【創作論メモ】迷った時は、迷うことに集中してもいい
小説を書いていると、自分の書いた文章が意図通り機能しているか分からなくなったり、そもそも意図の練り上げが足りているのか不安になったり、とにかく、このまま書き進めていいのか迷う時がある。
「第一話の展開、もっと分かりやすくできないだろうか」
「キャラの立て方をもう少しやりようがあるんじゃないか」
「なんかワクワクが足りないな」
「キャラが多くてごちゃついてるな……」
こういう時、世の中の色んな創作論を見ていると、
「迷わずに書き進め、完成させた後で直せ!」
というアドバイスを多く見かける。
実際、小説の第一稿完成にどれだけ時間をかけたところで、それが作者にとってベストな最終稿にはなりえない。
よほど奇跡的にうまく書けない限りは、さらに長い時間をかけて改稿作業を行い、作品として洗練させなければならない。
それに、第一稿を完成させてからの方が修正の見通しも立てやすい。
さっさと第一稿を完成させて後から直した方が合理的。
これは紛れもない事実だ。
しかし、現在進行形で迷っている人間に「迷うな」とアドバイスすることは、正論ではあっても非現実的な処方だ。
それに、他人に言われるならともかく、自分で自分に言い聞かせて「迷わずに完成」させようとすると、最悪のパターンにハマってしまうことがある。
人間の脳は、複数のことを考えたまま突っ走ろうとしてもパフォーマンスが著しく低下してしまうように作られている。
例えば、二つの条件で100マス計算をやる。
(1)普通に100マス計算をする
(2)絶対に「バナナ」のことを考えないようにして100マス計算をする
余計な条件が付いてる(2)の方が遅くなるのはまず間違いない。
それに、人間の心理的に「バナナ」のことを本当に考えずに(2)を完遂するのもまた不可能だ。
この「バナナ」とは、書いた文章の「気になる部分」のことだ。
「とにかく完成」を目指してこの(2)の状態に入ると、最悪になる。
そもそも第一稿を早く完成させたくて突っ走ったのに、気になる部分を後でどう直すかに心を引っ張られてパフォーマンスが発揮できず、一日に書ける量が十数パーセント程度まで落ち込んだりする。
それだったら、二、三日かけてその部分を直し、本来のパフォーマンスで続きを書いた方がよほど速い。
そもそも、書いていて問題に感じた部分は、遅かれ早かれ書き直さなければならない。
だったら、それを今やったって別にいいではないか。
とは言え「ずっと迷ってていいのか?」と言われれば、それも違う。
文章書きがとらわれがちなもう一つのバナナは「生産性」だ。
「締め切りまで〇〇日なのに、まだ××%しか仕上がっていない……!」
「こんなところで足踏みしている場合じゃない」
「〇〇日で××××文字しか書けてない。こんな生産性で自分はこの先やってけるんだろうか……?」
こういった思考が、目の前の修正作業への集中を妨げる。
そういうことを気にしたまま、ウロウロと低いパフォーマンスで冒頭を書き直しているのも(2)の最悪パターンだ。
大事なのは、「突っ走る」にしても「迷う」にしても、とにかく自分がいまいちばん重要だと思う問題に集中してベストを尽くすことだ。
白紙が怖いなら文字量に集中してもいい。
問題を放っておくのが怖いなら今直してもいい。
どうせ、完成までには全ての問題を自分の手で解決しなければならない。
だったら、せめて自分の意識と行動を一致させ、ベストパフォーマンスを出せるやり方でひとつひとつ臨んだ方がよいだろう。
だから、迷った時には迷うことに集中したっていいのだ。
もちろん、それができないから自分含めて皆が苦労してるワケだが、正論よりも自分の心に従うことの方がまだ簡単なハズだ。
少なくとも、創作の世界では……
追記1
世の中には、他所に心配事やストレスがあった方が集中力が増す人もいるらしい。けっきょく最後は自分の脳ミソとの相談になるようだ。