第三回 宮尾節子賞発表
第三回、宮尾節子賞が12月24日に決定いたしました。
金子彰子(岐阜)・樽恵美子(東京)・白須靖之(埼玉)
の三名(順不同)です。おめでとうございます。
第一回、特別賞は祝結婚
村田活彦・淳子のお二人でした。おしあわせに。
受け取ってくださって、ありがとうござます。
宮尾節子
以下、各受賞者へ贈ることばを、お読み頂ければ幸いです。
(*目次をクリック頂ければ各項目に飛びます。)
◎発表時のスペース(録音)はこちら→第三回宮尾節子賞
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金子彰子殿
「いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている」
金子さん、おひさしぶりです。ひさしぶりにあなたの詩を拝見しました。以前とくらべて(井坂さんの金子詩評「説明を拝し、簡潔だけれど迂回路を好むので、そうたやすくは読み手の思い通りにはならない。」)さらっと用事をメモ書きしたような感じの作風に少しおどろきつつも、やっぱりいいなあと詩の景色をながめました。そして、読むうちにやはり貴女ならではのことばの奥行きに出会います。
歴史は塵からできている
そう信じているから
「歴史は塵からできている」こんなフレーズは金子彰子しか書けないのではないか。「さうして 悲しみにも陽があたる」と書いたのは吉原幸子だけど、あなたは塵を光らせる。歴史は塵からできていると知っている。陽があたることのない社会の片隅や低い位置から、漏れる吐息や嗚咽を漏らさず傾聴し、慈しむ眼差しがいつも見える。
こんな人がいればいいのになあ、いて見守ってくれたらいいのになあ。善いことばかりじゃない、善いひとばかりじゃない市井の暮らしを引っくるめて、引き受ける。個として見守る、見届ける。何か、行為することではなくて、ことばでならどこまでも寄り添える。どこまでも、ことばで受け留めること。詩歌や文学の救済はそこにあるのではないか。ほんとうはそれしかないのではないか。金子さんの書いたものを読んでいると、そんなことをふと感じる。とてつもなく、愛書家でよく本を読まれている。さっぱり書いても積み上げた文化の滋養が滲み出る。奥行きの深さ豊かさ、そしてことばから現れる景色の確かさに圧倒される。
金子さん、わたしが、はじめてあなたを知ったのは。二月十四日。そう、バレンタインの日の『二月十四日』というタイトルの詩集を読んでからでした。
いわし焼く夕方
「焼き方が足りんぞ」
その一言に堰がきれ
とめどなく嗚咽をもらす
涙の中をいわしが泳ぐ
――「二月十四日」冒頭
金子彰子15歳の時の詩である。バレンタインの日に、「いわし焼く夕方」である。おまけに「焼き方が足りんぞ」と叱られている。チョコなんて甘ったるいものを吹き飛ばす、圧倒的な「いわし」にやられた。この日常を一歩も譲らない少女の頑固さがあっぱれだと思った。15歳の「生きさせろ」の裸の声が聞こえたようだった。昔鹿児島でいっとき暮らした頃、「バターをつけて食べるより、サツマイモには炙ったキビナゴが一番だ」と豪語していた鶴丸女子高生を思い出したりした。
金子さんは15歳の時、井坂洋子・荒川洋治選の第一回モロゾフ「愛の詩」の公募で、詩「二月十四日」にて特別賞を受賞されている。綺羅星のような巨匠二人の目利き詩人によって見出され、華々しい詩人デビューを果たしたのである。
『二月十四日』は、多くの玄人筋の詩人や書店員、出版人にたいへん反響があったようだ。この詩を読んで「すごく良いんだよ!読んだ時に鳥肌がたった」と絶賛した、龜鳴屋(かめなくや)主人が惚れ込んで、遂に2010年に金子彰子第一詩集が出版されることになったとのこと。金子彰子は、ラッキーガールである。
