【トッキュウジャー】16~20話
第16駅「危険な臨時烈車」
カグラ頑張るの回。大人になるとイマジネーションが乏しくなり、レインボーラインを見ることができなくなる……という説明は劇中何度も繰り返されている。親や友達の影響で大人になりつつあるアオイも例外ではない。
友人と遊びたいのを我慢して弟の面倒を見なければならないアオイは、否が応でも大人にならざるを得ない。その友人との連絡も、直接ではなくスマホのメッセージアプリを介して行われる。今日びの子どもはスマホくらい一人一台持っているのかもしれないが、他ならぬトッキュウジャーの変身アイテムのモチーフがスマホであることを考えれば、視聴者のちびっこにとってはスマホ=ちょっと背伸びしたヒーロー(大人)のガジェットであるとも言えるだろう。
そんなアオイでも、カケルの心情になり、「童心に帰る」ことにより、自分のイマジネーションを取り戻す。完全に大人になり切らない、滑り台もサイズオーバーしないような少女だからこそ、それができるのかもしれない。完全に大人に育ち切ってしまった者がイマジネーションを復活させるには、相当な困難が伴いそうだ。
第17駅「雨上がりの空に」
×16話 〇17話
ザラム回。任意のタイミングで雨を降らすことができる能力、地方によっては喜ばれそうだ。
視聴時は単純に「再就職できてよかったねえ」と思っていたが、もしかしたらレインボーライン側としては、出奔してきたザラムを野放しにするわけにもいかず、かといって現に暴れていないものを断罪・処分することもできずに、監視する意味合いも込めて外仕事に従事させていたのだろうか。だとすればチケットくんの塩対応も納得。
第18駅「君の名を呼べば」
虹野明回。新しいお名前おめでとう!
相手を名前で縛るリングシャドーに対し、「自分の本名はライトではない」というブラフと気合の我慢で見事に油断させることに成功するライト。片頭痛持ちとしては大変に共感できるシチュエーションであった。根性で乗り切らなければならない瞬間、日常生活では頻出である。
トッキュウジャーの5人が覚えている自分の名前は「ライト」「ヒカリ」などカタカナかつ下の名前だけ、「トカッチ」に至っては名前ですらなくあだ名である(だからこそライトのブラフにも信憑性が出てくる)。だが、彼らが考えて名付けた「虹野明」というザラムの新しい名前には漢字表記も姓もある。他に顔を突き合わす相手と言えばワゴンさんたちやシャドー怪人たちばかりで、お名前環境としてはまるで日本語圏外のような日々を過ごしているトッキュウジャーたちだが、明くんの名前を迷わず漢字姓名に設定したのは、元々の彼らを取り巻く世界が漢字姓名の世界だったことの隠れ影響だろう。ザラムを「元シャドー怪人」ではなく、ともに戦う仲間の一員として受け入れようと思った気持ちが、カタカナ単語ではない、慣れ親しんだ姓名の表記法を選択させたのだ。
第19駅「出発! ビルドダイオー」
このいい人ムーブの厄介なところが、よほど上手にやらないと「余計なお世話」「おせっかい」とさらに相手の心を閉ざす結果になってしまうことだ。トカッチはまじめで臆病であるがゆえに踏み込みが甘く、中途半端な取り組みになってしまいがちだ。その点ライトには遠慮というものがないので、ずかずか踏み込んで反論の隙も与えない。こう記すと傍若無人のようだが、それを自然体でやってのけるのがライトの才能である。
>スチパン感あっていいな~
この予想がものすごいスピードで覆されていくことを(主に生活臭が原因)、当時のわたくしは知る由もなかったのであった……。
第20駅「笑顔は危険」
女装回。もとい、仮装で笑かそう回。あるいは猫回と言っても過言ではあるまい。
ライトとヒカリの気合の入った女装と、トカッチの笑いに全振りした女装。今回の女装の趣旨に合っているのはトカッチのはずなのだが、ライトたちの方が全力で取り組んでいるように見えるのはなぜだろう。似合っているからか。そうでしょうとも。
旧名ザラムの序列問題。シャドー怪人は夫人や男爵に敬語を使い、夫人や男爵は皇帝に恭しい態度をとっているのだから、シャドーライン側にももちろん上下関係はあるはずなのだ。だがシャドー怪人たちが明くんに対して畏まった様子を見せるそぶりはない。となると、
・ザラムは裏切者だから畏まる必要はなく、またかつて畏まっていたとしても今はそうしないようシャドー怪人たちに対する教育が徹底されている
・ザラムは幹部級だったがものすごくフレンドリーで、シャドー怪人たちとも友人のような気楽な付き合いをしていたため、畏まるという習慣がない
・実はザラムはシャドー怪人たちよりもクローズ達に近いような立ち位置の下っ端であり、そもそも畏まられる対象ではなかった。だから名前にも「シャドー」がついていない
……等々、いろんな理由を考えてしまう。明くんの方もそれぞれのシャドー怪人に対して既知であったり情報を持っていたりするので、真ん中の選択肢が個人的には有力候補である。フレンドリーというか、ぶっきらぼうな感じが気取らなくてよかったのではないだろうか。とはいえ、真相は闇の中である。