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近所の神社で小学生の頃の自分に戻ってみる
帰省するたびに実家の近くにある神社に足を運んでいる。
お参りというよりは、散歩のついでに寄って写真を撮っている。
神職が常駐していない無人神社だけど、氏子や近所の方々によって結構綺麗に手入れされている。
僕が小学生の頃はこの神社の前の道が通学路になっていた。
周りは田んぼだらけだったし、夏は夕方になるとカエルの大合唱が聞こえたものだ。
今では神社の周りも宅地化が進み、住宅街の中にポツンとある雑木林みたいな感じになっている。
亡くなった祖父はここの氏子だったけれど、縁起も何も聞かされていないので、この神社がいつからあるのかすら分からない。
詳しく分からないけれど、明治44年の3月にこの水盤が置かれ、100年以上水を湛えていると考えるのがロマンじゃないか。
水面に映る空が高い。
参道沿いにベンチがいくつか置かれている。
周りは枯れ紫陽花ばかりだし、日当たりが良いわけでもない。
いつ訪れるか分からない利用者を待ち続けているベンチは、どこかシュールな雰囲気を纏っている。
神社を訪れると必ず注連縄を撮ってしまう。
小学生の僕がこの通学路を歩いていた時から20年以上経って、今はこうしてカメラを手にして同じ神社にいる。
時代は流れ、懐かしい景色はどんどんなくなっていく。
人も街も変わり続けるものだから、それは仕方がないことかもしれないけれど、こうして変わらずに残っている場所も存在する。
たまにこの場所に来て、小学生の頃の気持ちに戻ってみるのも悪くない。