映画「ヴァチカンのエクソシスト」小ネタ解説
観てきました。
普段見慣れた教会世界がバトル映画になってて何だか小恥ずかしいのが第一印象でしたが、まさに王道!て感じでしたね。
ゆるく小ネタ解説してみたいと思います。
聖ベネディクトのメダイ
アモルト神父が掲げている厚めのコインのような物。
カトリックのお守りで「メダイ」といいます。英語で言うとメダルです。イエスや聖母マリア、天使、聖人など、色々なモチーフがあり、それぞれ効能?などもあるので選んで身につけます。
その中で「聖ベネディクト」だと悪魔退散の意味があります。ベネディクトさんが生きたのは5〜6世紀、修道士の元祖みたいな方なのですが、毒殺をまぬがれた逸話から魔除けのイメージが付き、受け継がれ、17世紀にこのメダイの図案が作られます。
EIUS IN OBITU NRO PRA ESENTIA MUNIAMUR
「我らの臨終において、聖ベネディクトがその功徳と臨在によりて、我らの鎖とならんことを」
C S P B (CRUX SANCTI PATRIS BENEDICTI)
「聖ベネディクトの十字架」
C S S M L (CRUX SACRA SIT MIHI LUX)
「聖なる十字架がわが光となるように」
N D S M D (NON DRACO SIT MIHI DUX)
「竜(悪魔)がわが導き手とならぬように」
V R S N S M V (VADE RETRO SATANA. NUNQUAM SUADE MIHI VANA)
「悪魔よ退け。決して、空しいことで誘惑するな」
S M Q L I V B (SUNT MALA QUAE LIBAS. IPSE VENENA BIBAS)
「おまえの提案は悪である。おまえ自身がその毒杯をのめ」
なんだかカッコイイですね。
実は私ベネディクトのメダイが有名なのを今回初めて知りまして。持っていなかったのでこの画像は聖品などを扱うドン・ボスコ社さんから引用させていただきました。購入できますので欲しい方はリンクからぜひ。
不思議のメダイ
こちらは1830年のフランス。1人のシスターの前にマリア様が現れます。その現れた姿のままにメダイを作りなさいとお告げを受け、パリ司教の許可を2年かけて取り、その通りに作ったら身につけた人に色々な奇跡が起こり…いつしか不思議なメダイと呼ばれるようになった。
【表面】聖母マリアが地球の上に立ち、サタンの象徴である蛇を踏みつける。手からの光は地を祝福し、周囲には『原罪なく宿りたまいし聖マリア、あなたに寄り頼む私たちのために祈ってください』の文字。
【裏面】十字架とマリアを表すMが組み合わされて描かれ、茨に囲まれたイエスのみ心と剣で刺し貫かれたマリアのみ心、聖母マリアを表す「12の星」で囲まれています。
不思議のメダイが悪魔に効くという話はうろ覚えなのですが、マリアがサタンを踏んでいるので、そう捉える向きがあるのかもしれません。
画像のメダイは家族がフランス旅行した際に買ってきてくれた物なのですが、マリア様直々に配りなさいと言われたメダイですので、巡礼者がお土産でたくさん配れるように50個セットとかで売ってるそうです。笑
こちらもパウルスショップや、ショップパウリーネで購入できます。
告解(懺悔)
カトリックでは「秘蹟」と呼ばれる重要な儀式の一つです。
自分の罪を神父に告白し神の許しを乞う。一般信徒なら1年に1度、聖職者なら1ヶ月に1度は受けるべきとされています。エスキベル神父が8ヶ月受けてないと言ったからアモルト神父が驚いてましたね。
罪と言っても「嘘をついた」「人を憎んでしまった」とかのピンキリで、そして神父には守秘義務があります。所感ですが、生きて生活していればメンタル不調もあっただろう古の人達が本音や苦しみを吐き出して聞いてもらい、「神は許します」と言葉を貰って今一度前を向くという、今で言うカウンセリング効果があったのではと思っています。
神の愛・母の愛
聖書には「憐れに思う」という神の愛を示す表現があるのですが、元々のヘブライ語だと「子宮」と書かれています。
ギリシャ語に訳された時、男性化され「“臓物”の動詞形」となり内臓をねじるような意味になったのですが、聖書が書かれたユダヤ社会では、神の愛は母が子宮から感じるような愛だと表現している。
だからアモルト神父は神の愛は母の愛に近いと言ったのですね。
祈祷文
「主の祈り」
