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note フェスを終えて〜私の頭の中は基本的にとっ散らかっているけど、それでもいいと思えた日〜

昨日までの4日間、私はnoteフェスに、サポーターとして参加していました。サポーターと言っても、会場に行って、ツイッターですこーしつぶやく程度のことをしただけではあるのですが。

でも、登壇者の方たちの興味深いお話を、直接聴くことができて、大変に刺激を受けました。初日の坂口さんのお話は、まるで宇宙人を見ているようで、日本語を聞いているのかどうかも分からなくなる気がしたり。笑

私も不思議な人間に思われることがあるので、共感するところもあったり、こんなに変な人でも生きていけるんだなあと安心したところもあります。

この記事のタイトルにもつけましたが、私の頭の中は、基本的に常にとっ散らかっている。ということに、最近、ようやく気づきました。

私は頭の中で、常に常にいろんなことを考えています。考えるのは、「生きるとは何か?」という壮大なことを考えていることもあれば、「今日の夕ご飯は何にしようか?」という本当にどうでもいい、些細なことだったりもしますが、そういういろんなことを考えずにいられない私の頭の中はとても忙しいのです。というか、膨大な情報が交錯していて、忙しいを飛び越えて、とっ散らかっているのです。

だから、そのとっ散らかっているものを文章にしようとすると、交通整理を何度も何度もして、一本道に整えなければならないから、ものすごーく時間がかかる。

今思えば、よく論文など書いていたと思いますが、論文は、書くための型がキッチリ決まっていて、その形式に沿って、整えて、論理だてて書かなければならないので、私にとっては苦行でしかなかったのだろうなと、今となっては思います。

でも、そういう、論理がほぼ100%の成果物しか出せない学問の世界にいたことで、気づいたこともあります。最終日の最初のセッションで、脳の3つのモードが紹介されていました。

「直観モード」と「大局観モード」と「論理モード」。

「直観モード」は、アイディアをできるだけたくさん「出す」モード。
「大局観モード」は、たくさん出たアイディアを「絞る」モード。
「論理モード」は、アイディアを「決める」モード。

そして、面白いのは、その3つのモードを行ったり来たりできる人が、イノベーティブだったり、クリエティブだったりするということ。

なるほど、と。

私にとって、学問の世界がつまらなく見えてきてしまったのは、恐らく、論理だけを求められる気がしたからなのでしょう。素晴らしい研究をするためには、もちろん、論理だけではなくその他のモードも必要だと思いますが、私がいた場所ではそれが許される気がしなかった。

反転して、私がクリエイティブなことが好きなのは、その3つのモードを行ったり来たりする、論理と直観を行ったり来たりする、多少、とっ散らかっている感じが好きだからかもしれない、と。

そして、最近、私は、自分のとっ散らかっている頭のままで、楽しく楽しくできることを見つけてしまいました。

歌を作ること。

作曲は、私の頭の中の交通整理をしなくても、そのまんまでいくらでもできます。歌詞は別に文章じゃなくてもいいですし、訳わからなくてもいいわけですから。私はずっと歌をやってきているので、それを歌うのも楽しい、ということで、いいことずくめ。

というわけで、作曲のクラスの課題で、明日までに、2,3曲書いて出さなければいけなくて、時間がないのですが、かねともさんの記事に感動してしまって、私のとっ散らかっている頭の中を出してみようかと書いてみました。

なんなら、note フェスの歌とか作ってみちゃおうかな、とか思ったりしてます。笑

4日間の noteフェス、楽しかったです。
毎日、会場に行って、何時間も座って聞きましたが、それでも疲れない椅子が素敵でした。食べ物や飲み物も出していただいて、ありがとうございました。


またどこかで、みなさんにお会いできるのを楽しみにしてます(^ ^)


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水月むつみ
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