていく禰豆子。
なんだかすごく切ないシーンだったと思います。

パンフレットにはこんこんこやまの~の子守歌が載っていたのだけど、それはなくなってました。これも能の調べで聞いて見たかった。

<休憩>
30分あるけどトイレが混むので30分あるのは有難い。会場が結構寒いので事前に行っててもまた行きたくなる…。初日は平日で割とお客さん少な目だったのでダッシュ気味で行けば割とすぐ入れましたが、2回目は廊下もコミコミで列もすごいことになっていたので外のトイレに行きました。公園のだけどキレイでした。
トイレ待ってる間煉獄さんっぽいピアス付けてる人とかいて(概念ちっくなもの)勝手にお仲間意識を感じたりしてましたw
時間あまったらこの時点でアンケート必死に書き込んでた。配布されるミニ鉛筆がすっごく書きづらいので今後行くときはボードとペン持っていこう…。

●後半導入部


休憩後の始まりは、暗くなった橋掛りから出てくる平安無惨様…2回目は席が橋掛りのすぐ側だったので、うっかり無惨邸に忍び込んでしまった賊の気持ちになる。見つかったら殺されると思う。超怖い。とりあえず過ぎ去ってくれて舞台に行ってくれて一安心😂

自身の身の上、鬼に成った経緯。弱くてすぐそこに死があった人間だった頃の生。生きたい、生きたい、死にとうはなし…という気持ちは“死ぬかもしれない”となったら誰もが感じるだろうという思い。
原作ラストの戦いでもありましたが、「ただ生きたい」だけなんですよね、無惨様。他者に対する無慈悲具合が凄まじいから敵になってますが、鬼滅の始まりはここなんだよなあと見てて強烈に感じました。

●狂言(その二)=新作狂言『鎹烏』


烏と雀がコーカーコーカー、チュンチュンと言い合いながら、舞台を舞う。微妙な間。またコーカーコーカー、チュンチュンと言い合いながら、舞う。そのうちスズメが何か怒ってる?って感じのヂュンヂュン!!!みたいになってまた笑える。この烏は伊之助の鎹烏と善逸の鎹雀、うこぎ。

チュン太郎の認識しかなかったので、そういえば…そんな立派な名前があったんだねえって…😂原作読んでても忘れてるようなこんな場面を抽出するのも凄いですね~。

そこに後から登場する松右衛門…。これ先ほどまで無惨様やってた萬斎さんなんですよね。事前にXの鬼滅の刃 能公式ポストで無惨様から烏への早着替え見ていたのであれを今、あそこで…!と思いながら見てたw
3羽でそれぞれの苦労話しつつ酒盛。松右衛門はともかくどんぐり丸とうごきの苦労話には多分に同情する😂
「みどもはそなたの子ではない!」「みどももそなたの父ではない!」
ここ、かなり好きです🤣


●雑能=新作能『君がため』


善逸がスキップしながら登場。
あーはっはっ…いーっひっひっうーふっふっって子供の頃ふざけてやってたけどまさかプロの方がやるwwwという嬉しい驚き。

善逸は萬斎さんの息子さん裕基さんがやられてるのだけど、語り口とか間の取り方とかものすごく善逸~!!!って感じで良かったです✨✨✨
講演場所にちなんだ場所や食べ物でデートしませんか?って観客お誘いされる。軽いwww「そちらのお姉さん」から「お綺麗ですねえ~」までの間がすんごく良かったと思います😊💞すんごいデレデレしてるんだなって伝わりました!🤣

善逸伊之助はかなり口調が現代寄りで、炭治郎の決して崩されない能の喋り方と対照的で、炭治郎の頭ガチガチ真面目性格が出てる感じで面白かったです。

藤の家で休んでる善逸、炭治郎、伊之助の元に、指令が下り、那多蜘蛛山へと向かう。このまま続いて次の能へ。

●切能=新作能『累』

人がはけた舞台に出てくる人面鬼は、黒子の恰好に手のひらに人面蜘蛛の顔があり、カサカサカサ…カサカサカサ…って口で効果音🤣
一人置いて行かれた善逸が人面蜘蛛がいる山の中に恐る恐る入ってくる(=揚げ幕から出てくる)と、カサカサ音が…。この辺も橋掛りで上演される為、初回はよく見えなかったのですが、間近で見ると、人面蜘蛛がすごく原作に忠実に作られていて、造形良きでした!

