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第三回 宮尾節子賞と受賞のことば

みなさま。こんにちは。

昨年12月24日に、第三回宮尾節子賞を発表させて頂きました。
今回は金子彰子さん、樽恵美子さん、白須靖之さんと。特別賞を村田活彦さん・淳子さんペアに贈らせていただきました。おめでとうございます。

ささやかな個人の賞ですが、回を重ねるごとにご注目をいただき感謝です。
今回は、胎動レーベルのikomaさん、詩人の平川綾真智さんお二人のご協力をいただきツイッター・スペース(録音機能)にてライブ発表という豪華な回となり盛り上げていただきました。ありがとうございました。*スペースアーカイブはこちら

今日は受賞者のみなさんに「受賞のことば」をいただきました。

年末からお正月にかけてみなさん、大変お忙しい時におことばを寄せていただき
恐縮です。それぞれの場所で、それぞれのスタイルで、命を輝かせている、
みなさんのことを、多くの方々に知っていただければ幸いです。

まずは、五名の受賞の声をお聞きくださいませ。
(敬称略)

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金子彰子

このたびは、第三回宮尾節子賞を頂戴して、大変ありがたく、嬉しく、喜びを噛みしめ噛みしめこの受賞の言葉を書いています。
特別支援教育に6年、障がい福祉の現場で23年働いてきましたが、仕事柄ということもあり、2022年は、パンデミックの中で、立ち尽くす恐怖を味わい、明日が見えない中で、ようよう暮らしを繋いでいくという、「未曾有」という言葉を身体で知った1年でした。

移動も人と話すことも制限され、あまりにも笑うことが少なくなったので、この半年は、今までの人生で全く観ることのなかったM-1を、予選からずっと観て、無理やり笑うことにつとめてきました。ところが、漫才も文芸なのであたり前ですが、そのうちM-1の出場者が、文学に惑い悩む人々に見えてきて、笑えなくなり、決勝戦は固唾を飲んで観る始末で、笑えたのは男性ブランコだけでした。
脱線が過ぎましたが、賞をもらうには、M-1とは言わずとも、日頃の切磋琢磨が必要だと思いますが、2010年から今までに1冊しか詩集を出していない自分に、賞をいただけたのは、いつまでも幻の詩人でいていけないという喝をいただいたようにも思われます。

宮尾さん、本当にありがとうございました!
精進を約束して受賞の言葉を締めくくらせていただきます。

金子彰子プロフィール

1969年、岐阜県生まれ。10代の頃に創刊された『鳩よ!』への投稿がきっかけで詩作を始める。井坂洋子、荒川洋治選の第一回モロゾフ「愛の詩」の公募で、詩「二月十四日」で特別賞受賞。井坂洋子『ことばはホウキ星』(ちくま文庫)に収録。2009年に「ピッポとオカタケさんのおすすめポエムショー」でこの詩が取り上げられたことから、詩作を開始。手作り詩集を各地の古書店のご厚意で置いてもらう。10月、京都の古書店善行堂で金沢の出版社龜鳴屋を識る。2010年『二月十四日』を刊行。 2014年『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』(河出書房新社)にエッセイ「手渡された光を見つめて」寄稿。同年、宮尾節子氏と現代詩手帖の共同企画Twitter連詩に参加。2015年『現代詩100周年』(TOLTA)に「August2015」を寄稿。現在はTwitter@000214上で詩を書いている。kaneco.hatenablog.comには、過去の詩作品と2012年から2014年にかけて清水哲男氏の電子個人誌ZOUXで週刊連載した「レシピという人生の記録」を収録。

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樽恵美子

宮尾節子さんと出会って、6~7年経つでしょうか。 じわじわ仲良くさせていただいておりまして。 自分に起きたエピソード、そして自身の思いなどを話す機会にも恵まれ、このやさしくいいかんじの関係を、常々ありがたく思っておりました。 しかしながらまさかの「宮尾節子賞」受賞とは、華麗なるびっくり! 年末より、ちょっとざわざわセワシイ日々を過ごしておりまして、実はまだ、「ありがたすぎて恐縮だけれど、あまり実感がなく…」という気持ちなのです。

~アートは、ほんとの表現は、人を助ける~ コロナな世の中になってからか、改めて「人はいろんな時期がある」ということを思います。 個人の問題、世の中の問題、想定外の思わぬ展開にびっくりして、荒っぽい気持ちになるの、タイミングは違えど、みなさま体験することなんだよなぁと。 アートは、表現は、人を助ける。私はそのことを知っています。 様々なアーティストの表現に助けていただいて、私は生きて参りました。 〈スナックえみこ〉の原動力は、「アートへの恩返し」そして、「必要な人に届きますように!」という思いなのです。

