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第三回 宮尾節子賞発表

第三回、宮尾節子賞が12月24日に決定いたしました。
金子彰子(岐阜)・樽恵美子(東京)・白須靖之(埼玉)
の三名(順不同)です。おめでとうございます。
第一回、特別賞は祝結婚
  村田活彦・淳子のお二人でした。おしあわせに。

受け取ってくださって、ありがとうござます。

宮尾節子

以下、各受賞者へ贈ることばを、お読み頂ければ幸いです。
(*目次をクリック頂ければ各項目に飛びます。)

◎発表時のスペース(録音)はこちら→第三回宮尾節子賞

***

金子彰子殿

糸魚川でひすいをひろう金子さん

いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている
                        
いじめ
差別
あらゆるハラスメント
たいまつをかかげて
過去をよく見て
昔はよかったにしない

人の話を聞き
いたみを分かち合い
他人事にしない
そうやって生きていくのが
当たり前と思い
持ち場を守ってきた
歴史は塵からできている
そう信じているから

軽い言葉を垂れ流す者
それを編集する人
どんな顔を隠して
その後ろにいるのだろう
本当のことを言わないことで
何を守ろうとしているのか

いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている

note/s.kaneco 2020年2月29日

「いつの間にかこんな国に生きている平和を願ってまだ生きている」
金子さん、おひさしぶりです。ひさしぶりにあなたの詩を拝見しました。以前とくらべて(井坂さんの金子詩評「説明を拝し、簡潔だけれど迂回路を好むので、そうたやすくは読み手の思い通りにはならない。」)さらっと用事をメモ書きしたような感じの作風に少しおどろきつつも、やっぱりいいなあと詩の景色をながめました。そして、読むうちにやはり貴女ならではのことばの奥行きに出会います。

歴史は塵からできている
そう信じているから

「歴史は塵からできている」こんなフレーズは金子彰子しか書けないのではないか。「さうして 悲しみにも陽があたる」と書いたのは吉原幸子だけど、あなたは塵を光らせる。歴史は塵からできていると知っている。陽があたることのない社会の片隅や低い位置から、漏れる吐息や嗚咽を漏らさず傾聴し、慈しむ眼差しがいつも見える。

こんな人がいればいいのになあ、いて見守ってくれたらいいのになあ。善いことばかりじゃない、善いひとばかりじゃない市井の暮らしを引っくるめて、引き受ける。個として見守る、見届ける。何か、行為することではなくて、ことばでならどこまでも寄り添える。どこまでも、ことばで受け留めること。詩歌や文学の救済はそこにあるのではないか。ほんとうはそれしかないのではないか。金子さんの書いたものを読んでいると、そんなことをふと感じる。とてつもなく、愛書家でよく本を読まれている。さっぱり書いても積み上げた文化の滋養が滲み出る。奥行きの深さ豊かさ、そしてことばから現れる景色の確かさに圧倒される。


金子さん、わたしが、はじめてあなたを知ったのは。二月十四日。そう、バレンタインの日の『二月十四日』というタイトルの詩集を読んでからでした。

金子彰子(かねこしょうこ)詩集『二月十四日』

いわし焼く夕方
「焼き方が足りんぞ」
その一言に堰がきれ
とめどなく嗚咽をもらす

涙の中をいわしが泳ぐ
              ――「二月十四日」冒頭

金子彰子「二月十四日」(部分)

金子彰子15歳の時の詩である。バレンタインの日に、「いわし焼く夕方」である。おまけに「焼き方が足りんぞ」と叱られている。チョコなんて甘ったるいものを吹き飛ばす、圧倒的な「いわし」にやられた。この日常を一歩も譲らない少女の頑固さがあっぱれだと思った。15歳の「生きさせろ」の裸の声が聞こえたようだった。昔鹿児島でいっとき暮らした頃、「バターをつけて食べるより、サツマイモには炙ったキビナゴが一番だ」と豪語していた鶴丸女子高生を思い出したりした。

金子さんは15歳の時、井坂洋子・荒川洋治選の第一回モロゾフ「愛の詩」の公募で、詩「二月十四日」にて特別賞を受賞されている。綺羅星のような巨匠二人の目利き詩人によって見出され、華々しい詩人デビューを果たしたのである。

『二月十四日』は、多くの玄人筋の詩人や書店員、出版人にたいへん反響があったようだ。この詩を読んで「すごく良いんだよ!読んだ時に鳥肌がたった」と絶賛した、龜鳴屋(かめなくや)主人が惚れ込んで、遂に2010年に金子彰子第一詩集が出版されることになったとのこと。金子彰子は、ラッキーガールである。

真四角の装丁も凝っていて、なんとも瀟洒で綺麗な仕上がり、手にしてしばらくうっとりした。さすが厳選良書出版社肝入りの詩集である。また発行部数もこの詩「二月十四日」に(詩にというか、日にというか)ちなんだ「限定214部発行」とどこまでも憎らしいほど洒落ている。出したくて出したくてたまりませんと出版社さんに惚れ込まれて詩集を出してもらえるなんて、そんな幸せな詩集はこの日本の詩集出版事情では奇跡のようなもの。夢のようなできごと。金子彰子第一詩集『二月十四日』はそんな幸運な詩集だとご本人はご存じだったろうか。ちなみに、龜鳴屋から「龜鳴屋とは」をごらんください(その心意気にもぐっときます)。

詩集には伊坂洋子詩人から以下のような跋文が寄せられている。

金子彰子の詩のことばは、濃厚にそこに生身の彼女が漂う気がする。基本的に呟きの詩だからだろう。しかも呟きなどという不確かなものに、景色や映像(イメージ)という画鋲を打つ。景色や映像が先に立つのではなく、まず気持の揺れがあり、それらが引き出されるのだ。

