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“普通に”という言葉を使わない理由

“普通に”という言葉が嫌いだった。
まず“普通”という概念が嫌いだった。誰かのいう普通とはたいてい大多数の人間にとっての“普通”であり、誰かにとっては普通ではない。
そのことをとりわけて多く感じる出自であった自分にとっては、“普通”という言葉はある種の呪いの言葉だった。

”普通”という言葉には、自分が存在しない。
似たようなことを考える他人の群れに埋没して、その中での差異をはかること自体を放棄しているように聞こえるのだ。
”普通”の中には自分の考えはない。あるのは、他の人と一緒の考えでいることに安堵したい自分だけなのでは、と思ってしまうのだ。

……だからといって何でもかんでも他人と違うようにありたい、というわけではないのだけれど、”普通に”という言葉は会話の中でも文章中でも使わないようにしている。
だって、その言葉で表そうとしていた概念は、“順当に”とか、“純粋に”とか、他の言葉で言い表すことができるから。

……なんでこんなことを、ものすごく久しぶりに来たnoteに書こうと思ったんだっけ。
たぶん、きっと自分が“普通”の中に埋没してもいいんじゃないか、と思いかけて、そうではない、と思ったからなんだと思う。
心の底ではぜんぜん違うことを考えているのに、自ら他人の中に埋没しようとしている気がして、不安なのだ。
そうしてはいけない、でもどうすれば、という漠然とした不安を記しておくことで、後から読み返した時に「あのころはきちんと悩めていたな」と確認できるように、これからの自分の人生を真摯に考えていきたいな、と思った。


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中型犬
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