ぼくは人を信用できない
おはようございます。
#KENMAYA です。
「人を信用できない」、いわゆる人間不信と呼ばれるものです。
わたしは基本的に人を信用しません。
自分自身の自信のなさや、利己主義であることが理由として考えられますが、それ以上に他者に無関心であり、深く理解したいと思えません。
昨年うつ病と診断を受ける以前より、
「裏切られた」と感じることはほとんどないのです。
そもそも人を信用していないので、「やっぱりな」で終わります。
よく寂しい人生だね、などと言われますが、
そもそも他者からの評価ほど、
わたしにとって興味のないことはありません。
なぜ、ここまで人間不信に陥っているのか、
わたしの生い立ちに因るところはあるのかもしれませんが、
基本的に人間不信は「後天的なもの」だと考えています。
今日は人間不信になる理由と実態をお話したいと思います。
1.環境
学生時代から友人関係は広く浅く、でした。
自分から積極的に関わろうと思うことはあまりなく、
いわゆる「引っ込み思案の陰キャ」というやつでした。
そしてその傾向は今でもあまり変わっていません。
「陰キャ」から「陽キャ」に変われそうな機会は何度も有りましたが、
孤独を好み、極力他者との関わりを排除してきました。
「いやいや、お前は陽キャだろ」と言われることもありますが、
前回の記事でも書きましたが、それは「ペルソナ」なんです。
つまり外行きの演技なんです。
2.思考パターン
わたしの思考パターンは非常に明確です。
得か、損か。これだけです。
損得勘定のみで心理的介入はほとんどありません。
ここらへんはサイコパスと全く違いますよね。
人間関係を損得勘定で考える人は嫌われますよね。
そう、必然的に孤独になるわけです。
つまり、思考パターンからして孤独を好む傾向なんです。
3.実態
わたしはあまり「寂しい」という感情があまりなく、
他人と共有したい気持ち、というものもありません。
ほとんどの状況下で自分の中で答えや考え方が決まっています。
自分の考えや言いたいことは、こうしてnoteやTwitterなどに投稿はしますが、そこで発生する議論や他者の反論には見聞として勉強にはなりますが、
それが自身の考えに置き換わるということは、まずありません。
自己中なんですよね。基本。
ただ「寂しい」「共感してほしい」といった自己承認欲求が欠落しているので、パッと見、鋼のメンタルに見られることがあるのですが、
普通にうつ病になってますので、精神状態と孤独感に相関性はあまり関係ないと思います。
4.最後に
人は誰もが自分とは違います。
自分を中心に価値や基準を決めていると、孤独になります。
孤独を好む人は、わたしのようにしていれば、孤独になれます。
孤独が精神を病む要因のひとつではあると思いますが、
わたしは孤独よりも、ストレスの方がよっぽど精神を病む要因だと思います。経験者は語りますが、「何をしていても楽しくない」と感じ始めたら、できるだけ早くメンタルクリニックを受診しましょう。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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