この度の受賞に関して、節子さんから「どんなときでも味方がひとりいるぐらいに、賞のことを思っていただければ幸い」というおことばをいただきました。 宮尾節子賞! 「下降からの上昇、そしてなお高いとこまで行ってしまう、そう、まるでトランポリン!」 そんなモノを手に入れたような気がしています。 親愛なるせっちゃん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

そして、この度の受賞で、私のことをうっすら知ってしまった方々・・・リアルに出会える日を心待ちにしています。

樽恵美子プロフィール

東京都あきる野市出身。 幼少の頃より、文学や舞台など、様々なアートに親しむ。 「才あるステキな方々との出会いが多く、仲良しになれている」ことに気づき、2013年頃より、東京・高円寺を拠点に、自身のイベント〈スナックえみこ〉を始動。 年間10回くらい、カフェ、Bar、そしてライブハウスなどで、「お酒を飲んで、おつまみを食べて、ステキなパフォーマンスを観て、みんなで楽しい時間を過ごす」イベントを、主催している。 〈スナックえみこ〉には店舗はなく、「えみこがいるところ」これがすなわち〈スナックえみこ〉! 「魅力ある!と思ったこの人とこの人を、出会わせたい」と閃いたアーティストをブッキングし、見ていただきたいと思ったお客様をお呼びし、お酒に合うおつまみを自ら作り、当日の進行まで執り行う。 出演アーティストは、ミュージシャン、役者、そして大道芸パフォーマーなど、様々なジャンルの方々。 時には出演者同士、出会ったその日に共演していただく流れとなり、「〈スナックえみこ〉ならでは!」の、稀有でステキな展開となる。 「ステージを観慣れていない方に、この素晴らしさを伝えたい」 「自分が出会った素晴らしい方々(お友達)が、楽しく交流する場を作りたい」という思いのもと、不定期ながら今後も続けていく予定である。

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白須靖之

私の人生で詩人との接点を持つなんて。詩はおろか小説すら読まないに等しい自分にとって、言葉の世界と自分との接点などほとんどないようなもので、宮尾さんとは近所のかっこいいおばさまとのたまの会話を楽しんでいるような間柄。詩人宮尾節子のことはほとんど知らないというのが正直なところなので、受賞を知ったときはなんで私が?との思いでした。 そんな私にも宮尾さんを詩人としてはっきり意識した瞬間がありました。

私が取り組んでいる街路樹は、道を通る人にとっては木陰や季節の風景をもたらしてくれる善とされる反面、近隣住民にとっては伸びる枝や落ち葉に悩ます悪とされ、さらにそれを管理する役所にとっては安全や景観、コスト、苦情などなど複雑な要素が絡み合う中でバランスをとらなくてはならない厄介者。切っても怒られ、切らなくても怒られるのが街路樹です。 そんな街路樹に対して私が意識しているのが「煩わしさ」。煩わしいことから逃れようとすると楽になるかもしれませんが、なんだか空虚になってしまうと感じています。煩わしいことこそが豊かなことなんじゃないか、そんなことをいつも考えています。

そんなある日、それも駅前交差点の立体交差化を求める声に対する考えをまとめていたそんな時に「ここは、人と人のやさしい心が通い合う あたたかい わがまちのほこり」とうたう『ゆずりあい交差点』と出会いました。 「あぶない!どうにかしてくれ」という声にどうかそのまま、だってその方があたたかいじゃない、とうたう詩が街路樹の煩わしさにも重なり、機能性や効率性を追い求める都市計画にモヤモヤしていた私を理解してくれているようで、接点などないと思っていた言葉の世界と私自身とがつながったように感じられる瞬間でした。 なので、そんな宮尾さんから街路樹の取り組みを評価していただいた宮尾節子賞は、これからの私へのエールと受け止めています。

まだまだ街路樹の取り組みは小さなものですが「人と人のやさしい心が通い合う あたたかい わがまちのほこり」となることを目指してこれからも公私混同で取り組んでまいります。宮尾さんの愛とエールに感謝です!