金子彰子の詩のポップな軽み、ことばのカッティングの冴え、言いたいことを八割方おさえる手法は、逆に新鮮で、好ましく愛らしい。
              ――「金子彰子の呟き」井坂洋子より抜粋。

金子彰子詩集『二月十四日』(龜鳴屋)

詩集出版の前に、金子さんの才能を知った玄人筋に「書かないなんてもったいない」と諭され、それではと、はじめたのが「Kanecoのブログ」らしい。はじめた頃の2009年には詩の掲載が多いが、エッセイというか随筆と言った方がいいような、事実史実に裏打ちされた文章も書き始める。それが何とも味わい深くて唸る。やっぱり、ただものではない景色を見せる。詩が見える。

さっそく詩人の清水哲男(故人)さんに文章を見染められて、彼が主宰するWeb個人誌「週刊ZouX」(現在は閉鎖)に2012年の10月から「レシピという人生の記録」の連載が始まっている。この連載の文章が魅力的で(連載時は写真もふんだんに使われた)わたしも毎回楽しみにしていた。作家や詩人たちの事実(スキャンダルを含め)に裏打ちされた下世話的にも、文学的にも、じんわりとボディーブローの効く、人間臭くて面白いドラマを描いてみせる。金子さんの文章は、人の景色がよく見える。

いくつか連載したものがブログにあるとのことで、教えてもらった。
わたしなんかが下手な言葉の羅列で説明するよりは、読んでもらったほうが早い。以下に少し、出だしとサイトのリンクをつないだので是非、読んでみてください。

盃をほした詩人
いつまでもコートをしまえないような気候も一段落したと思ったら、あわただしい年度末がつむじ風のようにやってきた。オズの魔法使いのドロシーよろしく急に新年度の平原に放り出されたかと思えば、もう桜が散りそめている。
こんな時期に読むと、しみじみとした気持ちになる詩がある。中桐雅夫の「会社の人事」は、勤め人なら誰しもどこかに持つ、あきらめてきたことどもへの哀感をうまく掬いとっている。
人一倍愚痴っぽい身の上としては、詩の前半の、酒席でクダをまく人のスケッチに苦笑すると共に「子供の頃には見る夢もあったのに/会社にはいるまでは小さな理想もあったのに。」の結びを見て、何となく生きてきてしまった越し方を省みることとなる。(抜粋)

「家なき娘」の春
長浜に遊びに行き、たまに立ち寄るお灸のショールームに寄った。いつもは、よもぎ茶を飲んで、手のツボに火を使わないお灸を貼って憩う程度の利用なのだが、今回は上岡龍太郎を彷彿とさせるきびきびしたお灸の練達が居たために何か様子が違った。「よく来てますー」とサービスの灸目当てのこちらの台詞には微笑みを返したお灸マスターは、「自分は血行はいいから灸なんて…」とお灸にてんで興味なさげな連れのほうをひっつかまえ、「あなたは眼が疲れやすいですよね。その負担が肩や腰にもいってますよ、全身はつながってますから」と、たちまち肩や肘にもうもう灸を据え始めた。全身を燻された体で「筋トレするから、筋肉痛だと思ってました」と、およそ身体の愁訴など言ったことのない人が、痛みの相談をしている…これもお灸の効果だろうか。(抜粋)

芋の皮むき今昔
映画『武士の献立』のパンフレットには、新井素子が観賞記を寄せている。言及しているのは、夫婦のありようについてだったが、依頼した人は、新井の近年の夫婦を題材にした作品を書いたものでも読んで思いついたのだろうか。新井素子のベストセラー作品を読んで学生時代を送った者にとっては、隔世の感を感じてしまった。
映画は、加賀藩に実在した御料理人の舟木伝内の残した「料理無言抄」をベースに撮られている。『大奥の食卓』(緋宮栞 那講談社+α新書)によると、加賀藩に能や狂言、茶、そして料理の文化が発達したのは、外様の前田家が、徳川に恭順の姿勢を示すため、饗応の宴を頻繁に行ったためもあるそうだそうだが、包丁侍と言われた加賀藩の御料理人制度は、明治維新前まで続き、舟木家は一七六十六年から六代に渡って料理方を務めたという。

ところで、金子彰子さんの詩集はこの世に2冊しかない。1冊目はさきほど紹介した『二月十四日』。そのあと2冊めは、『裸足』。

詩集『裸足』

プリントしたものをホッチキスで留めただけ、そして、この詩集は『二月十四日』を買ったひとにプレゼントされたのである。この詩集『裸足』については拙ブログに「詩族」として少し書かせてもらったのでよかったらご覧ください。収録されている詩「新春」がこれまたいいです。

新春

青空の下で
70の父は雪を割る
外葉をはぎとれば
この年の香気
雪の浮かぶ小川で
着ぶくれの子は声をたてる
母の手は塩粒で光り
行ってしまう日々を
爽やかに保存するため
瓶に沈めて
ひと息ついている
つけたては苦いと
いつものせりふを
柚子と挟んで
醤油をかけ回す

詩集『裸足』より

何度か、金子さんには朗読会(2014年12月/荻窪「6次元」)に出演してもらったり、Twitterの連詩(2012年/須永紀子・金子彰子・宮尾)にお誘いしたりしたが、それから戦争が始まったりして(というのは「明日戦争がはじまる」という詩でにわかに私がバタバタし始めてしまって)自分のことばかりにかまけて、金子さんともTwitterでつながっている安心からか連絡させてもらうことがなくなった。