あたりをはい回っていた人面蜘蛛がいつの間にか善逸の身体に…顔の位置まで‥‥‥。

ゆっくり横を見て蜘蛛と向かい合う善逸。

「こんなことあるぅううううう?!?!」って叫ぶあたりもものすごく善逸(笑)声も話し方も違和感ないの本当凄いなって思いました。

累役は人間国宝の方らしい。正直最初は若い方がやられた方が良かったのでは?と不遜なことを思ったりしたんですが、なんというか存在感が凄かった。お母さん鬼とお父さん鬼も出てきますが、累が一番強いとわかるんです。目が吸い寄せられるというか。
累はめっちゃ“能の鬼”という感じもしましたが、お父さん鬼もお母さん鬼も違和感なく、お父さん鬼は能の煌びやかな衣裳着てたけどそれもまた似合ってました。

この辺すごく忙しくて、善逸が眠って六連やったかと思いきや伊之助出てきてお父さん鬼と橋掛りで戦いだしてるの見てると舞台にはいつの間にか累がいる?!?!とか、目が2つじゃ足りませんでした…。後2つ目玉欲しかった😂

後お父さん鬼お母さん鬼の出てき方がめっちゃシビレタ!

舞台上にあった大道具?の藤の家。普通に布がかかってる部分があるのですが、その布の中にいて、灯でともされると突然ぶわっと顔が浮かび上がって見えるですよね。正面からだとそれがすごく綺麗に見えてドキッとしました。
2回目の脇正面端からだと注視しててもあまり綺麗に見えなかったので、あそこは席によって見え方勿体ないなと感じました。(しかしそれも醍醐味なのかもしれない)

首の飛ばされ方はめっちゃアナログで、舞台上にある藤の家の布に首をつっこむという単純仕様なのだけど、タイミングがドンピシャばっちりで凄かった。
アナログでこうゆう演出を考えるのも大変だろうなと。首は大槻さん自らが操っていたと何かで見ましたが、手元は手前に出てたのでそれは違うのでは?と思いますが実際どうなんだろう…🤔

首を斬られた後出てきた男女は累の父母とのことでしたが、最初は何か天女出てきたけどあれは…?と全くわかってなかったです😂
てか人間の累のお面もあることを2回目で気づく始末。最後にお父さんお母さんが累を迎えに来てくれるシーンでした😂

最初このシーン何のシーンか全くわかってなくて、流れで何故わからないのかと全く持って不甲斐なしでした😅

●エピローグ
再び舞台上には現代版無惨様。累がやられたことでお怒りモード。
正面席の時には私の血を分けてやる!と言われそっち?!(鬼側?!)と無限列車4DX乗車時の衝撃を思い出し(炭治郎の投げた刀が刺さる装置)

脇正面の時には竈門炭治郎を殺せ!って銘じられ、イヤ、推しなんで…と😂心の中で言い訳しつつ😂
どこにいても無惨様からは逃れられない感ビンビン、無惨様に始まって無惨様に終わる流れでした。素晴らしいものをありがとうございました…!👏👏👏

全体的に能の独特な発声、謡の方の上げる声が、ハーモニーの様に聞こえる場面などは、声が身体に響くというか、身体の中で小さなさざ波を起こされている感じで、私はとても心地よく感じました。

ライブとか行くと爆音で空気の振動がドン!と身体を揺らす感じがあると思うんですけど、あれが小さく、音叉の音のように身体の中で反響している感じ。
ちょっとすぴりちゅある方面になりますが、以前揺らすことが神様を喜ばす的な本を読んだことあって、唐突にその話を思い出したりしました。


