職人の娘
「いち、にい、さん、しい……」何をしてるの?とたまに家族に言われることがある。「数を数えているの」と答える。依頼された雑誌の文字数を数えているのである。文章(詩ではなく)を書くときは毎回、これから始まる。知り合いの書き手に聞いたことがある。「一行の文字数は幾つですか?と先方に尋ねるのに、何というか。おとなな、聞き方ない?わたし、職人の娘なので、中身より(あはは)みば(見栄え)にこだわるの。へんなところで一行が終わったり、へんな文字で始まったりしてると吐きそうになるし、蕁麻疹がでそうになるの(ちょっとオーバー)」
「なら、組版教えてください。って聞けばいいよ」とのこと。くみはん、ねえ。ようわからんまま、それ以後教えてもらった通りの、コピペのセリフで先方に聞くと。なんと「何段、何行、何文字」ときちっと先方が教えてくれる。ありがとう、書き手の友達。こういうささやかなことの躓きが結構多い。事務のバイトに行ってた時も、封筒に貼るための10シートぐらいの切手を渡され「これ、全部舐めるんですか!?」と仰天して、上司に尋ねたことがある。上司のほうがもっと仰天していたが「舐めたかったら、お好きにと」笑いながら言って立ち去った。
「舌がもつか……」と困っているところへ。そっと「これで」と今も忘れやしない若草色の綺麗なガラス器を目の前においてくれた優しい先輩。ガラスの中には水を浸したスポンジが鎮座している。おお、これが道具というやつだね。そんなこんなで、人間ほんとうに困っているときは、誰かだいたい助けてくれるもんです。
そうそう書きたかったことは、そんなことじゃなくて。ツイッターで紹介されていた。2020年9月12日の、静岡新聞の「大自在」を見たからです。これは技ありです。プロフェッショナルな、職人技を感じます。ほらね。行末侮るべからずです。
「やまない雨などない。われわれは自由のために闘う全ての人を応援します。」 恐れいりました。「縦読み(ここでは横読み)」という遊びらしいです。折句(おりく、 英: acrostic)詩として詩人でも見事な作品を見せてくれているのが山田兼士さんかな。
⽻曳野
⼭⽥兼⼠
そのままよ⽉もたのまじ伊吹⼭(芭蕉)
そのかみヤマトタケルが⽩⿃になって⾶来したとされる
のはらを⾒下ろす⾼台 畿内⻄⽅の町 遠望する⼆上⼭
まるで神話時代そのままの眺望タケルの故郷は⼭の向う
まるで⾵景の裏側のように左雄峰に右雌峰その彼⽅から
ようやく越えてきたのだ傷ついた翼で だが⾶び過ぎた
ついに故郷に還ること能わずさらに⽻を曵き野の上空に
きえた魂の残像よ 恨んではいけない伊吹⼭の神の⼒を
もうすぐ還暦を迎える僕が故郷から遠望した岩⼭は今も
たまに⽊枯をもたらし時には雪も運んでくるがそれでも
のはらに涼⾵を運ぶ夏もあり折々に冬籠りを勧める事も
まつお芭蕉を魅了した⼭容は⼋幡神宮⿃居前からの姿と
じつは最近知った故郷の芭蕉記念館を訪れてその場所は
いまは観光⽤に整備された廃港 昭和の初め頃は⼩⾈が
ぶつかり合うほどにぎっしり並んでその⾈伝いに⼤川を
きしからきしへ渡って学校に通ったものだと亡⽗の昔話
やんだ右半⾝をかばいながら左⼿で⼀升瓶から酒を注ぐ
まもなく還暦その残像が⽻を曵く野は伊吹にも⼆上に
山田さんには大自在に負けない、詩人技を見せていただきたい。期待してます。
職人技には学ぶことが私はたいへん多いです。「クラフトかアートか」工芸品か芸術品か、はよく話題になります。わたしは実際大工職人の娘なので、職人さんをリスペクトしつつ「言うことを聞かない娘」だったことも付け加えておきますね。
うふふ。