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ナゴルノ=カラバフ難民 村を追われた老女の場合 難民100人取材

村を追われた62歳の老女は語る”村には家具、家、菜園、家畜全てがあるというのに、、もう取りに戻る事はできない、、”と

あの戦争まで、アルメニア人の老女は家族と共にナゴルノ=カラバフ カシュタ地域の村で平和に暮らしていた。2020年9月27日から始まったアルメニアとアゼルバイジャンというユーラシア大陸中央コーカサス地域に位置する2カ国間の戦争が彼女たちの住むナゴルノ =カラバフと呼ばれるアルメニアとアゼルバイジャンの係争地で行われた。その44日間戦争の結果、6000人以上の尊い命が奪われ、アルメニア人である彼女たち家族はそれまで住んでいた村を追われた。家、家具、菜園、家畜、長年住み続けた故郷全てを失ったのだ、、、

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アルメニアのゴリス市にある、2020年44日間戦争での死者を弔うメモリアル。44日間戦争で6000人以上の人たちが命を落とした。

Q”44日間戦争前、村での暮らしはいかがでしたか?”

”あの村には全てがあったわ、、、。家、牛、菜園、ヒーター、冷蔵庫、洗濯機、ベッドなどの家具。必要なものは何でもあった、、、幸せだった、、、。” と老女は薄暗く、寒いゴリスのアパートの一室で遠い目をして語り出した。彼女は夫と息子、息子の家族たちとナゴルノ=カラバフのカシュタ地域にある村で不自由なく幸せに暮らしていた。2020年9月27日、そう44日間戦争が始まるあの日まで、、、

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アルメニア人に飼育されている家畜 このように、日々食べるための食料を得るためにアルメニア人は牛や鶏などの家畜を育てたり、野菜やハーブ、暖を取るための木を採取するために伝統的なガーデンを持っている人が多い。

2020年9月27日ナゴルノ=カラバフにて44日間戦争が始まる。アルメニア、アゼルバイジャン両国共先制攻撃を否定しているが、状況から見て長年入念に準備をしてきたアゼルバイジャン側が先制攻撃をしたのはほぼほぼ間違いないとされている。戦争が始まり、多くの人々が係争地ナゴルノ=カラバフからアルメニアに避難する中、息子が兵士として戦っている老女の家族は村を離れなかった。ナゴルノ=カラバフに当時住んでいた人たちで家族が兵士だから避難しなかったという話はよく聞く。”とても恐ろしい日々だったわ、、、村を襲撃されたこともあるわ。アゼルバイジャン軍のドローンや中東やパキスタンから送られたイスラム過激派のテロリストの恐怖がいつも身近にあった、、、私たちは息を殺して生活していた、、”と老女は語る。しかも、彼女と彼女の夫は持病持ちだった。病院に行くこともできずに大変な思いをした。彼女と彼女の家族は何かの証明書を見せ通訳に必死に何か訴えていた。”何を彼女たちは訴えているんだと?”と通訳に尋ねると”病気の証明書を持って大変だったと言っているのよ”と通訳は苦笑いしていた。

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 ナゴルノ=カラバフ難民、戦争によりカシュタ地域の村を追われた老女(62)

2020年11月10日、44日間戦争が終わりドローンやイスラム過激派からなる傭兵達が去ったのも束の間、停戦合意で彼女の村のアゼルバイジャンへの引き渡しが決まる。荷物を運ぶ時間すら与えられず、着の身着のまま村を追われることとなる。結果として彼女達は冷蔵庫、ヒーター、洗濯機、ベッドなどの家具、家、家畜、菜園、先祖代々の墓、故郷全てを失った。アゼルバイジャン側から取材したナゴルノ=カラバフ関連の記事で村を追われたアルメニア人たちは金目の物を全て持ち出し、アゼルバイジャン人が使えないように家を焼いた人が多いという記事を見た。しかし、筆者が取材した100人のナゴルノ=カラバフを追われた難民で自分の家を焼いた難民は一人だけだった。多くの人は2016年の4日間戦争のように数日で帰れると思っていたため、大事な家や家具、菜園をナゴルノ=カラバフに戻った後も使いたいと考えていたと語っていた。なので、筆者が取材した以外の難民の方々も家を焼いた人はほとんどいないと考えられる。唯一家を焼いてきたと語っていた男性も親戚の家がアルメニア本土にあり、家畜を全てその家に移した余裕のある男性だであった。多くの難民にとってナゴルノ=カラバフに残してきた家、家具や菜園は人生を賭けて培ってきたものであり、憎しみのままに焼くなどとはとても考えられない人がほとんどだというのが実情であると難民の方々の話から推測できる。

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老女が現在(2021年11月当時)生活するゴリスのアパートの通路

老女とその家族はアルメニア本土のゴリス市に来てからは自腹でアパートを借りている。前は家族全員で一つの大きな家に暮らしていたが、今家族は二つのアパートに分かれて暮らしている。彼女の家族は皆仕事をも失った。取材当時2021年11月現在も家族は全員無職であった。彼女自身の年金の支給も始まっていなかった。NGOの支援で何とか生活しているという。”前は菜園もあり、牛も居て生活に不自由する事はなかった。今は菜園や牛を持つ機会すらない、、、何もない、、、、”と老女は切なそうな顔をして語っていた。

Q”ご自身を含めてナゴルノ=カラバフ難民の方々に何が一番必要だと思いますか?”

