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もし実家の桜が切られていなかったら

僕が中学1年生になるのと同時に、両親はマイホームを建てた。


今までずっと社宅のアパートに住んでいた自分にとっては、自分の部屋をもらえるというだけでものすごく嬉しくて、新しい家ができるのを今か今かと待っていた記憶がある。

母親は、マンションではなく一軒家を建てる、ということにこだわっていたようだった。そもそも住んでいるところが田舎だったので、買えるようなちょうどいいマンションを買うよりかは家を建ててしまったほうが自由がきくし良い、という事情もあったのだけれど、僕の目には「マイホームを建てる」ということが幸せの形である、と思おうとしているように見えた。


数か所見て回った土地の中で、家族全員が「ここがいい」と言ったところの土地を買うことになった。狭すぎず、すぐ近くにスーパーが数軒あって、中心街からもそこまで遠くない。中学も、志望していたいい高校も十分通える範囲にある。そして、そこには大きな桜の木が植わっていたのだ。

毎年春になると桜が見られる家に住めるなんて!と、自分はものすごく嬉しくなっていた。春になると(出身である北海道で桜が咲くのはGW前だが)家の軒先では桜が咲いていて、自分の部屋からはらはらと花びらが散るのが見えて、毎年春がきたんだな、と感じることができる暮らしは、当時の自分にとっては理想のように思えた。


でも、いざその土地を買って家を建てる段階になった時、両親は「管理が面倒だし、落ちた葉や花の処理も大変だから」と、結構な樹齢のように見えた桜を切り倒してしまった。

当時の自分には駄々をこねるような図々しさもなかったし、掃除を自分に言いつけられても嫌だなあ、という気持ちくらいしか抱かなかったから、まあそんなものか、と特に気にすることもなく、桜が切り倒されるのを見届けていた。


でも、それから20年弱が過ぎた最近、この時期に咲く東京の見事な桜を見るたびに思うのだ。

もし実家の軒先の桜が切り倒されていなかったら、今ここにいる自分は多少違う自分になっていたのだろうか、と。


もし桜が残っていたら、毎年春にそれを家族で見て、少しは家族の仲を取り持つのに役立ったかもしれない。
もし桜が残っていたら、その桜を見せるために、僕はもっと多くの友達をうちに呼んで遊んでいたかもしれない。
もし桜が残っていたら、寂しい思いをするたびにその木を見上げて、何か思考を巡らせることがあったかもしれない。

考えても仕方ないことなのだけれど、あの桜の木は自分にとって思ったよりも大きな転換点の一つだったのではないか、と、なんとなく考えてしまうのだ。


きっと今までの人生で、そういう転換点はたくさん、本当にたくさんあったのだろう。
でも、その時点でそれが「転換点だ」と気づくことはほとんどと言っていいほど、ない。
だから、僕は今までを振り返って、「あそこが転換点だったんだろうな」と思うことしかできないのだ。きっと、これからもそうだろう。

でも、そうやって振り返ったときに、「まあまあいい感じだったな」といえる程度には今までの人生を過ごすことができたんじゃないかな、とは思うのだ。


これからも、将来今を振り返ったときに「この頃の自分もけっこう良かったんじゃないか」と思える程度には、日々後悔のないように生きていこう、と思う。
満開の桜を見て、「あの頃の自分、まあまあ良かったなあ」と思えているように。


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中型犬
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