CROSS†CHANNEL「きみとぼく」
この文章は2005年頃にこっそり書いていたものをそのまま転載するものです。当時は大学生。人生経験以外のすべてが今の自分より優れていたころです。
小説にしても随筆にしても何にしても、昔の自分が書いた文章を今になって読み返してみると、確実に今よりも良い文章を書いている。文章だけではない、考えにしても今よりしっかりしているし論理の筋道もスッキリくっきりしている。つまり、私は全く進歩していないのだ。
ただ、、進歩していないからと言って退化しているわけでもないと思っている。言ってみれば螺旋階段を登っているとでもいうべきか。前へ前へ進んでいるその位置が元の場所と変わらないように見えたとしても、それは決して元の場所ではなく、少しだけでも上にいると思っている。
この先の文章はCROSS†CHANNELを知らない人には何も伝わらないと思うが、階段を登り始めたばかりの自分を見るという私の行いに少しだけでもお付き合いいただければ幸い。
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第一話 桐原冬子『きみとぼく』
最古の記憶は、日付さえおぼろげな遠い霞の中。
自分で刻んだ腕の赤
うろたえる母と使用人
わたしの口元は、確かに歪んでいた。
自分の異常性に気づいたのは、実は群青学園に入れられてからだった。
いや、ほんとは、今でもわたしは認めていない。
―依存症
わたしの群青色だ。
嫉妬の感情なんて誰だって絶対に持っているはず。
わたしのはすこしひとよりも強いだけ。適応係数46%なんて絶対に間違っている。
やきもちを焼くくらいで群青に入れられるならば、学園は世の中のカップルたちで大賑わいになってしまうだろう。
それはそれで腹の立つ光景だと思うが。こんな気持ちも嫉妬というのだろうか。
―太一
あの別れ以来、太一には会っていない。
わたしだけではない。
あれほどべったりだった支倉先輩でさえ見つけることは出来なかった。
彼女は量子力学がどうのとか、平行世界がどうだとか言っていたが、
わたしにとって大切なのは太一がいなくなってしまった事実、ただそれだけなのだ。
彼女は太一を『自分の半身』と言っていたが、わたしにとって太一はまさに自分自身と等価だった。
そんな存在がいなくなったのだ。不安定になるに決まってる。
実際、わたしはずっと収まっていた自傷癖が再発しそうで恐かった。
何かする元気が出たら・・・わたしはきっとためらいなく切ってしまうのだろう。
口元を醜く歪ませて。
幽霊放送の噂を聞いたのは、そんなある日のことだった。
家に出入りしているお手伝いさんが、なんの放送もされていないはずの周波数帯で、
夜な夜な人の声が聞こえるという話をしているのを聞いたのだ。
ラジオ・・・放送・・・別に部活が懐かしかったわけじゃない。
ただ、あのとき最後に渡されたラジオに触れたくて。太一のことを忘れられなくて、
少しでもそばに感じたくて。わたしは携帯型ラジオを手に取った。
電源を入れると、ラジオは雑音を拾い始めた。
ゆっくりとチューナーを回すと、机に置かれた小さなラジオは様々な番組を一瞬だけ拾ってはまた雑音に戻る。
一瞬だけのクロスポイント。発信者と受信者の交点。
ゆっくりと周波数をあげていき、通常、放送が行われない帯域まできたとき、
雑音一色だったスピーカーが、人の声に似たかすかな音を捉えた。
「太一・・・?」
それまで戯れにチューナーを回していた手がぴたりととまった。
確かに人の声がした。しかも、あの声は、聞き間違えるはずがない。
わたしの、いや、わたしだけの太一だ。
あわててさっき声の聞こえたバンドへもう一度チューナーを回す。
だが、震える手ではうまく回すことができない。
もどかしさを抱えつつなんとか合わせると、やはり間違いない。太一の声だ。
音量を上げ、耳を澄ませる。やがて、懐かしい声が響いてきた。
「・・・今日は、自分について話したいと思います。
自分といっても、俺自身のことじゃなくて、『自分』という存在そのものについてです。
『自分』って何なんだろう。俺は、そんなことをずっと考えていた時期があります。
自分の体が実は自分のものじゃないような、そんな感覚を持ち続けていました。
たとえば自分の体が破れて中身が溢れ出て、周りと一体化するんじゃないかという妄想を」
―離人感
自分の体が自分のものじゃないような気持ちになる、
大なり小なり誰もが持つ感情だが、まさか太一がそこまで強い離人感を持っていたなんて。
一緒にいたときはおくびにも出さなかったけど、やっぱりわたしと同じ・・・。
「でも、やっぱり気付いたんです。俺がみんなじゃないように、みんなも俺じゃない。
安っぽい言い方をすれば、俺は俺だし、みんなはみんななんだなって。
それは別にアイデンティティーの問題じゃなくて、
もっと純粋で単純な、物理的な意味で、俺とみんなは違うってことだと思うんです。
当たり前なんだけど、本当に忘れやすいことで、俺も一回それで失敗してます。
どれだけ相手のことを考えても、相手に同情しても、気持ちを共有しても、それで相手になれるわけじゃない。」
ラジオの声はそこまで一気に喋ると、少しの沈黙があった。
(そんなことない。同情だって依存心だって誰でも当たり前に持っているもの。
相手の気持ちに立って考えるのだって、ぜんぜん悪いことじゃない。)
冬子はずっと孤独だった。生まれたときから家族はバラバラ。
普段相手をしてくれるのはお手伝いさんくらいのものだった
当然、というべきか群青に来る前の学校でも冬子の相手をしてくれる人など見つかりはしなかった。
なぜだろうか。無論、冬子の側が相手に対して心を開かなかったのが大きいのだろうが、
それとて誰も冬子の相手をしてくれなくなってからのこと。
別に元々がそういう性格の人間ではなかったのだ。
(そこに自分のことを考えてくれる人が現れて、
好意を示されて、自分も相手を好きになって、
ようやく孤独から抜け出せたと思ったのに、
それを依存症だといわれて、破綻して、また孤独になった。
それなのに、また向こうから近づいてきて、ぜんぜんわからない。
これでまた関係が戻ったら、それは前のときとは違うの?
あの、依存症だと断じられて切り捨てられたあのときといったい何がちがうの?)
そんな冬子の気持ちを知ってか知らずか、声はこう続けた。
「相手に対して同情することと依存することって、
ぜんぜん違うことのようでいて、実はどっかで同じことなんだと思います。
俺は、同情してもらいたくて相手と付き合っているわけじゃない。
相手が相手としてそこにいるから好きなんだってことなんです。
同情されて、こっち側の人間になってしまったり、
依存されて俺の一部になってしまったような人と付き合いたいわけじゃないんです。
そのことに気付いたとき、俺はものすごい後悔をしたんです。
そのときにはもう、手遅れでした。
関係を切り捨てて清算するしかないと思ったんです。
今思えば俺も未熟だったんだと思います。
きっと、もっとうまくやることはできたはずなんです。」
その声は、後悔をしているようでいて、
言いたいことを言い終えた充実感があるようでいて、
搾り出すような苦しさを伴った、
不思議な声色だった。
(それでもわたしにはわからない。
人と人がつながることって、結局どこかで相手になることと同じじゃないの?)
冬子と太一、二人が相手の気持ちに気付くまでにはどれだけの時間が掛かるのだろうか。あるいは・・・。
桐原冬子「きみとぼく」 了