見出し画像

レンズとの出会いは突然訪れるから

「ああ、またやっちまった」
かの有名な蛇倉正太の言葉である。
この汎用性が高い言葉は僕の人生における転機に必ずと言って良いほど現れる。


東京都写真美術館で開催されている「覗き見る」まなざしの系譜展を訪れた。レンズを通して覗き見ることが最先端の娯楽として存在していた時代に触れ、僕は無性にカメラのファインダーを覗きたくなった。
カメラ・オブスクラ!
覗くことにより見ることができる切り取られた、あるいは閉じ込められた世界がある。

僕が所有しているカメラはレンジファインダー機か背面液晶のみのファインダーレスのカメラばかりだった。
Leicaに魅せられた者にありがちな防湿庫の中身。
素通しのガラスファインダーに浮かぶブライトフレームや背面液晶は、現実世界から写真として切り出す範囲を画するフレームにすぎない。
今の僕はもっと「レンズを通して覗いている感」が欲しい。
EVFに何も表示しないモードってあるじゃない?あんな感じ。

物価が高騰し続ける昨今において給与アップも望めない中、今更一眼レフ機なんかを衝動買いできるはずもなく、苦渋の選択としてSIGMA fpに後付けする電子ファインダー(EVF-11)を導入しようと検討を始めた。
そういえばビソフレックスのⅢ型を持っていましたね?Leicaのレンズを通した光を直接網膜に取り入れることができる刺さる層には刺さる最高にイカしたファインダー。
だがレンズがない!
ELMAR 65mm欲しい!

新宿西口のマップカメラでEVF-11が装着されたfpLを5分ばかり触ってみてた。ファインダーの見え方はまぁこんなものかといったものだったけれど「fpのコンパクトさをスポイルする」と批判される装着後のフォルムは、現物を見てみるとなかなかびっくりする。僕の財布の紐を固くさせるには十分だった。

fpの隣に置いてあったLUMIX S5Ⅱを触って「何この便利カメラ?!」と驚いた。
Leicaだフィルムだと古いカメラばかり触っている間に日本のカメラはこんなにも進化した。
市場規模が縮小する中でオワコンと呼ばれるデジタルカメラだけど、メーカーの意地のようなものを感じた。
LマウントだからSIGMAのレンズ使えるよね?欲しい。

EVF-11の導入見送りが濃厚になり、僕は暗い気持ちで東口へ向かった。
レモン社には行かなかったのかって?あそこに行くと必ずフィルムを買ってしまうので医者から止められているんですよ。

肩から提げていたSIGMA fpと24mm DG DNで新宿東口を撮りまくった。ファインダーを覗けないならノールックで撮ってやる。
そもそもカメラにファインダーなんて要らないんじゃないか?もし写真を撮る上でファインダーが必要ならiPhoneについているはずだし。
僕はカメラの電源を入れてシャッターを押下するだけだ。
とにかくシャッターを切り続けた。
デジタル万歳。

西口で感じたモヤモヤをfpの電子シャッターで霧散させると、自然と北村写真機店の方向に歩き始めていた。
10月の午後、日は既に傾いている。

中古のカメラやレンズの中でもジャンクに近い商品を取り扱う3階。
上ってきた階段の傍にはLeicaのレンズが並ぶ。整備された中古品が並ぶ4階とは違って玉石混交。ランクCや難アリ品が並べられている。
とはいえここは北村写真機店、ネットオークションに転がっている「美品・良品」より格段に質の高い「通常使用に耐えうる現状渡し品」が揃っている。
ELMAR 90mmって良いよね。

棚の最上段にそっと置かれた一本のズームレンズを見つけた。
見覚えのある独特のレンコンのようなフォルム。
プラスチックボディのチープな雰囲気。
心がざわついた。
値札を見るとそこには「Angenieux」の文字があった。

Angenieux zoom 35mm-70mm f2.5-3.3は1980年代に発売されたフランス製のズームレンズ。レトロフォーカスを採用し、インナーズームではないけれどワイド端とテレ端で鏡筒の長さが大きく変わらない。全体的プラスチッキーで高級感はない。描写は開放でやや甘く、軽く絞ると解像感が急に高くなる。歪曲は若干樽型に出るけれど気になる程ではない。
このレンズはR8を購入する際に併せて手に入れることを悩んだ1本だった。
R8はズームレンズで運用すると決めていて、候補に上がったのはVARIO ELMARとAngenieux zoomだった。
当時は偶々状態の良いVARIO ELMARのROMマウントと巡り合ってお迎えしたんだけど、その後もAngeneuix zoomへの思いは燻っていた。

 
1年間で4回もAngenieux欲しいと言っている。
どうしてこのレンズが欲しいと思ったのか、今ではもう覚えていない。
そんな忘れかけていた初恋の人が急に目の前に現れたのだ。
しかも自分の気持ち次第で手に入れることができる。
EVFのことはもうどうでも良かった。

レンズに付けられた値札には【難アリ・ゴミ多数、クモリあり(現状渡し)】の文字があった。
マップカメラや北村写真機店で言う「クモリあり」は正直なところよく見ても言われなければ気づかない程度のものが多い。このレンズもよく見ると「クモっているように見える」程度のクモリだった。40年近く前のレンズなんだから多少のクモリはやむを得ない。
しかしレンズにはゴミが多数あった。天井のライトを覗くと撮影に影響が出そうなくらいに大きな黒い点がいくつも見えた。Lightroomで1枚ずつ修正するのもなんだかな。このゴミさえなければ・・・。唸りながらズームや絞りのリングを回す。中古カメラ店でよく見られる光景だ。

ここであることに気づく。
ゴミは前玉に集中している。
スタッフにこのゴミが取れないか聞いてみた。
「前玉の黒いものはゴミですか?キズですか?」
「ゴミ・・・ですね。ブロアーで取れないんですよ」
そう言ってエアダスターを2、3回吹き付ける。
「あ、取れましたね」
「取れたんですか?」
「取れました」
ゴミが取れて綺麗に光を通すレンズを受け取った。
僕の心の迷いも吹き飛んだ。

「ああ、またやっちまった」

北村写真機店を出た僕は暗くなった新宿東口の空を見上げて呟いた。
手には茶色い紙袋。
中には緩衝材に包まれたAngenieux zoom 35mm−70mmが入っている。


新しいレンズを手に入れた時は、いつも長い言い訳が必要になる。
今回の出会いは偶然だった。
欲しいと思い続けていたレンズに出会い、手に入れただけの話。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?