諸国霊社巡拝:有礒正八幡宮(富山県高岡市横田)後日談
門前の景観が変わる?
前回ご紹介した有礒正八幡宮(富山県高岡市横田)には、今年(令和二年)のはじめにも参拝させていただきました。しかし、ここでびっくりしてしまったことがありました。神社を正面から見て、右側にあった家(おそらく二軒)があとかたもなくなくなっていて、今にも道路拡張が行われようとしていたのです。
本当に必要な工事なのか?
神社やお寺は、その建物や資金をもたらす参詣者だけあって成立するものではありません。境内のおごそかな雰囲気、生い茂る木々、そして活動をささえる近隣の崇敬者たちのいとなみがあって神道・仏教という我々の御祖らから我々へと受け継がれてきた信仰がなりたっているのです。道ひとつにも、そこで生まれ育ってきた人々の思い出、千里のへだたりをもものともせず、はるばる歩みを運んできた巡礼者たちの記憶がしみこんでいるのです。たしかに、この神社横の交通路は狭まっており、自動車の行き交いにも多少のさしさわりはありましたが、そこに住まう人々の家を取り壊してまで、大きな道をここにつくる必要はあるのでしょうか?
かつて、有礒正八幡宮のある横田町には高岡市コミュニティバスの停留所がありました。このバスを利用する参拝者も決して少なくはなかったはずです。しかし、このバスは財政難に苦しむ高岡市が、平成三十年に経費を削減するためとして廃止してしまいました。車の運転できない高齢者や障碍者の方々にとってかけがえのない交通手段が、いとも簡単に失われてしまったのです。この問題については、地元の「富山新聞」が読み応えのある論考を掲載しております。
もちろん、道路の拡張の予算と市のバスの予算は別物で、ここで簡単に比較するのはおかしいかもしれませんが、はたして、参拝客を含む地域住民の足をうばいつつ、多額の税金を費やしてこの道を拡張することに何の意義があるのでしょうか。
失われかけたご神木 高岡市の文化に対する唾棄すべき姿勢
「歴史文化都市」という名をかたり、高岡市はその都市景観などを観光の魅力として内外に宣伝していますが、はたして、本当に歴史や文化の大切さを市の当局が理解しているのかどうか、疑問です。有礒正八幡宮のご神木、「親子抱き合いの欅」は、平成三十年一月に、雪の影響で折れてしまいました。現場に来た高岡市の職員は、たいして調査もしないまま、すぐさま市の保存樹木指定の解除へと動き出しました。この対応には、近隣住民からも不満の声が上がったとのことです(北日本新聞)。大切なご神木を、素人の勝手な判断で、枯れてしまったものとみなしたのです。その後、地元住民のはたらきかけもあって指定解除は阻まれ、今後もご神木の延命作業に取り組んでいくことに決まりましたが、市が専門家である樹木医の診断を依頼したのは、こうした反対運動のあとであり、市側には当初からご神木を守っていく姿勢などまったくなかったことが窺えます(樹木医の所見は、延命をはかることが望ましいとのこと、経緯はここにくわしく転載されています)。
まとめ
今もなお、日本各地では本当に必要かわからない公共事業がつぎつぎと行われています。ひとたび、工事が行われると、そこに今まで住まいしていた人々の生活は一変し、また、コンクリートの下に埋められた過去の人々の痕跡は、事実上は二度と日の目をみることがなくなってしまいます。公共工事で、ひとびとの生活の質が向上する面も多々あります。しかし、こうして人口が減少している今、だれのために行われているのかわからない工事も、なしくずし的に行われているのも事実ではないでしょうか。高岡市の現状から、このようなことを考えてみました。お読みいただいてありがとうございました。