金子彰子、この欲のない詩人。荒川洋治、井坂洋子、清水哲男という現代詩界隈では、大家の達人たちに太鼓判を押された才能をもちながら、今はのんびり糸魚川でヒスイ拾ってるような詩人。かといって、自己顕示の欲などなくても、パリに行かなくても、パリの本やパリの映画、パリの料理、パリの人やパリの文化は、いくらで手に入るし、目に見えるし、楽しむことはできる。

本や映画でいくらでも心は愉しみ、多くを学び、文化や思想を身につけることはできる。物はやまのようにあふれ、飛行機は格安で世界中とびまわれる、このご時世に――。それでも、金子さんは今ある場所で、地味に慎ましやかに、日々の生業を大事にしつつ、文化も余すことなく心の糧としてとりいれて、豊かなひとになっている。わたしは中身のいっぱい詰まった鯛焼きのように、文化のいっぱい詰まった金子彰子をみなさんにご紹介したいのです。わたしなどがご紹介しなくても、いずれ、その筋のちゃんとした人が再び彼女の才能を見出し、文学の歴史に名を残す日がくるはずです。でも、こんなご時世です。それがいつになるか、わかりません。

思い出します。安い便でアメリカに渡る時ときどき、飛行機がトランジットでハワイに立ち寄ります。いったん止まるだけで、外には出られない。その時、このハワイに意味はあるの?と思ったりしましたが。初めて食べたバナナマフィンの味は忘れません。この宮尾賞が金子さんがつぎの大陸へ渡るまえの繋ぎのハワイであることを願って、

市井に日々生きる人々の悲喜こもごも、かげひなたに、愛着と慈愛と慈悲をにじませるそのことば。金子さんのよい意味での大衆性を愛してやまない、その眼差し。

詩を書きながら、生きること、食べること、観ること、読むこと。
高価な専門書でなくても、少しがんばって働いて、少し倹約すれば、
手に入る書物や、その気があれば、出かけられる映画や小旅行で、得られる思いや景色で、ひとはこんなにも、内面を豊かにし、文化を享受して生きられる。その生き方を、ことばやたたずまいで見せてくれる。あなたの大きな旅の、
つなぎに、宮尾節子賞を贈らせてください。受け取ってくださるとうれしいです。

最後にこの人に書いてほしかった作家論を、ちゃんと書いていたんですね。
『佐藤泰志 生の輝きを求め続けた作家』(福間健二監修/河出書房新書:絶版)
に寄稿した金子彰子の筆の眼差しをごらんください。