老女”良いアパートと食料が一番必要だ。もっと良いアパート。今住んでいるアパートはアパートというよりもはやドミトリーだ。洗濯機も冷蔵庫もオーブンも何もない、、、近所の人に使わせてもらっているのよ、、、、”

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老女達家族が近所の人に使わせてもらってる洗濯機とオーブン

”ナゴルノ=カラバフの村には全てがあるのに取りに行けないんだ!!”彼女は必死にそう訴えていた。常に近所の人に冷蔵庫、洗濯機などを使わしてもらうのはかなり気を遣うだろうし、自分のペースでスムーズに生活できないのはストレスであろう。何より惨めな気持ちになる、、、、ナゴルノ=カラバフの村には全てがあるというのに、、、、

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老女のアパートの寝室

いくつもベットがある老女のアパートの寝室。プライベートは一切なさそうだ。この息の詰まりそうな薄暗い寝室で仕事もなくフラストレーションが溜まる中で家族と生活するのは想像するだけで息苦しそうである。”ベッドすらないのよ、、”と老女はため息を吐いた。”??ベッドはたくさんあるじゃないですか?”と筆者が疑問を口にすると。”もう一つのアパートよ、、、ここはまだマシよ、、向こうのアパートの状態は本当に酷い、、寒くて汚いし、、、4人で一つのベッドに寝ているのよ、、、ろくにベッドすらない有様よ、、、ナゴルノ=カラバフにはみんなのベッドがあったというのに、、、”老女はそう心底疲れ切った様子で口にした。筆者はこの取材をしていた当時、四つのベッドがあるドミトリーに宿泊していたが、コロナ渦なのもあり、宿のオーナーが気を遣ってくれて4人部屋ドミトリーを一人で使用していた。物凄い罪悪感を感じる、、筆者のドミトリーの余った三つベッドでゆっくり眠りたい人達が世界中にどれくらいいるのだろうか、、、、

Q”個人や家族の生活、ナゴルノ=カラバフの展望を含めて何を一番望みますか?”

老女”かなわない願いだとは思うけど、あの場所に帰りたい、、菜園も、牛も、家も、家具も、冷蔵庫も、洗濯機も、ベッドも、先祖代々受け継がれてきたお墓も、、すべてあそこにある!!、、、今は何も無い、、。”そう絶望した表情で語った。最初にかなわない願いだと思うがと言った彼女はあまりにも残酷な現実を受け止めている。それでも帰って元の生活、不自由ない普通の生活に戻りたいと語る彼女の真剣な眼差しにとてもやるせない、悲しい気持ちになった。彼女達戦争で全てを失った難民の方々の悲しみは、、、重い、、、、。


Q”日本政府含め諸外国、海外のNGOに何を一番して欲しいですか?”

”アルメニアを支持して欲しい。お金をくれるとか支援するとかではなくナゴルノ=カラバフでの戦争においてアルメニアを支持して味方になって欲しい”そうまっすぐな瞳で筆者を見つめ、強い口調で老女は答えた。その老女の答え、まっすぐな瞳に筆者は圧倒されていた。あれだけ良いアパートや食料が難民には必要だと語っていたにもかかわらず、日本や諸外国にアルメニアを支持して味方になってほしいと力強く語る彼女に面をくらった。そして、如何にアルメニアの状況が厳しいかを彼女の答えから理解できた。アゼルバイジャンという裕福な産油国とNATOでNo.2の軍事力を持つ大国トルコという敵国である2カ国に囲まれ。同盟国であるはずのロシアですら力をつけたアゼルバイジャンに気を遣い、2020年のナゴルノ=カラバフ戦争ではロシアに実質見放された。あくまで筆者個人の推測だが、日本は外交戦略的に考えて親しいトルコや産油国アゼルバイジャンを敵に回してまでアルメニア支持をナゴルノ=カラバフ戦争において表明する事はあり得ないだろう。

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アゼルバイジャン軍により道路を封鎖されたカパン市の子供達の素敵な笑顔

ここからは筆者の個人的な感想だ。アルメニアは大好きだ。人も文化も、食事も、自然も何より人の暖かさ、素敵な笑顔が大好きだ。好きな国TOP3に入るだろう。そんな筆者個人ですら、大々的にSNSなどで完全にアルメニアの側に立つとは言えない、、他の国の知人との関係や利害、さらにはアルメニアとアゼルバイジャンの歴史を考慮すると”アルメニアが可哀想だアゼルバイジャンが悪い。”などと言って老女や他のアルメニアの人たちが望むようにアルメニアを完全に支持するという事はできない、、、個人的にだがアルメニアの人達に本当に世話になった。たくさんの笑顔、優しい思い出をもらった、多くの難民の方々の苦悩や嘆きも聞いた、ある時は逆境でも諦めない難民の人々の生き様に勇気すらもらった。だというのに、、アルメニアを完全支持するとは言えないのだ、、、こんな俺はずるい人間なのだろうか、、、ただ心から願う事は戦争によって色々なものを奪われ、なくした難民の方々をはじめ全てのアルメニア人、アゼルバイジャン人が平和で幸せに暮らせる明るい未来である。

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