白須靖之プロフィール

1974年生まれ、山梨県富士吉田市出身。飯能市役所土木技師。 大学卒業後、民間建設会社で10年間コンクリートと土いじりに明け暮れながら、結婚を機に埼玉県飯能市に居を構える。2008年に単身赴任からの解放を求め通勤時間5分の飯能市役所へ転職。なんとなく職場では珍しい存在的ポジションに。 2009年、㈱高田造園設計事務所の高田宏臣氏に出会い、樹木と自然環境の再生に開眼。これまでのコンクリート人生を後悔し土木に対するアプローチが変わる。 高田氏が提唱する土中環境にかかわる活動を『こもれびおこし』と名付け、実験的活動を細々と実践しつつ、行政として心地よい都市空間づくりと土中環境との融合を模索している。 趣味は養蜂と養鶏と空き店舗活用。

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村田活彦・淳子

宮尾節子賞特別賞ありがとうございます夫婦対談 

村田活彦×あられ工場

活彦:僕が宮尾さんに初めてご連絡した時のことって…
あられ:知ってる知ってる、パリにいた時ね。
活彦:日本でどんな詩が読まれているか聞かれて、ちょうどそのとき『明日戦争がはじまる』が話題で。宮尾さんとは全く面識なかったのに連絡とって、翻訳で紹介したいんですって伝えたらすぐ返事をくれて、なんて親切な人なんだ!と。そのあと日本に戻って、宮尾さんが出演された震災復興支援のイベントにご挨拶に行ったら「あなたが紹介してくれたのね」って両手で包むみたいな握手をしてくれて。アイドルの握手会も目じゃないくらい感動したんだよね。
あられ:その握手会がきっかけでPSJに来てくれたの?
活彦:握手会じゃないよ!(笑) そのあと僕が始めたポエトリースラムジャパン(PSJ/詩の朗読日本選手権大会)をずっと応援していただいたんだよね。
あられ:私が宮尾さんの朗読でいちばんインパクトあったのは「ウエノポエトリカンジャム6」のステージで、長い紙をどんどんめくりながら読んでいくやつ。娘はそれを見て「魔女」って言ったんですけど(笑)。
活彦:正直こんなに親しくしてもらっているのが不思議になる時がある。例えばラ・メール新人賞最後の受賞者ということとか、詩の大きな流れを感じるんだけど、それに対して実際にお会いした時のフレンドリーさはなんなんだろうという。
あられ:なんか詩集の中にいる人じゃない気がして。ずっと社会の中で発信し続けているというか。震災後、福島の詩人会のイベントに来られたのを私、聴きにいったんだけど。福島で看護協会の仕事をしてるときだったから、県内を車走らせながら「こんなところまで講演に来られるんだ」って。

活彦:宮尾さんの詩で、瓦礫を運び出すやつがあるでしょ(註:「石巻ボランティア日誌」より「三.道をつける」)。バケツリレーの要領で瓦礫を受け渡していくときに声をかけ合って、それが「言葉の発見」だと気づくという。これはもう宮尾さんじゃなきゃ書けないんじゃないかと思ったの。詩を書くこととボランティア活動することが直接つながってる。
あられ:だから非常に説得力があるなって思うし、それは別に被災地での活動だけじゃなくて、宮尾さんが関心を持ったことは自分が出向いて行くみたいな、そういう力があるなって。
活彦:そんな宮尾さんから賞をいただいちゃったんですよ。どういうことですか(笑)。これ特別賞で、何かやったことへのご褒美じゃないじゃん。ただふたりでいただけで賞をもらっちゃったという。こんなに誇らしいことはないよ。
あられ:ほんと思いがけない賞で。ただそのとき「生きてるんだな」って思ったんですよ実は。社会の中で仕事して、気がつくとすごく疲弊して感情もなくしてみたいなこと、たまにあって。自分が機械のパーツなのかと思ってしまうくらい。でも、宮尾さんへのお礼に送った文のなかで書いたんだけど「いま見つめ返してくれる、手を握り返してくれる、抱きしめてくれる、不器用だけど詩のように言葉をかけてくれる。そんな人が私にはいる」って。なんか宮尾さんを通してあらためて、感謝する相手がいるっていうのを実感したかな。

