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【白昼夢の青写真】世凪と幸せになるには【ネタバレ雑感想】

なにやら意味ありげなタイトルにしてしまいましたが本記事の内容は『白昼夢の青写真』のcase-0ラストの感想をまとめたものです。
当然ネタバレ要素をモロに含んでいるので未プレイの方は絶対に読まないでください。神ゲーだったのでもしここで引き返すのであればぜひ全√プレーしていただきたいです。念のため繰り返しますが未プレーであればこの先は絶対に読まないでください。私はこのゲームに興味を持った人間がネタバレに触れることなくプレーを楽しめる事を切に願っています。

(注)公開日より既に2日経っておりますが本記事は人に見せる文章として体裁が崩れつつあります。1人のオタクが作品解釈未満の感想原液を垂れ流している公開ノートだと思ってください。

↓以下ネタバレ含む本文↓






















1.はじめに

多分このゲームをプレーし終えた人間がほぼ全員考えること。"ラストの世凪は本物の世凪なのか、海斗が生みだした世凪の空想なのか"問題。この問題は多くのハッピーエンド信者、世凪に救われて欲しいというプレーヤーを悩ませます。本感想記事が「世凪と幸せになるには」というタイトルにしてある通り私自身はハッピーエンドを好むプレーヤーであり、出来るだけあの世凪は本物の世凪自身、もしくはその存在の正体に関わらずあのラストシーンでの海斗と世凪は幸福な結末を迎えたと解釈するように努めています。最初に本感想記事の趣旨を明らかにしておきます。私がこの感想記事を公開するのは人に読んでもらうためではなく"case-0のラストはハッピーエンドであると再確認し自分自身を納得させるため"です。もしこのまま読み進めるのであれば純粋な作品の感想記事というよりは一つのED解釈を読むくらいの気持ちで目を通してください。

また、本記事はLaplacian公式YouTube内でのライターの発言をヒントに(ほぼ丸っと引用して)自説の強化を施しているつもりです。ライター本人が「これ言うとほとんど答えになっちゃう」と発言している部分も恥ずかしげもなく利用しているので「お前の感想記事なんかどうでも良いからライター本人の解釈聞かせろ」って思った人はぜひそちらをご覧になってください。

https://youtu.be/0CVpis2m9v4
(本記事ではアーカイブ内 1:03:09~くらいからの話題を主に拾っています)

2.このゲームのEDを幸せに読む。


この作品のED(case-0のラストを含む)を幸せに読むコツは"それぞれの物語の解釈の終わりはプレーヤー自身が決めて良い"という事をプレー後の私たち自身が信じることだと考えます。

『白昼夢の青写真』内で描かれる4つのシナリオは全て主人公とヒロインの別離によって結末が描かれ、本編のクリア後にそれらの幸せなエピローグが追加されるというシナリオ構造になっています。これはcase1~3のシナリオが作中作のメタ構造をとっているために成立するEDの分岐です。世凪によって編まれた3つの物語は海斗との再会を経て幸せなエピローグが書き足されます。別離EDとエピローグ、そのどちらを正史として受け取るかはプレーヤーの好みに委ねられています。


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物語の受け手は常に作品をどのように解釈するかといった権利を手にしていますがこの『白昼夢の青写真』という作品はことさらに受け手(プレーヤー)のその自由を肯定しているように感じます。
作中、海斗が設計に携わった仮想空間にそのヒントがあります。あの空間は現実の地上世界での生活が幸せとは限らないと仮定したうえで理想を作り上げるためのものです。この理想は問題の根本的な部分へのアプローチではなく、問題の解決に至るまでに発生する人々の痛みや犠牲を緩和するためのものでした。

case-0のラスト。新宿に住む人間の大半は海斗と遊馬が作り上げた仮想空間に収められ、世凪はその世界そのものとなって人々を救います。その空間の中で人々に世凪の存在を語り続ける海斗。別離を経た後、物語は2人の再会で幕を閉じる訳ですが…。ここで"世凪は本物か空想か"問題が発生します。
この結末に至るまでに海斗は世凪自身がのこした3つの物語を用いて世凪の人格にアプローチしますが結局現実世界で元の彼女の人格を引き戻すことは出来ませんでした。この事実のせいで再会した世凪は元の世凪だと見なすことは難しくなってしまっているのですが。これを覆してハッピーエンドに繋げるヒントが"仮想空間"というわけです。

