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Ⅳー6.病院での悪夢

わずか数日で、転院先がとんでもない病院であることが明らかになった。入院後、弟から刻々と届くメールは背筋が凍り付く内容だった。弟の病気では血糖調整が致命的に重要だ。ところが転院した病院は、(頼んでも)細かく血糖測定をしようとしないし※1、異常な高血糖を放置しておいて、下げてほしいといくら頼んでも、下げようとしない。※2

※1 1日何回の血糖測定かという具体的な話は割愛するが、それまで長年診てもらった以前の病院に比べると1日の測定回数は3分の1くらい。測定タイミングは、素人にも科学的な合理性が感じられないものだった。
※2 転院時100~200くらいだったのに、転院以降ずっと300-600くらい。

この病気をよく知る人にとっては、狂気と言える数値だ。

健康な人の血糖は100前後で、60とか50に低下すると低血糖で昏睡を起こし、命の危険がある。高血糖も危険で200を超えると問題視される。600近くなると昏睡を起こす人も出てくる。昏睡だけが問題ではなく、多くの合併症を引き起こし、脳に障害を残すこともある。

私は、血糖値やインシュリンの種類と量をすべて伝えるように弟に伝えて、弟や私のやり取りのせりふとともに記録を取り始めた。弟はカチカチと音を刻む時限爆弾と一緒にいるような状態で、徐々に半狂乱に近い心理状態に追い詰められていって、私もパニック状態だった。私も何度か病院に電話をして、血糖を測定してほしいこと、血糖を下げてほしいことを何度も頼んだが対応するそぶりはまったくなかった。

とにかく、長年受診してきた以前の病院にいったん引き取ってもらおうと考え、転院前に入院していた病棟に電話をした。ところが病院の対応はそっけなかった。…というかけんもほろろだった。いろいろなやり取りがあったのだが、詳しいことは別項に任せると して、結論だけ言えば、病院は、「転院先の治療方針に口出しはできない」 「こちらの責任ではない」「そちらの病院で家族の思いを伝えてはどうか?」を繰り返すばかりだった。

責任とかどうとかより、どうしたらそちらに戻れるのかと尋ねると「紹介状がないとムリですね」とにべもない。弟を救うことにまったく関心を示さないので、私は「紹介状ですね」と言って、いったん電話を終えた。

このころ私は、医師の友人や関東にある国立病院の知人に連絡を取り始めていた。医師の友人は記録を一目見て「糖尿病の治療法を理解していない」と断言し、以前の病院に戻れない場合に備えて、自分の出身大学の病院に入院できるよう準備をしてくれた。国立病院の知人からは、「救急の新人医師によくあるケースだ。以前の主治医と話すのがよい」と助言された。

弁護士の知人にも連絡を取った。くれぐれも念押ししておくが、訴えたりケンカしたりするためではない。法的に確信しておきたいことが1つだけあったのだ。「患者や家族が転院先の病院から出たいと考えた場合、その決定権が誰にあるのか」、である。知り合いの答えは「最終的には患者や家族」だった。

可能な限りの情報を手元にそろえて、もう一度、以前の病院に電話した。そして「救急搬送されるより前に主治医だった先生のセカンドオピニオ ンが欲しい」とお願いした。病院の返答は、「セカンドオピニオンの提供は通常はできないのだが、状況を考えるとご家族も心配でしょうと医師が言うので特別にOKする」であった。ようやくアポが取れた。

弟が転院してから8日が過ぎていた。時間は恐ろしいスピードで過ぎ、弟の命が砂のようにはかなく散っていく恐怖に私はおびえ続けていた。

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