真四角の装丁も凝っていて、なんとも瀟洒で綺麗な仕上がり、手にしてしばらくうっとりした。さすが厳選良書出版社肝入りの詩集である。また発行部数もこの詩「二月十四日」に(詩にというか、日にというか)ちなんだ「限定214部発行」とどこまでも憎らしいほど洒落ている。出したくて出したくてたまりませんと出版社さんに惚れ込まれて詩集を出してもらえるなんて、そんな幸せな詩集はこの日本の詩集出版事情では奇跡のようなもの。夢のようなできごと。金子彰子第一詩集『二月十四日』はそんな幸運な詩集だとご本人はご存じだったろうか。ちなみに、龜鳴屋から「龜鳴屋とは」をごらんください(その心意気にもぐっときます)。
詩集には伊坂洋子詩人から以下のような跋文が寄せられている。
詩集出版の前に、金子さんの才能を知った玄人筋に「書かないなんてもったいない」と諭され、それではと、はじめたのが「Kanecoのブログ」らしい。はじめた頃の2009年には詩の掲載が多いが、エッセイというか随筆と言った方がいいような、事実史実に裏打ちされた文章も書き始める。それが何とも味わい深くて唸る。やっぱり、ただものではない景色を見せる。詩が見える。
さっそく詩人の清水哲男(故人)さんに文章を見染められて、彼が主宰するWeb個人誌「週刊ZouX」(現在は閉鎖)に2012年の10月から「レシピという人生の記録」の連載が始まっている。この連載の文章が魅力的で(連載時は写真もふんだんに使われた)わたしも毎回楽しみにしていた。作家や詩人たちの事実(スキャンダルを含め)に裏打ちされた下世話的にも、文学的にも、じんわりとボディーブローの効く、人間臭くて面白いドラマを描いてみせる。金子さんの文章は、人の景色がよく見える。
いくつか連載したものがブログにあるとのことで、教えてもらった。
わたしなんかが下手な言葉の羅列で説明するよりは、読んでもらったほうが早い。以下に少し、出だしとサイトのリンクをつないだので是非、読んでみてください。
ところで、金子彰子さんの詩集はこの世に2冊しかない。1冊目はさきほど紹介した『二月十四日』。そのあと2冊めは、『裸足』。
プリントしたものをホッチキスで留めただけ、そして、この詩集は『二月十四日』を買ったひとにプレゼントされたのである。この詩集『裸足』については拙ブログに「詩族」として少し書かせてもらったのでよかったらご覧ください。収録されている詩「新春」がこれまたいいです。
何度か、金子さんには朗読会(2014年12月/荻窪「6次元」)に出演してもらったり、Twitterの連詩(2012年/須永紀子・金子彰子・宮尾)にお誘いしたりしたが、それから戦争が始まったりして(というのは「明日戦争がはじまる」という詩でにわかに私がバタバタし始めてしまって)自分のことばかりにかまけて、金子さんともTwitterでつながっている安心からか連絡させてもらうことがなくなった。
金子彰子、この欲のない詩人。荒川洋治、井坂洋子、清水哲男という現代詩界隈では、大家の達人たちに太鼓判を押された才能をもちながら、今はのんびり糸魚川でヒスイ拾ってるような詩人。かといって、自己顕示の欲などなくても、パリに行かなくても、パリの本やパリの映画、パリの料理、パリの人やパリの文化は、いくらで手に入るし、目に見えるし、楽しむことはできる。
本や映画でいくらでも心は愉しみ、多くを学び、文化や思想を身につけることはできる。物はやまのようにあふれ、飛行機は格安で世界中とびまわれる、このご時世に――。それでも、金子さんは今ある場所で、地味に慎ましやかに、日々の生業を大事にしつつ、文化も余すことなく心の糧としてとりいれて、豊かなひとになっている。わたしは中身のいっぱい詰まった鯛焼きのように、文化のいっぱい詰まった金子彰子をみなさんにご紹介したいのです。わたしなどがご紹介しなくても、いずれ、その筋のちゃんとした人が再び彼女の才能を見出し、文学の歴史に名を残す日がくるはずです。でも、こんなご時世です。それがいつになるか、わかりません。