手渡された光を見つめて
               
金子彰子
二〇〇九年の冬、佐藤泰志という作家を知った。
佐藤の遺作『海炭市叙景(かいたんしじょけい)』が、市民の募金で資金を集めながらも、町おこしとは全く違う方向で映画化されるいうことで、この作品に強い興味を持った。製作実行委員会の方に教えられ、クレインから出ている『佐藤泰志作品集』を取り寄せ、一読して何ともいいようのない気持ちになった。ごく当たり前の生活を、少しも美化せずに書きながら詩情がある。海炭市という場所の、どこにも出て行けない人々の暮らしを読んでいると、バブル景気をよそに、食肉工場や、郵便配達のバイトに明け暮れていた二十代の自分の生活を思い出す。なぜ、二十年前の自分は、この作家に出会えなかったのだろう。
「陽が水平線に顔を覗かせると、周囲に歓声が起こった。そして陽が空を押し広げるようにいっきに昇った時、人々のあいだに沈黙が広がった。口を噤み、真新しい太陽を見つめるばかりだ。」(『海炭市叙景』「まだ若い廃墟」)
鉱山が閉山になり、職を失った兄妹に輝く初日の出、妻と諍うガス屋の爪先を潰すボンベ、ひと夏の恋人を退屈のかなたに押しやり、ジム・ジャームッシュの映画を楽しみにする青年。読後、目に映るすべての人に物語が潜んでいることを意識せずにはいられなくなるという、視野の広がりをこの小説は読むものに与えてくれる。
佐藤泰志に繋がる人々の情報発信に耳を澄ませているうちに、自分もチラシを配ったり映画の情報をSNSで流すなど、いつしか「海炭市叙景の応援団」の末端に連なるようになった。
映画のクランクアップの知らせが流れた頃、実行委員の一人で札幌の図書館に勤める本間恵さんに、原作が映画化されるのに、どこかで文庫化されないものか、と聞いてみた。周囲の人に、映画の話をすると、佐藤泰志の作品に興味を持ってくれるのだが、クレインの本以外は流通しておらず、古書はひどく高い。
「クレインさんが編んで下さった『佐藤泰志作品集』には(海炭市叙景も)収録されているのですが、彼の作品は芥川賞(候補?)5作(うち三島由紀夫賞候補一作)ともに絶版文庫化もされてません。」と本間さんは答えてくれた。佐藤泰志の作品の復刊については、さまざまな人が何度も試みて、そのたびに知名度のない作家の復刊は難しいというハードルが行方を阻んだという話を後で聞いたが、その時は何も知らなかった。ただ、遅れてきた読者としては、これだけの作品を残し、読者に愛されたから?こそ映画化もされる作家の作品が、一冊も文庫化されていないという事実に驚き、それを自分だけが知っていても勿体無いと思い、SNSで流すことを本間さんに勧めたのだった。
今、手元にある『海炭市叙景』(小学館文庫)の最終ページには、「小学館文庫版『海炭市叙景』刊行にあたり、以下の方々の多大なご協力をいただきました。記して深く感謝します。」という他ではあまり見たことのない謝辞がついている。実は、ここには、佐藤泰志の愛読者の起こした奇跡が隠されている。
二〇一〇年四月九日の北海道新聞に「きっかけはツイッター」として記事にもなった出来事である。先の会話の後、本間さんは、SNSに熱意のこもった復刊の願いを投稿した。その記事は、書評家の目に留まり、リツイートされた記事が、佐藤泰志と同郷で、高校の後輩でもある編集者のもとへ運ばれた。そして、記事を書いた5日後、エイプリルフールの日に、『海炭市叙景』が文庫化になるという俄かには信じがたいニュースを聞くことになる。
北海道新聞の記事には映画「海炭市叙景」の製作実行委員長の菅原和博さんの「映画制作の目的は、函館の財産である佐藤泰志の再評価。今後、復刊の動きが盛り上がればうれしい」という談話が載っている。文庫化が決まった後、「多くの方が、文庫を買って下さって、ほかの絶版も復刊されたらいいなぁ。私の願いはそれだけです。」と、当時、本間さんも語っていたが、結果として『海炭市叙景』の文庫化は、ものすごい勢いで、佐藤泰志の読者を増やした。翌年には同じく小学館文庫から『移動動物園』、そして河出書房新社から『そこのみにて光輝く』、『きみの鳥はうたえる』、『大きなハードルと小さなハードル』の文庫化が相次ぎ、単行本の『もうひとつの朝佐藤泰志初期作品集』も刊行された。
佐藤泰志の復活は、全国津々浦々で文庫を手にした読者によってなされたということを思うと、形容しがたい感動で胸が熱くなる。そして作品の文庫化に際しては、北海道新聞に佐藤泰志の長女、朝海さんのこんな言葉が寄せられている。「主婦の朝海さんは、今振り返ると、「父が生きていれば」と思ったことが一度だけあった。大学卒業後の進路に悩んだ22歳のときだ。作品の中にその答えがある気がして古書店を回った。だが、本は見つからず悲しさだけが残った。あれから10年。『海炭市叙景』に続き、『移動動物園』など4作品が4月以降、小学館などから相次いで復刊される。父の本が日本中の書店に並ぶ。そのことがうれしくてならない。」
作家は苦しみながら書いた。、家族をも精神的に追い詰めたと聞く。作家が世を去って、十年ほど後に、詩人の北川朱美は『死んでなお生きる詩人』(思潮社)の中で、佐藤泰志の足跡をたどって、末尾近くにこう書いている。「傍若無人な分だけ気が弱く、掛け値なしの才能を抱えながら、孤独が命運だった佐藤に、神は芥川賞を与えるべきであった。「僕が文学で受けた傷は、賞を取ることではとうていつぐなえない」とまで言った佐藤だが、賞を得ることでどれだけ生きのびられたか。」このように、同時代の作家から惜しまれた才能も、そこからまた十年、「こんな地味な作風は今の世の中には受けない」という理由で、長い間陽の目を見ることはなかった。実際、自分自身も、映画の「海炭市叙景」のチラシを配っている途中、原作に対してのこういう声は、幾度となく聞いた。しかし、結果的には、何万もの新しい読者がどんどん現れ、その後の復刊の後押しをした。佐藤泰志の娘さんに父上の忘れ形見を次々と届けることになったのである。
最初に手にいれたクレインの『佐藤泰志作品集』を読んだ時に、とりわけ印象に残った作品は「虹」だった。
地方に住んで、平穏だが退屈な村の資料館の仕事に倦み、廃屋に住んで常識から外れた生活を選んだ父親に苛立つ男が、ゴールデンウィーク前、恋人に都会へ出て行くと宣言をする。その男の前に、幼馴染の潤一を追って、都会から女が現れる。
「並んで僕の車まで歩いた。彼女とそうしていると、それだけで自分がひきたつような気がし、自然に僕は無口になった。きっと潤一もそんな感情を何度かいだいたに違いない。」
女は、都会生活の象徴として現れたのだろうか。美人なのだろうが、雰囲気だけで、人物像ははっきりとは分からない。ただ、「ええ、あなたの住んでいる都会に住むんです。仕事を見つけて、新しい生活をはじめますよ」と切り出した青年に、「好きでもない人たちが住んでいる都会で、どうやってあなたは暮らすつもり?」と告げるのだ。
佐藤泰志は、故郷を出て、平成二年十月八日にこの「虹」を書き上げ、翌日編集者に原稿を渡し、その夜命を絶った。「カーブを曲がった。渓谷とその向こうの山々が視界に広がった。息をのんだ。とてつもなく大きな虹がかかっていた。眼を見はった。」平成二年の十月といえば、自分の誕生月でもあるので覚えているが、祖父の一周忌の法要に出かけるバスの中で大きな虹を見たことを覚えている。そのせいか、この遺作を読むと、十代で詩を商業誌に書き始めたものの、その後、発表の場を見つけられず、都会に行けば何とかなるのに、と焦れながら、そのうち書くことを止めてしまった二十一歳の自分の姿も甦ってくる。
繰り返しになるが、なぜ、当時、佐藤泰志に出会えなかったのだろう。佐藤の小説を読んでいたら、自分の立っている場所こそが、かけがえのない光に満ちているのだと気づくことも出来ただろうに。
今回、作品集を再読して、次のような言葉に行きあたった。「書ければそれでいいというものではないが、書かなければそれでいいということでは決してない。寡作でいい、などというのは単純な思いあがりだ。一生に一度、傑作がかければいいと思うことは、美しい望みだが、たかだかそんなもののために、一生を使うのは、馬鹿馬鹿しいことではないか。」(『佐藤泰志作品集』「夢みる力」)。作家が残した作品を読むと、どんな場所に生まれたとしても、人はあるがまま生きるしかない、それなりの望みと夢をもって、という声が聞こえてくるようだ。佐藤泰志、復活。読者が待っていた作家は、あなただったのだ。
『佐藤泰志  生の輝きを求めつづけた作家』福間健二 監修 ( 河出書房新社)
に寄稿したもの。