私は元々2.5次元の舞台とかも抵抗ある人間だったんですが、舞台の評判が良かったのもあり無限列車の配信を見て、ちゃんとその世界に連れて行ってもらえるのが凄いなあと感心したんですよね。

機会があれば是非生で見てみたいと思いました。
同様に舞台などに抵抗ある人は、外見を極力寄せてる舞台以上に、能って違和感ありそうだし、私も見る前は短髪の冨岡さんや金髪じゃない善逸に違和感ありました。
能の独特のセリフヤ言い回しなども違和感感じることはあるかもですが、そうゆうの差し引いても面白かった。特に善逸の、客席のお姉さんナンパする所などは間の取り方などもほんと笑えて、会場ほのぼの🌸
日によって誘う内容が違う所も何度も通う人は嬉しい所だと思います。

今回演技は勿論なのですが、お囃子がとても面白くて!

特に2回目は脇正面でかなりの前席だったのもあり、楽器隊を真正面から見えるんですよね。あの鼓の横にいる楽器はものっすごく乾いた、不思議な音がするけどなんていうものなんだろうって感じていて、休憩中にロビーに飾ってある楽器を見に行って大鼓、というのを見た時に読んだ本の内容を思い出し、そういえば上映前にものっすごく汗だくで燻して乾燥させるって言ってたけどそれであの乾いた音…!と感じ入ったり、やっぱり最初にある程度の知識合った方が私は楽しめて良かったです。


「同じように見える大鼓はとにかく乾燥を好む楽器であるのに対し、小鼓は適度な湿気を必要とする為、唾液で革を湿らたり息をふきかけたりなどコンディションを整える為に最新の注意を払う」とかすこぶる大変そう。

太鼓方の方のインタビュー?で「太鼓方は待っているのが大半の仕事なので、邪魔にならず美しく座っていることも大切」という言葉にひょえええとなりました。

プロの人が行う能などとは別に地方に伝わる伝統の能・狂言などもあるそうで興味深い。寸分の隙も許されぬ能の動きをフランスの能楽研究家の方が「能は生きた彫刻である」と表現した程だそうです。

最初のヒノカミカグラの時に、照明効果も相まって薪能(薪の灯で見る能?)のような雰囲気もあったのがとても良かったです。

今回初めての能鑑賞でしたが、短い時間で五番立てにしている分、内容盛りだくさんだし、演じる方もものすごく大変だっただろうなと思いました。

改めて古典の能や、普通の狂言師なら生涯で1、2度しか上演しないという曲などもあるそうなので、そのあたりもできれば見てみたいな~。(多分上演は都会だと思いますが😅)

2回目見に行くか悩んでたけど、席別の見え方も楽しめたし、行って良かった~!
良い経験をさせてもらいました!


上の画像は本を見てあらかじめ名称などを書きこんでいたのですが、帰宅後改めて見ると脇正面の席で鼓の方々と向かい合うのおかしいな?!てクエスチョンマークになってましたが、人様のレビュー拝見すると、通常と違い謡の方と鳴り物の方々の場所が入れ替わっていたようです。
この辺も理由気になる所ですね。

また、有識者情報によると、通常の能はもう少し席のランクが細かいのに対し、今回は最後尾の席以外はS席というかなり大雑把な座席割らしく。

この辺も割と遠方から行くなら、せっかくならいい席で見たい、とか落ちまくってるけどもう中正面でもいいから見たい!とか選べるとより良かったのになあと思うなどしました。

オレンジラインの席は呼び名がわからないけど、ここも少し見にくそうですよね😢

福岡は上映日数が多かったこともあってか、平日は少し空席が目立つ日もあったので、せっかく来てくれたのにごめんなさいの気持ち…。
お財布が許せば通い詰めたい位でした。
そしてできれば続きも見てみたい。お囃子のCDも欲しいです~~~🙏🙏🙏


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