ブチャの少女からジョンソン首相へのスピーチ 歪められたブチャ
”親愛なるジョンソン首相へ”
ブチャでたまに通訳を手伝ってくれた、ブチャ近郊の村出身の少女アナスタシア、通称ナスチャ(16)は、ブチャの子供達を代表してイギリス大使へスピーチをした。
彼女のイギリス大使、ボリスジョンソン首相、イギリスへのメッセージは非常に心を打つ内容であったので、是非本記事で紹介したい。
前回の記事
イギリス大使にスピーチをするナスチャやガリーナが出る記事
右の笑顔の女性が、ユニセフテントのイベント企画や運営をしているガリーナ
”明日イギリス大使がユニセフテントに来るので写真を撮影しに来ませんか?”
というメッセージをガリーナからもらい、朝イチでブチャに駆けつけた。
イギリス大使一行は予定の時間になってもまだブチャのユニセフテントには来ていなかったが、テントの前ではガリーナや子供達がウクライナの音楽を踊っていた。
悲劇の起きた街ブチャ
ブチャの人々は皆ロシアの侵攻により、多くのものを奪われ、破壊された。
それでも、キラキラした笑顔で踊り、懸命に生きる彼らの姿は力強く輝いて見えた。
確かに、ブチャでは想像を絶する悲劇が起きた。
それは約3ヶ月ブチャ近郊を取材した筆者自身が誰よりも把握している。
しかし、ブチャの人々のその姿は、ニュースやハンガリーで出会ったウクライナ難民の人たちの語るブチャの人々、メディアが語るブチャの姿、支援団体が助けたとドヤ顔で報告する可哀想なブチャの人たちの姿とはかけ離れていた。
ハンガリーのブダペストでロシアへの反戦デモを行うウクライナの方々。彼女たちが持っているのはブチャの悲劇の写真
ついつい、ブチャの人々、そして子供たちが踊り、戯れる姿にイギリス大使の訪問など忘れてしばし魅入っていた。
ブチャ取材中ずっと眺めていたこの光景が大好きだった。
ブチャで悲劇に負けまいと強く生きる人々が本当に大好きだったんだ。
英語が少しだけできるので、たまに取材を手伝ってくれたブチャ近郊ボロンキフカ出身のナスチャ(16)
他の人たちはイギリス大使が来るというのにいつものように楽しそうに談笑したり、遊んだりしているのにナスチャだけは何か物々しい雰囲気でガリーナと何か打ち合わせをしていた。
”イギリスがおもちゃをブチャに寄付してくれたの。それに、私がイギリス大使にスピーチをするの!!”イギリス大使が何しに来るのかナスチャに質問したら、ナスチャはそう答えてくれた。
わずか16歳ながら、たまに通訳を任されるくらいだから優等生だとは思っていたが、まさかナスチャがイギリス大使にスピーチをするとは想像もしていなかった。
彼女のスピーチは心を打つものがあったので、ここで紹介させて頂く。
イギリスのウクライナ大使とナスチャ、奥の男性はブチャ市長
以下、ナスチャのスピーチ全文
”親愛なるジョンソン首相へ”
”私たちは戦争が終わることを心から望みます。”
”戦争が終われば、また世界中にバラバラになった友達と遊ぶことができます”
”戦争が終わればまた学校に行くことができます”
”両親と家で幸せに暮らすことができます”
”もうこれ以上怯えて暮らしたくないんです。”
”それに、銃撃や爆撃の音をこれ以上聞きたくないんです。
”私たちは知っています。イギリスの人達がどれだけ私たちのことを思ってくれているか。どれだけウクライナの平和のために動いてくれたか。”
”どれだけイギリスの人達がこの地球上で最も邪悪な悪に打ち勝つために助けてくれたか。私たちは知っています。
”私たちは心からイギリスに感謝しています。”
(ナスチャのイギリス大使、ジョンソン首相のスピーチから約一ヶ月後、7月7日ジョンソン英首相は辞任を表明した。いろいろ破天荒なジョンソン首相だったが、ロシアキーウ地方撤退後。直ぐにキーウを訪問したりと、ウクライナの方々にとって誰よりも心強い首相であったのは間違いないので複雑な気持ちになった。)
”ブチャの子供達を代表して感謝を表明します。”
いつも小さな子供達の世話をする優しいナスチャ。
そんな、優しいナスチャの今一番欲しいものは世界からウクライナへの遠距離射程武器の供与だとインタビューした際語ってくれた。そして、彼女は15歳にして銃の組み立てができるし、銃の撃ち方も知っている。
ブチャの市長とナスチャ
ナスチャの将来の夢は建築家になって荒廃したウクライナの復興に貢献することだ。
ナスチャにインタビューしたのと同じ日、ナスチャの学校の先生でもあるガリーナにもインタビューをした。
いつも笑顔で取材活動に協力してくれるガリーナだが
Q"戦争前の生活はどうでしたか?”
初めに、そんなスタンダードな質問をした瞬間、ガリーナは涙を流した。
そう、この時はまだ、、
ブチャで起きた残酷な悲劇に出会っていなかったのだ、、。
ブチャの人たちを襲ったあまりにも残酷すぎる悲劇に、、
悲劇の街ブチャ。
人々は残酷すぎる悲劇を経験してもなお、前進み続けていた。
少女達はブチャのユニセフテントの外の広場で、カンカンに照りつける強い日差しの下でステファニアを踊っていた。
(ステファニアとは欧州最大の歌合戦、ユーロヴィジョンソングコンテストで優勝したウクライナ代表カルーシュ・オーケストラがユーロヴィジョンで披露した曲。)
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