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夜明けの台所より愛をこめて

「KOTOBA Slam japan 2022 全国大会」本日、見届けました。

優勝者は、道山れいんさん、おめでとうございます!!

私ごとです恐縮ですが、先週の日曜日国会前のフェスで寒風の中、伊達の薄着でシャウトして、風邪をひいてしまいました(このややこしい時期に風邪など…との向きもあるでしょうが、ゾクゾクにクシャミの連発、はい。コロナもインフルエンザもあるのですが、古き良き?風邪もちゃんと存在しております。)。しかし…

何とか、KSJファイナルには恒例の物を持って、元気で会場観覧したいと大事に大事をとって安静にしたおかげで、無事元気に駆けつけることができました。うれしかった。とはいえ、白熱の5時間を総覧するのは病み上がりの身には少々きつかったですが(笑)。あっという間といえば、あっという間の5時間でした。
優勝のれいんさんにお祝いの今年のボジョレーとうまい棒レイをお渡しして、今年はひと言も添えて…ということで。お祝いのメッセージをお伝えして、早めに帰ってきました。そして、帰ってお風呂に入ってすぐ寝たのですが、みなさんの凄い熱気の余韻にやられたのか、昂奮して寝つけません。なので、こうして、本日ファイナルを拝見して、思ったことなど、手が動くままにつらつら書いています。

代表の三木悠莉さんがおっしゃっていましたが、優勝の道山れいんさんは、コトバスラムジャパンの前身ポエトリースラムジャパンの頃より出場されていた、いわば古株です。わたしも覚えています。確か今はジャーナリストとして世界の現場に駆けつけてリポートを発信、活躍されている大袈裟太郎さんが出場されていた頃かな。ちょっとキザなセリフとお名前(笑)そして、あの帽子を見た記憶があるんです。それも、何年前の何年が二桁になるほど前ではないでしょうか。間が空いたときはあると言われていましたが、それほど前から、ずっと――つまりは、何回、何十回敗退しても、挑戦し続けて、今日の彼の優勝があるのです。

 帰り道に池袋駅で「年末ジャンボ10億円」を買いました。ひとつだけわかっていることがあります。宝くじの単純な秘訣。買った人しか当たらないこと。買えばそのひとつのチャンスを得ることになります。――何が言いたいか。コトバスラムも同じです。チャレンジした人のみがパリの切符を手にいれるのです。宝くじはほとんど外れます。そして、スラムの競技も優勝者はたった一人、ほとんどが敗退します。わたしは、詩人たちがパリに行くのを見届けたくて、ずっと昔から応援してきました。そして、長い年月の間にたくさんのチャレンジする詩人たちを見てきました。そして、「この人は凄い!」と震え上がったり「この人は伸び代があるな」と次回を期待したり「この人が優勝してもおかしくなかったな」と残念がったり「来年もぜったい聴きたい」と願った詩人、達人がたくさんおりました。でも、残念ながら、彼ら、彼女らは、2度、3度。あるいは、4回、5回挑戦したあと、みんな舞台から消えていきました。この舞台でその姿をもう観ることはなかった。

それも、そうでしょう。詩人たちは、感受性のひときわ強い、神経のひときわ細い、繊細で傷つきやすい、妖精やトロルのような人たちばかりなのです。びしばし身も心も鍛えに鍛えて、「どんとこいや」でマッチョなスポーツマンとは、土台がどだい違うのです。そういうデリケートで生きづらい人々が、詩というさらに命と心を削った作品を発表して、負け続ける試練に、どれだけ耐えられるでしょうか。いや、どれだけ耐えねばならないのか――。魂の叫びを、いったい何度叫び続け、敗退し続けねばならないか。こうして書いているだけでも、つらくなってきて「もういいよ!もう戦わなくていい。十分だ」とタオルを投げてあげたくなる。