イエスが弟子に教えてくれた祈りです。基本中の基本で、キリスト教圏の子供は最初にこの祈りを教わります。
天にまします我らの父よ
願わくは御名の尊まれんことを
御国の来たらんことを
御旨の天に行なわるる如く地にも行なわれんことを
我らの日用の糧を今日我らに与え給え
我らが人にゆるす如く、我らの罪をゆるし給え
我らを試みに引きたまわざれ
我らを悪より救い給え
「天使祝詞(アヴェ・マリアの祈り)」
マリアを讃え、取りなしを願う祈りです。
主の祈りとセットで教わります。
めでたし聖寵充ち満てるマリア
主 御身とともにまします
御身は女のうちにて祝せられ
御胎内の御子イエズスも祝せられたもう
天主の御母聖マリア
罪人なるわれらのために
今も臨終のときも祈り給え
悪魔祓い用の祈祷やラテン語には詳しくないので、各自ググってください〜スミマセン。
ロザリオ
日本だと十字架がついたネックレスの事をロザリオと呼んでいるのをよく見かけますが、本来は画像の形のものを指し、手に持って数を数えるのに使います。
エスキベル神父がヘンリーの部屋の前でウロウロしながら祈っていたシーン。手にロザリオを持っていたので数えながら祈りを繰り返していたのが分かります。
異端審問は悪魔のせい…?
「悪事を悪魔のせいにするな」という感想をSNSでかなり見かけました。誘惑に負けた人間がいたというエピソードは祓魔師の物語には起承転結としてむしろ必要なのでは?と見る前は思っていましたが…
見てみると、確かに過去に誘惑に負けた人間は居たものの、その印象が薄く悪魔の行為でしかない描写に微妙な違和感が。その人が誘惑に折れるシーンとかがあればまた印象が変わったかも知れません。
そもそもバチカンはこの映画に関わっておらず、製作側も教会が一切悪くないなんて思っていないでしょう。キリスト教圏は歴史の教訓から、教会は所詮人間が作った組織で、間違えるし誘惑にも負けると認識しているのが一般的です。
私見ですが、バチカンて神の愛を肯定するがゆえに自浄作用がある稀有な組織でもあるんですよ。世界最古の官僚組織であり、歴史が長すぎて改善するにも膨大な時間がかかるのですが、自浄を否定すると組織のアイデンティティが崩れる。
紆余曲折しながらミリ単位で前へ進んで行くそれがカトリックなのかなと思っています。
"私もその中にいる"
悪魔に乗っ取られたアモルト神父と対峙しながらエスキベル神父が叫ぶ「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ 18:20)
聖書でイエスが弟子に語っている言葉で、助け合いの推奨をしてる場面なのですが、あの地獄になりかけた空間でもアモルトとエスキベルという信徒が2人いるのだからここは教会!神の家!とイエスを召喚しちゃったわけですね。見えないけど、あそこにいてくれたんでしょうイエス様は。
カーディナル
ヘンリーが吐き出したり少女がムシャァしたりした赤い鳥さん。見た感じカーディナル(ショウジョウコウカンチョウ)だと思うのですが、カーディナルとは枢機卿の名称でもあります。赤い帽子や帯を付けてるのが枢機卿です。
冒頭でアモルト神父を問いただすお偉方の中にいた若い枢機卿が最後に血を流すイエス像に悲鳴をあげてましたが、ロザリアを虐待してたのは彼だと表現している…?いや年齢的にちょっと若すぎるので、ちょっとお前独善的だぞとお灸を据えられたという演出かもしれません。さすがに犯罪者ならグアムへ左遷で済ます脚本にするとは思えないので…。
本物のエクソシストって
この映画を見た方は今日も世界のどこかで行われているかもしれないエクソシズムをもっと知りたくなりますよね。
残念ながらアモルト神父ご本人の著作はすでに絶版ですが、私のオススメは「エクソシスト急募」(島村菜津/著)です。日本人の目線での現場取材と、まずカトリックの説明から入るという親切さ、深すぎない情報量。
電子書籍もありますよ。
最後に。
カトリックの祓魔師はイタリアの神学大でカリキュラムを修めた者の中から任命され、原則、長上の許可や医療に繋げた上で悪魔祓いを行います。
しかし宗派によっては誰でも行える所もあります。
そもそもアモルト神父も一人の人間です。
興味本位で危ない橋を渡らないようお気をつけ下さい🙏
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