結局、海斗と元の世凪の再会は現実世界では果たされませんでした。物語最終盤での再会は海斗自身に"人々の理想"と語られた場所で果たされます。海斗は「世凪が居ない世界なんて生きる意味がない」「仮想空間で世凪の存在を語ることが自分の生きる意味だと定義した」と告げており彼の生きる場所はもう既に作中の現実世界ではなく仮想空間、世凪の世界に移っています。あの再会が果たされた時点で海斗と世凪の2人は現実世界での価値とは別の軸に生きる存在です。いわばあの2人が生きているのは物語世界であって……海斗の願望(プレイヤーの願望とも言い換え可?)が反映され得る世界でのお話しです。

繰り返しになりますがcase1~3のエピローグは世凪がそれぞれを物語と認識したうえで書き足したものです。彼女はそれを自分の手で編んだ作り話だと認識しているが故にその結末に手を加えることが出来るわけなのですが……。プレーヤーである私たちはそれに及ばないまでも近いことが出来ます。作中で描かれた結末に自分なりの解釈を付けることです。あくまでも私たちはこの作品の創作者ではなく描かれた結末そのものを書き換えることは出来ません。しかし現実を離れ、空想の世界に生を移したあの2人の結末は私たちプレーヤーに大幅な解釈のゆとりを与えてくれています。そのゆとりはこの物語をハッピーエンドと解釈させるのに十分な余白を持っていると私はそう信じているのです。

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この微笑みをハッピーエンド以外の何かだと解釈したくない。俺は俺を信じる。

3.おわりに

本当は美少女ゲームの√分岐とプレーヤーの正史判断の話と絡めて『白昼夢の青写真』には分岐が無いけど物語の正史選択の余地があるって事とか、世凪の紡いだ物語は現実では奇跡を起こし得なかったけど理想世界では奇跡を呼び起した!物語には人の心に理想を想像させる力があるんや!とかそもそも『白昼夢の青写真』ってタイトルでこの内容なんだから各プレーヤーの解釈が尊重されるのは当たり前だろとか…………記事材料にして上手いことまとめたかったトピックはたくさんあったのですが今回は自分自身の救済が第一目的だったのでさっさと断念して記事公開することにしました。プレーし終わった後の新鮮な感想としても投下したかったですし。(昨日クリアしたばっか)考えがもう少しまとまったら編集したいですね。

本当はまだcase-0をプレーし直すたびクソデカカタルシスが引き起こされてしまうのでヒロインかわいいやったーみたいな話だけしてたいです。
case-0到達前は2020年発売ゲームの中で一番結婚したいヒロインはすもも!って思ってたんですけど世凪と結婚すると彼女の中のすもも性も感じられて2人分でお得だなって思ったので世凪と結婚するのが最適解っぽいと思いました。

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3月中は萌え萌えキャラゲーしか遊びません。


3月2日追記メモ

・テクストの解釈で個人的に気にかかる部分
世凪はアルツハイマー型認知症が発症するまでの期間を「私が私で居られる時間」と定義しそれ以降の自我を「私ではない」と定義していた。ネットでちょろっと調べただけだとこの病の症状は不可逆のものなのでこの言い方はある意味正しいと取れる。
ただ、世凪が自身の記憶や自我の連続性を忘却することが「私でなくなる」と表されると「忘れることが出来ない」海斗は「海斗以外に成り得ない」存在に位置づけられるように思う。

世凪の状態を"喪失"ではなく避けられない"変化"として読んだ場合、再び発症前の世凪と同一の自我に辿りつく可変性は残されているのではないか。
少なくともあの仮想空間内では。現実では世凪自身に「自分の物とは思えない」と言わしめたあの3つの物語は発症前の彼女へ再び変化させるための道標として機能したのだろうか。

自分でも無いなって思った読みだけどずっと考えてるからこういうことも書かないと囚われたまま振り払えない。

3月3日追記メモ

・海斗が約束したこと、2人の世凪が望んだこと

自分から離れようとする世凪に海斗はこう伝える。

「おれにとって、世凪が世凪であるかどうかはーー」
「おれがきめる」
「それは、おれが決められることだ」

「世凪がおれを忘れても、自分のことを忘れても、おれは最後までそばにいるよ」

そしてそれでも折れない世凪に続けてこう約束を告げる。

「……だったらおれはーー」
「世凪じゃなくなったあとの世凪に、おれと世凪の話を聞かせ続けるよ」
(中略)
「世凪が、自分の感情をその人に贈ったように、おれは自分の記憶をその人に贈る」
「そうやって……おれはおれなりに、世凪を想い続ける」
「そうする限り、世凪はおれの中で生き続ける」
「それが、おれの出したこたえだよ」