思い出します。安い便でアメリカに渡る時ときどき、飛行機がトランジットでハワイに立ち寄ります。いったん止まるだけで、外には出られない。その時、このハワイに意味はあるの?と思ったりしましたが。初めて食べたバナナマフィンの味は忘れません。この宮尾賞が金子さんがつぎの大陸へ渡るまえの繋ぎのハワイであることを願って、
市井に日々生きる人々の悲喜こもごも、かげひなたに、愛着と慈愛と慈悲をにじませるそのことば。金子さんのよい意味での大衆性を愛してやまない、その眼差し。
詩を書きながら、生きること、食べること、観ること、読むこと。
高価な専門書でなくても、少しがんばって働いて、少し倹約すれば、
手に入る書物や、その気があれば、出かけられる映画や小旅行で、得られる思いや景色で、ひとはこんなにも、内面を豊かにし、文化を享受して生きられる。その生き方を、ことばやたたずまいで見せてくれる。あなたの大きな旅の、
つなぎに、宮尾節子賞を贈らせてください。受け取ってくださるとうれしいです。
最後にこの人に書いてほしかった作家論を、ちゃんと書いていたんですね。
『佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家』(福間健二監修/河出書房新書:絶版)
に寄稿した金子彰子の筆の眼差しをごらんください。
「どんな場所に生まれたとしても、人はあるがまま生きるしかない、それなりの望みと夢をもって、という声が聞こえてくるようだ。佐藤泰志、復活。」「読者が待っていた作家は、あなただったのだ。」金子さん、わたしもまた一人の読者としてあなたを待っている。そして、それはわたしだけの思いではないはずだ。
善きことば持つ、善きひとの、あなたに――
贈らせてください。
金子彰子 プロフィール
1969年、岐阜県生まれ。10代の頃に創刊された『鳩よ!』への投稿がきっかけで詩作を始める。井坂洋子、荒川洋治選の第一回モロゾフ「愛の詩」の公募で、詩「二月十四日」で特別賞受賞。井坂洋子『ことばはホウキ星』(ちくま文庫)に収録。2009年に「ピッポとオカタケさんのおすすめポエムショー」でこの詩が取り上げられたことから、詩作を開始。手作り詩集を各地の古書店のご厚意で置いてもらう。10月、京都の古書店善行堂で金沢の出版社龜鳴屋を識る。2010年『二月十四日』を刊行。 2014年『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』(河出書房新社)にエッセイ「手渡された光を見つめて」寄稿。同年、宮尾節子氏と現代詩手帖の共同企画Twitter連詩に参加。2015年『現代詩100周年』(TOLTA)に「August2015」を寄稿。現在はTwitter@000214上で詩を書いている。kaneco.hatenablog.comには、過去の詩作品と2012年から2014年にかけて清水哲男氏の電子個人誌ZOUXで週刊連載した「レシピという人生の記録」を収録。
最後に最近作をお願いしたら送ってくださった詩の中からひとつを。
短い身の丈の言葉で、現在の社会状況を刺し貫き、深くて強い意志が見える。
金子彰子さん関連サイト
*金子さんのTwitterアカウントはこちら→s.kaneco
*金子さんのブログはこちら→Kanecoのブログ
*金子さんのnoteはこちら→s.kaneco
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樽恵美子殿
いつもパンクなファッションに身を包み、機関銃のように喋る恵美子さんは賑やかな人である。彼女のまわりにはいつも人が集まっている。それもそのはず、彼女は人を集める人なのだ。この人と思ったらこの人と、あの人と思ったらあの人とブッキングして、この店とターゲットしたお店で移動式「スナックえみこ」の看板を出す。そして、四季折々や、訳有り有りの食材でいくつもいくつも手料理をつくる。