佐藤泰志のへの金子さんの心底からの愛が込められている
佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家 福間健二 監修

「どんな場所に生まれたとしても、人はあるがまま生きるしかない、それなりの望みと夢をもって、という声が聞こえてくるようだ。佐藤泰志、復活。」「読者が待っていた作家は、あなただったのだ。」金子さん、わたしもまた一人の読者としてあなたを待っている。そして、それはわたしだけの思いではないはずだ。

善きことば持つ、善きひとの、あなたに――
贈らせてください。

金子彰子 プロフィール


金子彰子さん

1969年、岐阜県生まれ。10代の頃に創刊された『鳩よ!』への投稿がきっかけで詩作を始める。井坂洋子、荒川洋治選の第一回モロゾフ「愛の詩」の公募で、詩「二月十四日」で特別賞受賞。井坂洋子『ことばはホウキ星』(ちくま文庫)に収録。2009年に「ピッポとオカタケさんのおすすめポエムショー」でこの詩が取り上げられたことから、詩作を開始。手作り詩集を各地の古書店のご厚意で置いてもらう。10月、京都の古書店善行堂で金沢の出版社龜鳴屋を識る。2010年『二月十四日』を刊行。 2014年『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』(河出書房新社)にエッセイ「手渡された光を見つめて」寄稿。同年、宮尾節子氏と現代詩手帖の共同企画Twitter連詩に参加。2015年『現代詩100周年』(TOLTA)に「August2015」を寄稿。現在はTwitter@000214上で詩を書いている。kaneco.hatenablog.comには、過去の詩作品と2012年から2014年にかけて清水哲男氏の電子個人誌ZOUXで週刊連載した「レシピという人生の記録」を収録。


金子さんがヒスイをひろいながら眺めたという冬の海、しっかり今ここもそして彼方も見据える
彼女の眼差しを感じる一枚だ

最後に最近作をお願いしたら送ってくださった詩の中からひとつを。
短い身の丈の言葉で、現在の社会状況を刺し貫き、深くて強い意志が見える。

金子彰子さん関連サイト

*金子さんのTwitterアカウントはこちら→s.kaneco
*金子さんのブログはこちら→Kanecoのブログ
*金子さんのnoteはこちら→s.kaneco

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樽恵美子殿


演者への拍手も宴への料理も惜しまないこの両手

いつもパンクなファッションに身を包み、機関銃のように喋る恵美子さんは賑やかな人である。彼女のまわりにはいつも人が集まっている。それもそのはず、彼女は人を集める人なのだ。この人と思ったらこの人と、あの人と思ったらあの人とブッキングして、この店とターゲットしたお店で移動式「スナックえみこ」の看板を出す。そして、四季折々や、訳有り有りの食材でいくつもいくつも手料理をつくる。

カウンターに入って手料理を披露中

歌、パフォーマンス、演者と演者、演者とお店の、縁結び(ブッキング)も恵美子さんの得意技。

どんな人たちの舞台を<スナックえみこ>で招いたの?いちど、きちんと尋ねてみたかったことを、今回教えてもらってたまげた。以下が彼女がいつもの機関銃トークでいっきに、列挙・紹介してくれた方々(ママ)である。

ピアニスト、イーガルさん 。ギタリスト、 伝説のバンド〈じゃがたら〉のebby(えびー)さん。シャンソンシンガー 若林圭子さん。パンクバンド 亜無亜危異・アナーキーのギタリスト、藤沼伸一さんのユニット。 アナーキーのベースの寺岡さんと、タイマーズ(忌野清志郎のバンド)のドラムのショウジマルさんのバンド。 テリーマルテラーズ ギタリスト、澄田健(すみたたけし)さん。ギタリスト、扇田裕太郎さん 、原始神母という、ピンクフロイドの本気のトリビュートバンドに参加している方。大阪在住、車椅子のブルースマン、口石一人(くちいしかずと)さん、 障がい者の音楽コンクール、ゴールドコンサートでグランプリ取った人です。湯川れい子さんに表彰してもらってた! 。SAX岡村トモ子さん 、チャラン・ポ・ランタンのバンド、 女性のみのビッグバンド・たをやめオルケスタのリーダー。 NY在住、三味線、お琴もスゴい、そして素晴らしいジャズ・シンガーの金子すみえさん、世界中で、活躍されている方です。
ミュージシャンはこんなかんじ…

ヨーヨー世界チャンピオンの、 yoyoTommyくん。スタンダップコメディアンで、大道芸人でもある、 だめじゃん小出さん。 セクシーDAVINCHさん バーレスクダンサーのチーム。紫ベビードール アイハラミホさん 。そして、若林美保さん、わかみほさん! マルチパフォーマー! 現役のストリッパーでもあり、 女優、ダンサー、 サーカスパフォーマンス的なこともできるスゴいお方!
パフォーマー界隈はこんなかんじ…

