父は自殺、母はアスペ、子はうつ病2

前回の続きです。

前回までに書いた出来事を区切って、詳しく書いていこうと思います。

父の自殺について

自殺の状況

父はある県の橋で首を吊って死んでいたそうです。近くに父の車があり、その中には練炭と女性の死体があったそうです。遺書の類は出てきませんでした。ただ会社のデスクの中に数百万円と〇〇(私の名前)へと書かれた紙切れがあったそうです。遺書も何もないので確定ではありませんが、状況的に父は、バイト先の女性と無理心中もしくは心中したのが、可能性としては高いと思います。

自殺の理由

※遺書がないので憶測の域をでませんが

父と母は、仲が悪く、別居のような状態でした。もちろん会話はほぼしていませんでした。私が覚えている範囲だと私の目の前で父に母がバイトをやめるよう怒鳴りつけるような喧嘩が最後だった気がします。父は工場勤務で、月のお小遣いは2万円だったと聞いています。もちろん月2万円で生活できるわけもなく父はスナックでバイトをしていたそうです。一度母に言われてやめたらしいですが、再開していたそうです。これだけ仲悪いのにどうして離婚しないのだろうとは思いましたが、私のことを思ってのことなのかもしれないし、夫婦間の問題に首を突っ込んでいいものなのかとという思いが、私を行動させなかったことを今でも後悔しています。父はこのことを相談せず、一人で抱え込んでいたのだと思います。これは私の考えすぎなのかもしれませんが、私は父が死ぬ数ヶ月前にどこかに遊びに行きたいというわがままを言っていて、なかなか連れて行ってもらえないことが、飛び火して父が母方の祖父に説教をしていることも大きな要因の一つなのではないかと思う。※父母はでき婚で、両家の挨拶のときにいろいろあったらしく両家の仲が悪く、私の目から見て母方の祖父は父のことをあまり良く思っていないと感じた。..................とあげようと思えばもう少し出てくるが、根本にあるのは夫婦関係、両家の関係があるのだと思った。

少年革命家時代(不登校

学校関係だとうるさい母だが、この期間は母とはほとんど喋らなかった。不登校デビュー2週間は、アニメやゲームをして楽しく過ごしていたが、徐々にすべてがつまらなくなっていき、アニメ(俺つええ系とか)を見てもゲームしても面白いとは、思わなくなっていった。とにかくスマホでできる暇つぶしは、何でもやっていた。スマホゲームも多々やったが、ほぼ一日持たなかった。アニメは、感動するものが、多々あったから見続けた。あと音楽でも感動するものもあった。アニメと音楽に救われた時期だった気がする。気持ちの整理は少しついたというよりは、父のことについて与えられた情報から自分がそうであって欲しいという妄想をしただけなので立ち直りに向かっての進歩は、ほぼ無いに等しい。あとその時の担任の先生が熱血の暑苦しい先生で、一週間に1回プリントをまとめて持って来てクラスや学年で何が起きたかを話したり私の話を聞いてくれたりした。正直話し相手になってくれたのは、助かっていたと思う。人と話さないと鬱になることを実感した。暇つぶしに飢えてくると、一日中空を眺めている日もあった。その時の感想は、はっきり覚えている。それは、綺麗だ。ただの空、ただの雲が本当に綺麗に見えた。どんな絵画よりもどんな美術品よりもだ。今じゃあの感覚は思い出せないが、今後、あの時より美しい、綺麗と感じることは無いと思う。芥川龍之介も美しいもので雲をあげていた。天才と変人は紙一重という言葉の実感をすることができた。雲について長く書いてしまったが、振り返ると、この時期はやはり精神状態が、かなりおかしい状態だったのかなと思う。

書くのめんどくなったんでここらへん終わります。多分次も書きます。

追伸学校行ってないときに1回も髪を切っていませんでした。理由はよく分かりませんw

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