海斗はこの約束を果たした。語り手としての役割を全うし続けた。

それぞれの世凪が口にした想い。
発症前世凪。

「ーーあなたとは、一緒になれない。わたしが、わたしじゃなくなっていくのを、あなたにだけは見られたくない」

発症後世凪。

「ーー海斗。わたしに決めさせて」
「わたしはーーあなたの手で、みんなの世界になりたい」
「わたしはーーその役割に、自分の命を捧げたい」

それぞれの世凪が発した想いそれぞれの想い。それとは別に彼女たち2人が共通して持っている想い。

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2人の世凪が共通して持っていた願い。「海斗に幸せになって欲しい」
この願いに秘められていると想像する部分
・状況に迫られることが無ければその幸せを自分も共に過ごしたかった(世凪自身の叶う事の無い願い)
・自分が居ない限り海斗は過去の回想によってのみしか幸せになれない(「海斗に幸せになって欲しい」という願いとの矛盾)

海斗と世凪はそれぞれ約束と叶わない願いを抱えたまま現実を離れ、仮想空間へと存在を移す。この時点で実は各シナリオのノルマである別れの物語は完結していると考える。

本記事の2でも触れているが2人が現実を離れた後の解釈は完全に読者に委ねられていると読む。2人が生きているのは作品内現実から離れた仮想空間(メタメタ空間って言うんだっけ?)であり、作中においても物語の領域である。

(これ以降、上記世界解釈を前提にしたラストの筋妄想。そしてこの妄想こそが次項メモテーマにとって重要)
仮想空間内では基礎欲求欠乏症は発症しない。
満たされて生きることを赦されていない人類があの空間で理想を生きることが出来るのはあの世界が現実ではなく「それぞれの理想だけが映る世界」だからだと解釈する。
理想だけを映す物語の世界になったのだから、そこに生きる海斗や「世界」そのものになった世凪、そしてゲームをプレーしている我々プレーヤーの臨んだ願いが反映されて良いはずだ。
可能不可能の道理ではなく物語的な道理を通してcase-0は望まれた海斗と世凪の再会で幕を閉じる。(ちなみにここの物語的な道理っていうのがどうやって世凪は現出出来たのか、海斗や世凪自身にとってあの世凪は本物なのかっていうのを自分に納得させる強度になる。)

お前何都合よい解釈してんだオ○ニーか?と言われそうだが、実際この作品のラストはこんくらいの願望マシマシで解釈してOKなのだ。理由は次項メモで。


・「揺らがない個性」というテーマとライターの願望

(このメモ項は先に挙げた公式トーク動画見ないと何言ってるか分からんと思います)
公式HPにも記載があるように『白昼夢の青写真』のテーマには「揺らがない個性」が挙げられている。このテーマ設定の動機についてライターの緒乃氏は自身にある没個性への極端な恐怖感情が根底にあると語っている。

そして裏テーマとして「人って良くも悪くも見たいようにしか物を見ない」という設定があるとも。

case-0のラスト。仮想空間内に現出した世凪を真と受け取るかは置いておいても彼女は他者の記憶によって現れたはずだ。(少なくとも自分はそう読んだ)
完全記憶能力者の海斗、そして女神・世界そのものとして認知している多数の住民たちの記憶によってあの世凪は立っている。

彼女の個性を「世界」にお墨付きをもらった絶対的なものと取るか、究極的な他者依存の産物だと取るか。ライター本人がどう解釈したかは分からない。けれどあのラストには間違いなくライターの願望が乗ってて……。作者本人と言えどもあのラストシーンに普遍的な答えは無くて、ライター本人の解釈と言えどもそれは解釈の一つに過ぎず、願望。

つまり何が言いたいかと言うとあのラストシーン自体が裏テーマの「人って良くも悪くも見たいようにしか物を見ない」ということ。お前の解釈でバトルだ!!

このゲームが解釈ゲーと銘打って売り出されてるのは気持ち良いくらいラストの解釈は読者に委ねられていて正解が無いからだと思う。それ故にプレーヤーは絶対的な答えを与えられないまま自身の望む解釈に辿りつくために何度もプレーしたりもだえたりしながら……残ったものが公式企画書で目論まれていた「20%のコアユーザーを固定化させることを目指す」の側になるってわけ。おのれらぷらしあん。



書いていて疲れたしとりあえずは満足した。何かまた発見や発展があれば書き足したりここまでのメモを舗装するかも。

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