アンバーランバーは、 ギターとベース、ボーカル森永Judyアキラちゃん と 山本征史さん のユニット。アキラちゃんのウイスキーボイスと呼ばれる歌声最高。 山本さんは、日本のヘビーメタル界隈で活躍してきた方!
あと、大道芸の大物! 加納真実(かのうまみ)さん、日本の宝のパントマイミストで、オンリーワンなのです。 この方を観る前に、死んではいけない… パフォーマー界隈ではもうレジェンド!あと、にきちひろゆきさんの朗読。
イーガルさんと あやちクローデルさんは長年のユニットでーす。


<スナックえみこ>出演者のみなさん

えみこさんYouTubeより(澄田健さん×わかみほさん)動画

えみこさん YouTubeより(イーガルさん×岡村トモ子さん)動画


恵美子さんと<スナックえみこ>の演者たち

音楽を愛し、文学を愛し、演芸を愛し、人を愛し、お店を愛し、お酒を愛し、食べること、料理を作ることを愛し、それらを、巡り合わせてくれる。演者も、お店も、お客さんも、楽しませてくれる、あちらからこちらへと、賑やかでパンクで情にもろい「スナックえみこ」飛び回る。普段はOL、週末スナックえみこ・ママに変身。

あの人はすばらしい!あのお店はすばらしい!とひとの宣伝は機関銃のようにまくしたてるのに、あるとき。そんなにたくさんの舞台を成功させてきたんだから、まとめて本でも出したらどう?と訊いたときの、えみこさんを忘れません。ぴたっと止まったのです。表現者と表現者をつなぐことはあっても、自分が主役になることは夢にも思ってなかったようです。あの何を言ってるのかわからない、というきょとんとした顔を忘れません。

しばらくSNSで彼女の投稿がないときがありました。いちどだけ、病室が写り、眺めよいという話のアップがあり。びっくりしていたら、どうやら、大病をされていたようです。

あとで聞くとたったひとりで随分たいへんな思いをされたようでした。コロナ禍ということもあり、孤独で苦しい闘病生活があったようで驚きました。

弱音を吐かないひとなので、それを聞き出すだけでもなかなか大変でした。こんなに人と人を結び、演者に舞台を与え、お店を繁盛に導く、OL仕事が本業だから、これはわたしの愉しみだと言い切る彼女。その愉しみのおかげでどれだけたくさんの人が嬉しい思いをしたかわかりません。さっきあげた演者さんの数だけでも想像できるでしょう。

それなのに、病気とはたったひとりで立ち向かい闘っていた。困ったひとの助け方はうまくできるのに、自分が大変なときの助けてもらい方が下手なひと。恵美子さんのもうひとつ姿を知らされました。

わたしも、素晴らしいお店の舞台に立たせてもらって詩を朗読し、イーガルさんの素敵なピアノとも出会えて演奏をしてもらったり、彼女のおかげでお店のひとや多くの演者の方、お客さんと顔見知りにもなれた。

たのしい思いをたくさんさせてもらったのに、あなたがたいへんな思いをしているときに何もできなかった。悔いが残りました。よいときも、わるいときも支え合うのが仲間なのに。ふたたび、元気になったあなたを見てほっとしています。そして、愉しみのなかにあなたという人間の利他業があったことを、思い知りました。

人と人、人と店、音楽と音楽、そしてさまざまな演者のパフォーマンスを――
わたしが紙の上に詩を書いて見せるように、あなたはお客さんを呼んで舞台上でそれを見せてくれます。ひとがいて、ばしょがあって、おきゃくさんがいてくれて、はじめてすべての、表現の舞台の幕はあがるのです。手料理つきで<スナックえみこ>がひとりで、それを全部やりとげて、ひとびとに愉しみと笑顔を与えてくれるのです。

えみこさんがひとり看板背負ってわたりあるく「スナックえみこ」の舞台も、
わたしがひとり看板背負って届ける小さな「宮尾節子賞」も似たもの同士かもしれません。ますますのご活躍とご健康を願って、スナックえみこの恵美子さん、あなたに、第3回宮尾節子賞を贈らせてください。受け取ってくれるとうれしいです。

樽恵美子 プロフィール

樽恵美子さん

東京都あきる野市出身。 幼少の頃より、文学や舞台など、様々なアートに親しむ。 「才あるステキな方々との出会いが多く、仲良しになれている」ことに気づき、2013年頃より、東京・高円寺を拠点に、自身のイベント〈スナックえみこ〉を始動。 年間10回くらい、カフェ、Bar、そしてライブハウスなどで、「お酒を飲んで、おつまみを食べて、ステキなパフォーマンスを観て、みんなで楽しい時間を過ごす」イベントを、主催している。 〈スナックえみこ〉には店舗はなく、「えみこがいるところ」これがすなわち〈スナックえみこ〉! 「魅力ある!と思ったこの人とこの人を、出会わせたい」と閃いたアーティストをブッキングし、見ていただきたいと思ったお客様をお呼びし、お酒に合うおつまみを自ら作り、当日の進行まで執り行う。 出演アーティストは、ミュージシャン、役者、そして大道芸パフォーマーなど、様々なジャンルの方々。 時には出演者同士、出会ったその日に共演していただく流れとなり、「〈スナックえみこ〉ならでは!」の、稀有でステキな展開となる。 「ステージを観慣れていない方に、この素晴らしさを伝えたい」 「自分が出会った素晴らしい方々(お友達)が、楽しく交流する場を作りたい」という思いのもと、不定期ながら今後も続けていく予定である。

「スナックえみこ」の看板と演者の仲間たち

これからも、OL仕事の傍で「スナックえみこ」の看板と文化貢献の使命を痩せた両肩に背負って、「すてきな演者はいないかー」「すてきなお店はないかー」「すてきなブッキングはできないかー」「おいしいものはないかー」と東京中を元気に奔走する、にぎやかでパンクで愛情いっぱいのエクボのお姉さん樽恵美子とその仲間たちをどうぞよろしく!