でもね。テキストの話に変わるけど、出回ってる詩の雑誌で、いちばん賑わってるのは投稿欄だ。なぜかというと本欄と違って投稿欄は誰にでも開かれているから。作品が優れていて、運が良ければ掲載されるから。投稿欄はおのずと登竜門の役目を果たす。私が知ってるだけでも多くの詩の雑誌が、生まれてはいっとき賑わい、やがて消えていった。消えていくのは、なぜだと思う? それはいろんな事情があるだろうから、一概には言えないけど。消えていったある雑誌の、主催者が言っていたことばが、心に残っている。「載らないとみんな離れていくんだよね」そういうことかと思った。SNSであからさまに「俺の名前載ってた?載ってたら買うけど」というやりとりも実際見たことがある。「載らないなら買わない」これだろう、いちばんは。詩誌が潰れていく、原因の――。詩の発表場所がない、本屋にも詩の本がない。ひいては、それらの原因もここに繋がるのだと思う。自分の居場所をなくしているのは、よくみれば自分たちだという、皮肉な現実(からくり)。

 たった一人しか選ばれない、けれど。そのたった一人を選ぶ舞台は、その他大勢のものが支えている。ここがキモ。たった一人しか10億円は当たらない、けれど。そのたった一人の10億円をプレゼントしているのは、その他大勢のものたちだ。わたしが選ばれないから、負けるのがこたえるから、辞める。その他大勢がそう言って、いっせーのせで辞めれば、築き上げてきた私たちの舞台は、あっという間に終わるのだ。舞台に立つ時、舞台上の自分とその舞台を支えてる自分を忘れない人間だけが、最後に笑うのだ勝利を手にして――。

ずっとずっと、支え続けてきた(そして負け続けてきた)きょうの
道山れいん君のように。おめでとう!


 このことは、われわれの身を置く世界でも同じだと思う。負け続けている自分が、降りた時にこの世界も終わると――。それも、忘れないでね。

           ***

滋味たっぷりの語り口、絶品でした!もういちど道山れいんに大きな拍手&
ブラボー!!

            ***

*みなさんのパフォーマンスを一通り見て思ったこと。個人の感想ですが、元気のよかった出演者も終盤になると、だんだん失速してきたこと。それがたいへんもったいなかった。やっぱり声は、はっきりしっかり届いたほうが有利だ。内容が良いのに声が弱い人、声はしっかりしているけれど(世界を相手にした時)内容が弱い人。声も内容もいいのにだんだん失速してきた人(おいどうした!といいたいほど)。時事や社会問題に関しても正論・一般論をぶつだけでは説教ぽくて鼻白む、そのことばをどれだけ我が身に引きつけ我が身のことばとして引き受け血肉にして、世界に対峙しているか。自分の生活やわが身が裂けて滲みでてきたようなものでないなら、ちょっと言っとく程度なら時事ネタは避けたほうがいいかなと。やっぱり、勝とうが負けようが、これだけは譲れないものがその人から突き抜けて、現れ出た瞬間が、いちばん輝くしいちばん美しくていちばん強いと思った。ということは、これだけはの6篇か7篇(ぐらいで全国いけるでしょう?)を、しっかり準備してそれを磨き上げ、途中で失速せずに、最後までやり切ったものが勝ちではないか。へたに新しいものを次々作ろうとするより、少しでもうまく自分が出せた作品を、毎年毎年、なん度もなん度も磨き続けて完成させることに、賭けたほうが自分自身の内面の達成感にも、ひいては優勝にも近いんじゃないかと思いますよ。

 以上、コトバスラムジャパン2022の5時間を鑑賞して、昂奮して眠れなくなってむっくり起き上がって、ひと息に書きました。ながながとえらそうに御免ね。

 あ、もいっこ。全体に失速感がもったいなかった気がした決勝戦で、敗者復活のゾンビ枠から勝ち上がった、のむらはるな(同郷じゃないか!)さんがダントツに輝いていました。「よさこい踊りにきてみいや!」の宣伝もばっちりきまってました。また、がんばってコトバスラムにきてみいや。

と、南風ニーナさんの爽快感もはんぱなかったし(ブラボー!と思わず)、
男衆は大輪の予感が蕾で朽ちたのが無念だった(ひとつ向こうを見て、がんばってほしいなあ)。今時代がこうだから、暗い系で攻める人もちょっと損だったかもしれないね…暗さの底で底光りしてやる、なんなら底板を突き破ってやる!ぐらい、がんばれ!

 いろいろ、言ったけど――

 はっきり言って、ほんとは誰が優勝してもおかしくなかった

 本日の全員のさらに磨き上がった姿を来年も、拝見したいです!



        あなたたちの最高のおかげで眠れなかった、
           深夜から夜明けに掛けての台所より愛を込めて

                                宮尾節子

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