歌、パフォーマンス、演者と演者、演者とお店の、縁結び(ブッキング)も恵美子さんの得意技。
どんな人たちの舞台を<スナックえみこ>で招いたの?いちど、きちんと尋ねてみたかったことを、今回教えてもらってたまげた。以下が彼女がいつもの機関銃トークでいっきに、列挙・紹介してくれた方々(ママ)である。
えみこさんYouTubeより(澄田健さん×わかみほさん)動画
えみこさん YouTubeより(イーガルさん×岡村トモ子さん)動画
音楽を愛し、文学を愛し、演芸を愛し、人を愛し、お店を愛し、お酒を愛し、食べること、料理を作ることを愛し、それらを、巡り合わせてくれる。演者も、お店も、お客さんも、楽しませてくれる、あちらからこちらへと、賑やかでパンクで情にもろい「スナックえみこ」飛び回る。普段はOL、週末スナックえみこ・ママに変身。
あの人はすばらしい!あのお店はすばらしい!とひとの宣伝は機関銃のようにまくしたてるのに、あるとき。そんなにたくさんの舞台を成功させてきたんだから、まとめて本でも出したらどう?と訊いたときの、えみこさんを忘れません。ぴたっと止まったのです。表現者と表現者をつなぐことはあっても、自分が主役になることは夢にも思ってなかったようです。あの何を言ってるのかわからない、というきょとんとした顔を忘れません。
しばらくSNSで彼女の投稿がないときがありました。いちどだけ、病室が写り、眺めよいという話のアップがあり。びっくりしていたら、どうやら、大病をされていたようです。
あとで聞くとたったひとりで随分たいへんな思いをされたようでした。コロナ禍ということもあり、孤独で苦しい闘病生活があったようで驚きました。
弱音を吐かないひとなので、それを聞き出すだけでもなかなか大変でした。こんなに人と人を結び、演者に舞台を与え、お店を繁盛に導く、OL仕事が本業だから、これはわたしの愉しみだと言い切る彼女。その愉しみのおかげでどれだけたくさんの人が嬉しい思いをしたかわかりません。さっきあげた演者さんの数だけでも想像できるでしょう。
それなのに、病気とはたったひとりで立ち向かい闘っていた。困ったひとの助け方はうまくできるのに、自分が大変なときの助けてもらい方が下手なひと。恵美子さんのもうひとつ姿を知らされました。
わたしも、素晴らしいお店の舞台に立たせてもらって詩を朗読し、イーガルさんの素敵なピアノとも出会えて演奏をしてもらったり、彼女のおかげでお店のひとや多くの演者の方、お客さんと顔見知りにもなれた。
たのしい思いをたくさんさせてもらったのに、あなたがたいへんな思いをしているときに何もできなかった。悔いが残りました。よいときも、わるいときも支え合うのが仲間なのに。ふたたび、元気になったあなたを見てほっとしています。そして、愉しみのなかにあなたという人間の利他業があったことを、思い知りました。
人と人、人と店、音楽と音楽、そしてさまざまな演者のパフォーマンスを――
わたしが紙の上に詩を書いて見せるように、あなたはお客さんを呼んで舞台上でそれを見せてくれます。ひとがいて、ばしょがあって、おきゃくさんがいてくれて、はじめてすべての、表現の舞台の幕はあがるのです。手料理つきで<スナックえみこ>がひとりで、それを全部やりとげて、ひとびとに愉しみと笑顔を与えてくれるのです。
えみこさんがひとり看板背負ってわたりあるく「スナックえみこ」の舞台も、
わたしがひとり看板背負って届ける小さな「宮尾節子賞」も似たもの同士かもしれません。ますますのご活躍とご健康を願って、スナックえみこの恵美子さん、あなたに、第3回宮尾節子賞を贈らせてください。受け取ってくれるとうれしいです。
樽恵美子 プロフィール