活彦:何もしないで賞をもらったって言ったけど、唯一あるのは僕らが一年ちょっと生活を一緒に過ごしたってことだろうね。
あられ:社会生活を送っているとか婚姻関係を結んでいるとかじゃなくて、もっと違う部分。お金を稼いだり子どもを育てたり、誰かの役に立つとかケアするとか、そういう役割の中で自分の存在を実感することはできるけど、「ただ生きる」ってすごく難しいなって思う。「いい詩を書きましたね」とかではなくて「あなたたち夫婦でいるっていうことはいいことだから」っていう賞は、そうそうもらえないんじゃないかって。
活彦:少し前に自作の短歌をツイートしたんだけど
生まれたし生きてるんだしご褒美になんでも好きにやったらいいよ
っていうの。いい仕事をしたとかのご褒美は当然あるけど「生きてるだけでご褒美もらったっていいじゃん」って気持ちがあって。その数日後に宮尾賞もらったので、え、めっちゃシンクロしてない?って思った(笑)。しかもそれは大事な人がいて、ともに生きていくっていう。当たり前のようで当たり前じゃない。
あられ:ひとりだと感情を表出する機会も減っちゃって、自分の中で感じたことをうまく出力しないまんま、通り過ぎていっちゃう感じがあるんだよね、仕事とかしててもさ。

活彦:言葉にしないと自分の感情にも気がつかなかったりするしね。
あられ:そうそうそう。疲れているんだか嬉しいんだか…。
活彦:なんかすごいね。宮尾さんに賞をもらうってこういうことなんだね。いろんなことを深いところから考えるきっかけになってる。俺らにとって。
あられ:この先もこの賞がすごく意味を持ってくると思って。誰かのためじゃなくて、自分たちのペースで、自分たちが楽しいと思えるからこそやれることをやっていく。どうしてそうしようと思ったのか、迷ったときも立ち返れる原点なんじゃない? ずっと後ろから支えてくれる賞なんじゃないかなと思った。
活彦:賞というか、宮尾さんそのものだよね。
あられ:私たちの不器用な部分もよくわかっていて、贈ってくれるところもありがたいなって思うんだよね。
活彦:ワタワタしてるのにね(笑)。いつも「どうするどうする」って。
あられ:電車のポイント切り替えじゃないけど、スマートに切り替えていける人は電車も揺れないと思うんだけど、そういうの下手だなあと思うし。
活彦:盾までもらっちゃったからね。ケンカできない。いやするけど、ケンカした時に思い出すのはいいかもしれない。
あられ:うん。だって宮尾さんもそう言ってるもん(笑)。
活彦:この盾は家のわかりやすいところに置いておこう(笑)。

                 (2023年1月 夫婦デート帰りの電車内で)

村田活彦・淳子プロフィール

村田活彦 出版社勤務を経て、ポエトリーリーディング活動を始める。2015〜2019年には詩の朗読日本選手権大会「ポエトリースラムジャパン」を主催し優勝者を国際大会に送り込んだ。朗読ライブ、poetry reading tokyoでの国際文化交流、ワークショップなど。twitterスペースにて「#朗読居酒屋活」「#偏愛詩歌倶楽部」それぞれ月イチ配信。CD『詩人の誕生』発売中。
村田淳子 地域で看護師をしながら、2018年9月から「あられ工場」というペンネームで活動しています。米菓工場の吹き寄せ部門を舞台にした物語詩を書いているのが名前の由来ですが、もちろんそれ以外の作品も書きます。毎週土曜の朝(気が向いたとき)に、ツイキャスにてオープンマイク「#朝のリレー詩」を主催しています。


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*みなさん、素晴らしい受賞のことばをありがとうございました!

みなさんのおことばを拝読しながら、これはみなさんを讃える賞なのに、やたら宮尾節子が出てきて(名前を冠しているので当たり前のことではありますが…)これじゃあ宮尾節子ショー(show)じゃないかと、正直焦ったりしておるのですが。
ここは今更引きますまい。わたしにもみなさんにもWお得な賞ということで腹を括って、みなさまからのおことばをわたしも有難く頂戴して、日々精進いたします。お陰でわたし自身の糧にもなる生きてる人間の賞って最高ですね(果報者です)。ありがとうございます!個人のささやかな賞ですが、熱い思いをこめて一所懸命贈らせていただきました。受け取ってくださって感謝です。そして、この賞がみなさんの明日の一歩のきっかけになってくださる、そんな一言を見つけるたびに胸が熱くなっています。みなさんがこの賞を次なるステップアップへのステップ(踏み台/踏み絵だって構やしない、力いっぱい踏んでもらって)にしてくださること。そして目指す場所へと軽やかに飛び立っていただくことを切に願っています。そしてしんどい時には、あなたには宮尾というヘンテコな味方が一人ついていることを、ちょっと思い出して笑ってくださいね。

おめでとうございます。ありがとうございます。

では、ごきげんよう

宮尾節子

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第三回宮尾節子賞について


宮尾節子賞について



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