ときどき誰かさんも混ぜてもらってます
愛棒パディントン君とえみこさん

樽恵美子さん関連サイト

*えみこさんのfacebookアカウント→Emiko Taru
*えみこさんのTwitterアカウント→えみこ emiko
*えみこさんのYouTubeチャンネル→emiheartbeats16
*<スナックえみこ>最寄店
 ・東新宿 Bar 音海(おんかい)→Bar 音海
 ・神田 ショウジマル→LIVE SPACE THE SHOJIMARU
 ・四谷三丁目 Con ton ton vivo→CON TON TON VIVO
 ・吉祥寺 ブラック・アンド・ブルー→LIVE BAR BLACK AND BLUE
 ・渋谷 サラヴァ 東京→saravah Tokyo(現在閉店)


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白須靖之殿

「こもれびおこし」第一号コナラのそばで、夢とシャボン玉をふくらませる白須さん

あなたを、はじめて見たのは白いワイシャツにネクタイのいかにも市の職員さんという姿でレジュメを配る「飯能市職員勉強会」でしたでしょうか。この勉強会も「飯能市職員を中心とした有志の勉強会です。」としながらも「 興味がある方なら、どなたでもご参加いただけます。」と一般のものにも開かれた形でfacebookに情報が公開されました。「え?職員の勉強会に一般人もウエルカムなの?」とちょっと驚いて、少しうれしい気持ちもして、それならと魅力的な講師を招いての勉強会に、一度参加した覚えがあります。

その時「白須(しらす)」というきれいな名前の記憶と、せっせと会場でレジュメを配る真面目で清潔な職員さんのイメージであなたの印象が残りました。今にして思えば、一見固そうな会や催しに控えめながら「どこか風穴を開ける」開けようとしている意志を見え隠れさせながら、いつもあなたは立っていたような気がします。

二度目は、映画でした。「このまちに映画館があればいいのになあ」とよく思っていたので「商店街で映画やってるよ!」と知り合いに教えてもらったときはびっくり。さっそく、詳しく聞いて参加することにしました。映画館といってもまちのワーク&シェアスペース(「Book mark」)の椅子や机を寄せたり並べ替えたりしての「上映会」でした。

上映の様子

その名も「Bookmark Cinema Club」月に一回上映でドリンク付きです。
「8月の上映会では、浅煎りのルワンダ産スペシャリティコーヒーをエアロプレスで抽出」なんてドリンクレシピも告知されます。

コーヒー+αも…

映画が終わるとギャルソン姿?の白須さんが丁寧に淹れてくれたスペシャル珈琲をいただきながら、映画の感想などをそれぞれが交わし合うのです。

わたしが行った時は「バンクシー」の映画だったかな。だいたい白須さんのチョイスで、まちをたのしくしたり、面白くしたりの映画が多かったかな。わたしの好みの映画も結構かかりました。

という訳で、あれっと気になる場所にはなぜか白須さんが登場するのでした。市の職員さんなのに割とカジュアルな動きができるひとだなと感心しましたが、何科に属する人かよく知りませんでした。それが、ついに知る日がきたのです――

少し別の話を入れます。外国の街の写真をみると街と木々とが溶け合って暮らしています。街のひとびとは木々を大切にし木々は木洩れ日や木陰で人々を休ませる。

それなのに、日本ではどうも街路樹が嫌われる。信号が見えづらい、落ち葉の掃除が大変だ、根上がりして歩道が歩き難い……などなど。負の面ばかりが強調され、年々街路樹は、切り倒されはせずとも、枝はつぎつぎ切り落とされまるでトルソーの彫刻か、生木の柱が並んでいるような痛々しい扱いだ。同じ思いをしている詩人の動画をみた。ベルリン滞在中の詩人の伊藤比呂美さんがベルリンでの街路樹の扱いや、市民の思いや対処の仕方が、まるで日本と違う…と語っているものだ。

街路樹の状態とそれに対するベルリンの市民の反応が、非常に面白かった。
「日本とぜんぜんちがう!」「ぜったい木を切ろうとしない」というか
「邪魔だから木を切ってしまえ」という考えがない。この動画を見た時のわたしのツイッターです。ざっくり書き出すとこんな感じだ。

日本はどうしてこうも木に冷たいのだろう。新緑の頃の若葉の爽やかさ、夏の暑い時の木陰の涼しさ、また木漏れ日の美しさ、紅葉の頃の明かりが灯るように色づく葉っぱの明るさ。おまけに、わがまちは森林文化都市とまで歌っている。緑のまちだ。山もいいけれど、まちなかにももう少し緑があればいいのに……。ものいわぬ木々の存在がどれだけ、ひとを癒してくれてるだろう。葉っぱが落ちるのは、年に一度のごめいわくなのになあ。街路樹が大切にされているさまざまな外国のことをうらやましく思っていたところ――なんと

またしても、白須さん登場なのでした!

