見出し画像

汗疱を克服した話 その2

転勤に先立って、その1で紹介した薬。更に医師から処方されたステロイドとクリームの銘柄を記録して、転勤先でも同じ薬が買えるように準備しました。

症状を食い止めるのには、特にコーフルとビオチンの合わせ技が効いていたと思います。

特に私はお酒を飲むので、アルコールの摂取によってその分解にビオチンが使われて、ビオチン欠乏になって、何たらかんたらとネットでみたので試してみたんです。

この方法は症状抑制によく聞きましたから、根本療法の方法に行き着くまでは、この方法がメインの対処療法でした。

転勤先でも、まず皮膚科で皮膚の診断、細菌検査、アレルギー検査。

全て行いましたが、わからずじまい。

別の内臓疾患と、歯の詰め物の金属にアレルギーを真剣に疑い始めます。

歯に関しては結構な本数を治療済みでしたので、全てセラミックに変更するにはかなりの金額がかかります。

嫁に相談しますが、高いと真剣に取り合ってくれません。こっちは真剣に悩んでいるのにと思いますが、これが根本療法という確信がないのに保険がきかない100万円以上の治療をするのはなかなか踏ん切りがつきません。

歯のセラミック化は諦めて、他の方法を探ることにしました。

原因は複合的に絡みあっていることを疑い、手汗、石鹸、シャンプーなど手に関する要素は全て試しました。

ネット情報では、かのタモリさんがやっていたとの情報もある、お湯シャンです。

要はシャンプー使わないんです。要は界面活性剤を使用しないということですね。

お湯の温度が油分を溶かすんでシャンプー要らない。適度な皮膚の細菌を落としきらないという目的もあるとかないとか。

石鹸も使わずにお湯シャンを1ヶ月程試しましたが、何も改善は見られませんでした。

2013年 夏。足にまで汗疱が現れる。
相変わらずコーフルを手に塗りたくって、ビオチン飲んで手袋はめてました。ある朝、ベットで靴下を履くときに足の裏を見たんですが、例の水泡が土踏まずの土手から親指側の付け根にかけて大量に出来ているのを発見しました。

愕然としました。多少の痒みは感じていましたが、ここまで進行しているのかと、、

まだ、痒みの症状は酷くなかったので気付きませんでしたが、これはいよいよ仕事やその他の生活に影響してきそうな絶望感で目眩がしました。

このような精神的な事で、仕事を休んだのは初めてでした。

枕を涙で濡らし、このまま残る人生を一生この謎の病気と付き合っていかなければならないと思うと、自然と涙がこぼれ落ちてきたのです。

人間って精神的な事で目眩がしたり、倒れたりしてしまうのですね。

この時に実感しました。鈍感さには自信がありますがこの時ばかりはどうしようもなくなっていました。

藁にもすがる思いでこの時期はワセリンも併用していました。コーフルと交互に使ったりしていました。

これもネットから情報を得て有効だとの報告があったので試していました。

ワセリンは何か分厚い膜のようなものもので守られている感じがして、安心感がありました。薬効には期待できませんでしたが、コーフル同様一定の効果を発揮したと思います。

皮膚にやさしいと思いベビーワセリンを使っていました。普通のワセリンに比べて重たくない感じで良かったと思います。

しかしながら、対処療法としては機能しますが、症状は根本的な改善の兆候が見られず、時間だけが無情に過ぎていきます。

無情にもこの時期に支店の責任者に昇進させられます。東京と大阪の行き来もあり責任者としてのプレッシャーもあり私の豆腐のメンタルも崩壊寸前です。

この頃から瞑想も始めました。

精神的にはかなり効果があったと思います。

瞑想の話は時間がある時また別の記事でしたいと思います。



2013年 秋。変化を感じる。

この頃になると、この謎の病気と向き合っていこうと思う時期に入ってきます。

瞑想の効果もあるのかもしれません。

塗り薬、手袋などは当たり前のように生活の一部となり、出張、旅行などにも欠かせません。痒みに対する対処。塗り薬のタイミング。痒み止めの飲み薬。その対処方は多岐に渡ります。

症状は悪いながらもなんとか精神を持ちこたえて病気と共存していたそんな秋口のとある連休。

横浜のクライミング仲間が長野県の小川山という日本のクライミングのメッカとも言える場所にキャンプに行くので来ないかと声がかかりました。

転勤前、汗疱が悪化するまでは毎週のようにその仲間達とクライミングに行った山です。

転勤したばかりで大阪にクライミングのパートナーもいなかった私は、久々に思いっきりクライミングがしたいと思い。大阪の転勤先から車で8時間、長野県は川上村へと出発したのでした。

しかしこの外岩でのクライミングは手の皮を酷使します。

チョークを使いますし、ヌルヌルの手では上手に登れませんから、薬は塗れないですし、何よりまだ汗疱の原因が掴めない状態でクライミングで手を酷使するのはいかがなものかとうのもありました。

しかし久々の友人達に会いたい気持ちもあって、キャンプだけでも良いかと出陣する事に決めたのでした。
今思えば、この偶然の判断が汗疱克服へのターニングポイントになったと感じています。


2013年秋。キャンプ地での症状良化。
クライミングキャンプは3泊でした。

季節は正確には9月の下旬で、キャンプサイトやクライミングスポットは標高1700m以上。夜半には冬の始まりを感じさせるくらい気温が下がります。

私の汗疱の症状や痒みは冬に和らぐ傾向があり、これもキャンプに参加する動機の一つとなっていました。

キャンプサイトには営業小屋がありお風呂がありますが、真夏で汗をかかない限りは3泊程度では私達は昔からお風呂には入りません。

小川山では普段からクライミングを終えてテント場に戻ったらすぐ宴会です。

そんな時でもチョークを落とすために手を洗い塗り薬も欠かせません。

しかしながら、食事の調理などあるので、あまり塗り薬は使いませんでした。

ただ最終日の前夜、皆に会えた事が嬉しくて、酔っていましたが、みんなを誘って小屋のお風呂に入ったんです。

温泉ではなく沢の水を引き入れて沸かしているだけのお風呂でしたが、なんとも気持ちよくお風呂に久々に入ったもんだと今でも印象に残っています。

3泊のキャンプを終えて家路に着く頃にはあまり痒や症状の悪化は感じなく、いつもより症状が和らいでいました。

帰りの車の中、また平日が始まるのかと思うと憂鬱で、手の汗疱のことを考え始めたのですが、この4日間は特に手の痒みを感じなかった事に気付きました。

帰りの車で手の状態を観察して見ますが、いつもより症状か改善しているようにも見えました。

「明確に症状が良くなっているな、、、何故だろう。。。」

しばらく考えながら車を自宅へと走らせたのですが、途中で考えることを忘れて大阪へと戻ったのです。

しかし、この時から当たり前だと信じてきた都市生活環境に対して私の注意が向き始めたのでした。

その3へ続く。

いいなと思ったら応援しよう!