見出し画像

省くと楽になる習慣、ある方が楽になる習慣

昔から、基本的に家事全般が億劫だった。

床は自動的にきれいになってほしいし、ベッドのシーツとタオルケットもホテルのように自分がいない間に小人が毎日変えてくれたらどんなに快適だろうかと何度も思った。
料理も毎日誰かに作ってほしかった。栄養の考えられたおいしいやつを。

でも、大学時代から一人暮らしを始めた自分には、もう十年以上そんな夢のようなことが起きることもなく、当然全ての家事を自分でこなした。
洗濯物は基本しわだらけで、料理は量を調節できずに一気に三人前くらいを作っては全部自分で食べ、大量の食品を腐らせた(日持ちがするはずのレトルト食品すらも大量に)。
床も洗面所も風呂も、気が向かない限り掃除しなかったので、とてもきれいな状態とは言えなかった。
床には読んでいない本や雑誌がうず高く積み重ねられ、そして忘れられたままになった。

社会人になり、東京に引っ越して仕事をし始めてからは、逆に億劫なはずの家事が自分の精神的な救いになることが増えてきた。
何を求められているかわからない仕事よりもゴールが見える掃除をしていたほうがよっぽど達成感を得ることができたし、料理に集中していると仕事でしたひどい失敗も頭から追い出すことができた。
外食で疲弊した舌にも、自分で作る料理の味は救いになった。

お金が無かった学生時代はあんなに外食することが贅沢に感じられたのに、チェーン店にまみれた東京で暮らすようになってからは自分や誰かの手料理を食べるほうが遥かに貴重なことだと思うようになった。不思議なものだ。

ただ、それでも洗濯だけは本当に苦手で億劫だったので、一年と三ヶ月ほど前にドラム式の全自動洗濯乾燥機を買った。
これが本当にびっくりするくらい快適で、毎日ふかふかの服を着られる自分はなんて幸せなんだろう、と思うくらいだった。

一方で米を炊く時は、無洗米から普通の米に戻して、自分で米をとぐようになった。米を水に浸してぬかを流し、十回米をといでは洗ってを三回繰り返す。
この行為が自分の精神の平静を保つことに気づいてからは、あえてそれを生活の中に取り入れることで、自分が「日常」を維持していることをより感じることができた。

仕事が楽しくないわけではないのだけれど、それと同じくらいきっちりと生活をしている、という実感を持てたほうが自分にはいいみたいだ。
最近は「FLOWER」というサービスで、二週間に一度、数輪の花束がポストに届くようになった。
自分以外の生きたものが部屋の中にあると、さらに自分が生きている、という感じがして、とても部屋に帰るのが楽しくなった。


「日常」を充実させていくことが、今の自分には重要なのかもしれない。
※招待コード「N26G」でFLOWERに登録いただくと、写真のような花束が1回無料で届くチケットがもらえます。よろしければどうぞ。
https://flowr.is

#日常 #日記 #エッセイ #コラム #家事 #花 #FLOWER

いいなと思ったら応援しよう!

中型犬
記事を読んでいただき,ありがとうございます。サポートいただいたお金は,新しい記事を書くときに飲むコーヒー代にしたいと思います。