永遠も半ばを過ぎて

一応老年まで生きて死ぬと仮定するともう人生の半分弱生きてきたことになる。今後若い女性とキャッキャッウフフできることもなさそうだしデヴィッド・ボウイのようになれることもない。自分の人生の可能性とやらをどんどん見限っていく必要が出てくる年齢であろう。

四十にして惑わずなどという言葉があるがちっとも不惑にならない。惑いまくりである。まだ何かできるんじゃないか、まだ今以上の何者かになれるのではないかとどこかで思ってしまっている。

自分はいわゆるコミュ障陰キャで社交不安障害や回避性人格障害的にイベントを回避し続け、経験を積むことなく清濁併せ吞むことのない薄っぺらい人生を歩んできた。

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悔しい気もするが、じゃあ過去の時点でなんとか最適解を選択できたかと言われると自分の性格や能力ではどうにかできたとも思えない。

誰もがそうであるように生まれる場所も国も親もスペックも才能も選べない、地球に落ちてきた男なんである。

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