ただのはしりがき。読む価値無し。読むな、後悔するぞ。

【報告】
私、来年アメリカで農業します。
海外農業研修で、アメリカにいきます。
有機野菜とか、CSAとか、めっちゃ学びたいんです。アメリカで。農業の技術は日本まじ最高だと勝手に思ってる(だって日本の農産物美味すぎるし)けど、ビジネス面でみたらアメリカの農業ビジネス、すごいと思うんです。ってか、そもそもさぁ!!CSAで会員何百人もいるのに回ってるのすごすぎだしさぁ!!アメリカからみた日本の農業とかも気になるしさぁ!!!ってか、アメリカからみた福島とかも気になるしさぁ!!!ってか、アメリカが私を呼んでいる気さえしてるしさぁ!!っていう、そんな気持ちがあってこれに臨むことにしました。

学生生活の中で、すごく人脈が広がって、北海道と福島には"いつでも待ってるよ"って言ってくれる人が沢山できました。農業しながら大切なひとときを過ごして、自分を好きになれた。たくさんの学びと愛情をくれた地域の人達になにかお返しがしたい。そんな気持ちがどこかにあって。でもそれができないのがもどかしくて生き急いでるところもあったのかもしれなくて。

私はきっと、福島のために、まずは頑張るのがいいのかもしれないです。
北海道にいるとき、移民に優しい文化があるからか、私のことを家族みたいに受け入れてくれてこの感じすごく居心地がいい、好き、楽しい、離れたくないって思うこと沢山ありました。北海道の地域おこし協力隊いいな、楽しそうだなって思うこと何回かありました。けど、楽しいだけでいいのかな。私が思うように動けるのは周りの協力があってこそなのに。って、考えて。
すごく技術が高くて私が尊敬している大好きな花農家さんが赤字と後継者がいなくなったことで離農しちゃって、そのあとほかの大規模農家さんが土地を買い取ることになって、また大規模になって大変になって。そんな話を聞いた時になにか役に立てないかなって思いました。農業インターンをしてみようかなとかも思いましたが、その農家さんもう離農しちゃってるし、難しいなって思って。でも、強いて言うなら卒業後この大学の農業コース生で農業もっとやりたい私みたいな子がいれば、繋げてあげられるように、なにか残してあげたい気持ちくらいはあります。笑パンフレット作りたいんですよね。。
で、次。福島の話。私が拓大に入ったのは福島出身の父から地元の少子高齢化が深刻だという話を聞いたから。シャッター街の話、葬式場の話、学校の統廃合の話。父の出身地域だから、祖父母がここで教員をしていたからある程度人脈が作れる。けど、それより先にやっぱり大熊町に関わりたい気持ち。震災があって、原発事故があってたくさんのことを乗り越えてきた大熊町は私のこと受け入れてくれた。この町、農業なんて全然できっこないくらい回復するのが大変で。最近ようやく復活してきてる。少しずつだけど。風評被害とかは一旦なしにして。
なんでもいいからこの町にできることをしてほしいって。若い人に来て欲しいって。原発事故のイメージじゃなくて、もっと違うこと、この街の魅力に目を向けて欲しいって。私になにができるかな?海外からみた福島ってどんな感じ?ちょっと気になる。こんなところで農業やっても儲かるわけないって感じするかもしれないけど。でも、喜んでくれそうだな〜って思うんだよね、、この先のことなんて全然わからないけど。

アメリカでCSA(これ卒論にしてる)の研究を少し続けたい。消費者と生産者がめっちゃ近く繋がれる仕組みで、これを福島で始めたらどうなるかな?農業しながら、福島のこと、みんながおもってるのとは違う魅力を伝えられるようになるかな?ちょっと考えたいです。

以上ー!ほんとに読む価値なかったっしょ!
じゃ、ばいばーい!

※今更公開したけど、これは出国前に書いたお話。今でもその思いは変わらなくて、記録としてとどめたくて、公開しました。

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