まだまだ書き足りない
前回の投稿より少し時間を置いて頭をクールダウンしようかと思い、缶ビールを一口飲んだら、まだまだ書き足りてないと感じたので書く。
このアプリの素晴らしい点は「白紙」ってことだ。
「白紙」を目の前にして人は色々な感じ方をするだろう。
創造力が掻き立てられるような人もいれば、疎外感や哀愁を感じる人もいるだろうし、恐怖心を感じる人もいるだろう。
わたしは「白紙」にわたしを投影したい。
インターネットやSNSの普及で人は高度な情報通信技術を手に入れ、誰もが情報を発信できる時代になった。だが、それによって、インターネット上でうまく立ち回らないと、いわゆる「炎上案件」やら自称正義の味方によってたかってボコボコにされる。そして、これだけの技術を用いながら、SNSで疎外感を感じる子供まで出てきた。
わたしは「白紙」を素晴らしいと評価した。
それは双方向通信ではないということ。
わたしはイイネやらフォロワーだの全くもってどうでもいいのだ。
ただ、わたしという存在を定義づけることのできる「白紙」の存在に感謝したい。そういえば、昔ブログなんてものをやっていた時期もあった。あの頃は、閲覧者数を気にしたり、皆でやっていたネットゲームの記事やスクリーンショットを貼り付けて仲間内で盛り上がったりしていた。
振り返ってみれば、わたしも過去、わたしという存在の定義づけができていなかったのかもしれない。インターネット上での繋がり、をただ維持するため、インターネットの世界にいたのだ。
そう考えると人は実際、進化ではなく、少しずつ退化しているのではないだろうか。新しい技術や素晴らしいコミュニケーションツールがどんどんリリースされている中、それをうまく使いこなせるだろうか、時代の波に乗り遅れないようにしないと、だとか常に漠然とした不安の中、手探りでヨロヨロ歩く赤子に退化してきているように感じる。
だからこそ、わたしは自分の書きたいように書ける「白紙」を用意してくれているNoteに感謝を申し上げたい。ありがとうございます。