東京都あきる野市出身。 幼少の頃より、文学や舞台など、様々なアートに親しむ。 「才あるステキな方々との出会いが多く、仲良しになれている」ことに気づき、2013年頃より、東京・高円寺を拠点に、自身のイベント〈スナックえみこ〉を始動。 年間10回くらい、カフェ、Bar、そしてライブハウスなどで、「お酒を飲んで、おつまみを食べて、ステキなパフォーマンスを観て、みんなで楽しい時間を過ごす」イベントを、主催している。 〈スナックえみこ〉には店舗はなく、「えみこがいるところ」これがすなわち〈スナックえみこ〉! 「魅力ある!と思ったこの人とこの人を、出会わせたい」と閃いたアーティストをブッキングし、見ていただきたいと思ったお客様をお呼びし、お酒に合うおつまみを自ら作り、当日の進行まで執り行う。 出演アーティストは、ミュージシャン、役者、そして大道芸パフォーマーなど、様々なジャンルの方々。 時には出演者同士、出会ったその日に共演していただく流れとなり、「〈スナックえみこ〉ならでは!」の、稀有でステキな展開となる。 「ステージを観慣れていない方に、この素晴らしさを伝えたい」 「自分が出会った素晴らしい方々(お友達)が、楽しく交流する場を作りたい」という思いのもと、不定期ながら今後も続けていく予定である。
これからも、OL仕事の傍で「スナックえみこ」の看板と文化貢献の使命を痩せた両肩に背負って、「すてきな演者はいないかー」「すてきなお店はないかー」「すてきなブッキングはできないかー」「おいしいものはないかー」と東京中を元気に奔走する、にぎやかでパンクで愛情いっぱいのエクボのお姉さん樽恵美子とその仲間たちをどうぞよろしく!
樽恵美子さん関連サイト
*えみこさんのfacebookアカウント→Emiko Taru
*えみこさんのTwitterアカウント→えみこ emiko
*えみこさんのYouTubeチャンネル→emiheartbeats16
*<スナックえみこ>最寄店
・東新宿 Bar 音海(おんかい)→Bar 音海
・神田 ショウジマル→LIVE SPACE THE SHOJIMARU
・四谷三丁目 Con ton ton vivo→CON TON TON VIVO
・吉祥寺 ブラック・アンド・ブルー→LIVE BAR BLACK AND BLUE
・渋谷 サラヴァ 東京→saravah Tokyo(現在閉店)
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白須靖之殿
あなたを、はじめて見たのは白いワイシャツにネクタイのいかにも市の職員さんという姿でレジュメを配る「飯能市職員勉強会」でしたでしょうか。この勉強会も「飯能市職員を中心とした有志の勉強会です。」としながらも「 興味がある方なら、どなたでもご参加いただけます。」と一般のものにも開かれた形でfacebookに情報が公開されました。「え?職員の勉強会に一般人もウエルカムなの?」とちょっと驚いて、少しうれしい気持ちもして、それならと魅力的な講師を招いての勉強会に、一度参加した覚えがあります。
その時「白須(しらす)」というきれいな名前の記憶と、せっせと会場でレジュメを配る真面目で清潔な職員さんのイメージであなたの印象が残りました。今にして思えば、一見固そうな会や催しに控えめながら「どこか風穴を開ける」開けようとしている意志を見え隠れさせながら、いつもあなたは立っていたような気がします。
二度目は、映画でした。「このまちに映画館があればいいのになあ」とよく思っていたので「商店街で映画やってるよ!」と知り合いに教えてもらったときはびっくり。さっそく、詳しく聞いて参加することにしました。映画館といってもまちのワーク&シェアスペース(「Book mark」)の椅子や机を寄せたり並べ替えたりしての「上映会」でした。
その名も「Bookmark Cinema Club」月に一回上映でドリンク付きです。
「8月の上映会では、浅煎りのルワンダ産スペシャリティコーヒーをエアロプレスで抽出」なんてドリンクレシピも告知されます。