ひとびとがコンクリートの街であれこれ知恵をしぼって「まちおこし」にとりくんでいるご時世に。ひとり逆風に立ち向かうように、鋪道のレンガを掘り起こし、木を植えて「こもれびおこし」に立ち向かう男がいました。

シェアスペース「BookMark」の前のレンガを掘り起こして
植えられた最初の一本のコナラ
(わたしは、白須1号と勝手に呼んでいる)
小さなこもれびが壁に降りている。

白須靖之とこもれびおこしの仲間たちです。

白須さん、今日も明るい日を浴びてすくすくと育っているコナラの若木、こもれび1号(白須1号と勝手に呼んでます^^)の前途を祝して、あなたに宮尾節子賞を贈らせてください。受け取っていただければ幸いです。

白須靖之 プロフィール

白須靖之さん

1974年生まれ、山梨県富士吉田市出身。飯能市役所土木技師。 大学卒業後、民間建設会社で10年間コンクリートと土いじりに明け暮れながら、結婚を機に埼玉県飯能市に居を構える。2008年に単身赴任からの解放を求め通勤時間5分の飯能市役所へ転職。なんとなく職場では珍しい存在的ポジションに。 2009年、㈱高田造園設計事務所の高田宏臣氏に出会い、樹木と自然環境の再生に開眼。これまでのコンクリート人生を後悔し土木に対するアプローチが変わる。 高田氏が提唱する土中環境にかかわる活動を『こもれびおこし』と名付け、実験的活動を細々と実践しつつ、行政として心地よい都市空間づくりと土中環境との融合を模索している。 趣味は養蜂と養鶏と空き店舗活用。

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「落ち葉あります」白須さんのfacebookより

「落ち葉あります」この書き込みにもぐっときました。思わずわたしも、
「言葉あります」と真似っこしたくなりました。(カラーコーンも借りて。^^)

日夜わがまち飯能をやさしく、たのしく、住みやすくと駆け巡る
白須靖之さんを、これからもよろしく!

まちづくりもこの手さばきで^^

白須靖之さん関連サイト

*facebookアカウントはこちら→白須靖之
*こもれびおこしプロジェクトのアカウントはこちら→こもれびおこし
*ときどきまちの映画館のアカウントはこちら→BookmarkChinemaClub
*飯能市職員勉強会(一般参加も可能)アカウントはこちら→飯能市職員勉強会
*有志の集まる活動拠点のシェアスペースBookmarkのアカウントはこちら→Bookmark

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今回は初めて特別賞を設けました。

第一回宮尾節子賞 特別賞

村田活彦・淳子殿

ご結婚おめでとう賞です
ステキなおふたりに心よりの祝福を

村田活彦さんと淳子さん。いい笑顔でしょう?
ポエトリースラム・ジャパンを立ち上げ日本代表を海外に送り出すきっかけを作った村田活彦さんと朝のリレー詩で爽やかな詩のツイキャスを続けている淳子さん。

ご結婚は昨年の11月22日(いい夫婦の日)。ツイッターで報告があるとみるみるたくさんのお祝いのことばがTLに並びました。わたしはふたりの結婚の知らせとふたりの笑顔の写真を見て、これは「特別賞」だなと決めました。特別賞は宮尾節子賞のVIP席におかれます。その席はみんなの胸の奥にあります。胸の奥で、いつもとはいいません。よのなかもふうふなかも、そんなにあまかない。でも、ときどき眠る前とか、けんかした後とかに、このうれしい笑顔を思い出して
灯(ともしび)としてください。

詩はつくるものです、ないところから。ときには、詩のみえないところから。
ひとりの、詩はあると、しんじた手から。
幸せもまた、つくるものだとおもいます。これからは、ふたりの手で
(ないとかんじるときも、みえなくて泣きたくなるときも)
あると、しんじた、ふたりの愛の手で。

きょうのいい笑顔に、なんども、なんども
もどってきてくださいね。おめでとう!

わたしにとっても、大切なふたりです。
宮尾節子特別賞を贈ります。受け取ってもらえると
うれしいです。

ふたりの住んでるまちには福がある

村田活彦・淳子プロフィール

村田活彦
 出版社勤務を経て、ポエトリーリーディング活動を始める。2015〜2019年には詩の朗読日本選手権大会「ポエトリースラムジャパン」を主催し優勝者を国際大会に送り込んだ。朗読ライブ、poetry reading tokyoでの国際文化交流、ワークショップなど。twitterスペースにて「#朗読居酒屋活」「#偏愛詩歌倶楽部」それぞれ月イチ配信。CD『詩人の誕生』発売中。

村田淳子
地域で看護師をしながら、2018年9月から「あられ工場」というペンネームで活動しています。米菓工場の吹き寄せ部門を舞台にした物語詩を書いているのが名前の由来ですが、もちろんそれ以外の作品も書きます。毎週土曜の朝(気が向いたとき)に、ツイキャスにてオープンマイク「#朝のリレー詩」を主催しています。

村田活彦・淳子関連サイト

*村田活彦ツイッターアカウント→村田活彦 | poetry reading tokyo
 poetry reading tokyo主宰
*村田淳子ツイッターアカウント→あられ工場
 朝のリレー詩主催

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以上を持ちまして2022年第三回宮尾節子賞のご報告をおわります。

おかげさまで回を重ねるごとにみなさんにご注目頂きありがたいことです。

今回はなんと胎動レーベルikomaさんと平川綾真智さんのご協力を得て
第三回宮尾節子賞発表スペースを開催させていただきリアルな発表となりました。
アーカイブ(録音)も残してもらいましたので、上の記事と合わせてお聞き頂ければ幸いです。受賞者のかたがたも登壇くださるというレアな回となりました。

長時間おつきあいいただき感謝です。

◎録画の模様はこちらです→2022第三回宮尾節子賞発表スペース

ありがとうございました!どうぞ、よいお年を!!

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クリスマスイブということで、私も最後に「クリスマスツリー」という詩を
朗読しました。聞いてくださってありがとうございます!

*クリスマスツリー 宮尾節子

すべての悲しみが喜びにかわりますように。
メリークリスマス!

みなさんと宮尾節子と

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