映画が終わるとギャルソン姿?の白須さんが丁寧に淹れてくれたスペシャル珈琲をいただきながら、映画の感想などをそれぞれが交わし合うのです。
わたしが行った時は「バンクシー」の映画だったかな。だいたい白須さんのチョイスで、まちをたのしくしたり、面白くしたりの映画が多かったかな。わたしの好みの映画も結構かかりました。
という訳で、あれっと気になる場所にはなぜか白須さんが登場するのでした。市の職員さんなのに割とカジュアルな動きができるひとだなと感心しましたが、何科に属する人かよく知りませんでした。それが、ついに知る日がきたのです――
少し別の話を入れます。外国の街の写真をみると街と木々とが溶け合って暮らしています。街のひとびとは木々を大切にし木々は木洩れ日や木陰で人々を休ませる。
それなのに、日本ではどうも街路樹が嫌われる。信号が見えづらい、落ち葉の掃除が大変だ、根上がりして歩道が歩き難い……などなど。負の面ばかりが強調され、年々街路樹は、切り倒されはせずとも、枝はつぎつぎ切り落とされまるでトルソーの彫刻か、生木の柱が並んでいるような痛々しい扱いだ。同じ思いをしている詩人の動画をみた。ベルリン滞在中の詩人の伊藤比呂美さんがベルリンでの街路樹の扱いや、市民の思いや対処の仕方が、まるで日本と違う…と語っているものだ。
街路樹の状態とそれに対するベルリンの市民の反応が、非常に面白かった。
「日本とぜんぜんちがう!」「ぜったい木を切ろうとしない」というか
「邪魔だから木を切ってしまえ」という考えがない。この動画を見た時のわたしのツイッターです。ざっくり書き出すとこんな感じだ。
日本はどうしてこうも木に冷たいのだろう。新緑の頃の若葉の爽やかさ、夏の暑い時の木陰の涼しさ、また木漏れ日の美しさ、紅葉の頃の明かりが灯るように色づく葉っぱの明るさ。おまけに、わがまちは森林文化都市とまで歌っている。緑のまちだ。山もいいけれど、まちなかにももう少し緑があればいいのに……。ものいわぬ木々の存在がどれだけ、ひとを癒してくれてるだろう。葉っぱが落ちるのは、年に一度のごめいわくなのになあ。街路樹が大切にされているさまざまな外国のことをうらやましく思っていたところ――なんと
またしても、白須さん登場なのでした!
ひとびとがコンクリートの街であれこれ知恵をしぼって「まちおこし」にとりくんでいるご時世に。ひとり逆風に立ち向かうように、鋪道のレンガを掘り起こし、木を植えて「こもれびおこし」に立ち向かう男がいました。
白須靖之とこもれびおこしの仲間たちです。
白須さん、今日も明るい日を浴びてすくすくと育っているコナラの若木、こもれび1号(白須1号と勝手に呼んでます^^)の前途を祝して、あなたに宮尾節子賞を贈らせてください。受け取っていただければ幸いです。
白須靖之 プロフィール
1974年生まれ、山梨県富士吉田市出身。飯能市役所土木技師。 大学卒業後、民間建設会社で10年間コンクリートと土いじりに明け暮れながら、結婚を機に埼玉県飯能市に居を構える。2008年に単身赴任からの解放を求め通勤時間5分の飯能市役所へ転職。なんとなく職場では珍しい存在的ポジションに。 2009年、㈱高田造園設計事務所の高田宏臣氏に出会い、樹木と自然環境の再生に開眼。これまでのコンクリート人生を後悔し土木に対するアプローチが変わる。 高田氏が提唱する土中環境にかかわる活動を『こもれびおこし』と名付け、実験的活動を細々と実践しつつ、行政として心地よい都市空間づくりと土中環境との融合を模索している。 趣味は養蜂と養鶏と空き店舗活用。
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「落ち葉あります」この書き込みにもぐっときました。思わずわたしも、
「言葉あります」と真似っこしたくなりました。(カラーコーンも借りて。^^)
日夜わがまち飯能をやさしく、たのしく、住みやすくと駆け巡る
白須靖之さんを、これからもよろしく!
白須靖之さん関連サイト
*facebookアカウントはこちら→白須靖之
*こもれびおこしプロジェクトのアカウントはこちら→こもれびおこし
*ときどきまちの映画館のアカウントはこちら→BookmarkChinemaClub
*飯能市職員勉強会(一般参加も可能)アカウントはこちら→飯能市職員勉強会
*有志の集まる活動拠点のシェアスペースBookmarkのアカウントはこちら→Bookmark
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今回は初めて特別賞を設けました。
第一回宮尾節子賞 特別賞
村田活彦・淳子殿
村田活彦さんと淳子さん。いい笑顔でしょう?
ポエトリースラム・ジャパンを立ち上げ日本代表を海外に送り出すきっかけを作った村田活彦さんと朝のリレー詩で爽やかな詩のツイキャスを続けている淳子さん。
ご結婚は昨年の11月22日(いい夫婦の日)。ツイッターで報告があるとみるみるたくさんのお祝いのことばがTLに並びました。わたしはふたりの結婚の知らせとふたりの笑顔の写真を見て、これは「特別賞」だなと決めました。特別賞は宮尾節子賞のVIP席におかれます。その席はみんなの胸の奥にあります。胸の奥で、いつもとはいいません。よのなかもふうふなかも、そんなにあまかない。でも、ときどき眠る前とか、けんかした後とかに、このうれしい笑顔を思い出して
灯(ともしび)としてください。
詩はつくるものです、ないところから。ときには、詩のみえないところから。
ひとりの、詩はあると、しんじた手から。
幸せもまた、つくるものだとおもいます。これからは、ふたりの手で
(ないとかんじるときも、みえなくて泣きたくなるときも)
あると、しんじた、ふたりの愛の手で。
きょうのいい笑顔に、なんども、なんども
もどってきてくださいね。おめでとう!
わたしにとっても、大切なふたりです。
宮尾節子特別賞を贈ります。受け取ってもらえると
うれしいです。
村田活彦・淳子プロフィール
村田活彦
出版社勤務を経て、ポエトリーリーディング活動を始める。2015〜2019年には詩の朗読日本選手権大会「ポエトリースラムジャパン」を主催し優勝者を国際大会に送り込んだ。朗読ライブ、poetry reading tokyoでの国際文化交流、ワークショップなど。twitterスペースにて「#朗読居酒屋活」「#偏愛詩歌倶楽部」それぞれ月イチ配信。CD『詩人の誕生』発売中。
村田淳子
地域で看護師をしながら、2018年9月から「あられ工場」というペンネームで活動しています。米菓工場の吹き寄せ部門を舞台にした物語詩を書いているのが名前の由来ですが、もちろんそれ以外の作品も書きます。毎週土曜の朝(気が向いたとき)に、ツイキャスにてオープンマイク「#朝のリレー詩」を主催しています。
村田活彦・淳子関連サイト
*村田活彦ツイッターアカウント→村田活彦 | poetry reading tokyo
poetry reading tokyo主宰
*村田淳子ツイッターアカウント→あられ工場
朝のリレー詩主催
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以上を持ちまして2022年第三回宮尾節子賞のご報告をおわります。
おかげさまで回を重ねるごとにみなさんにご注目頂きありがたいことです。
今回はなんと胎動レーベルikomaさんと平川綾真智さんのご協力を得て
第三回宮尾節子賞発表スペースを開催させていただきリアルな発表となりました。
アーカイブ(録音)も残してもらいましたので、上の記事と合わせてお聞き頂ければ幸いです。受賞者のかたがたも登壇くださるというレアな回となりました。
長時間おつきあいいただき感謝です。
◎録画の模様はこちらです→2022第三回宮尾節子賞発表スペース
ありがとうございました!どうぞ、よいお年を!!
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クリスマスイブということで、私も最後に「クリスマスツリー」という詩を
朗読しました。聞いてくださってありがとうございます!
*クリスマスツリー 宮尾節子
みなさんと宮尾節子と