
【感想】『仮面ライダー4号』
配信ドラマというくくりになるのだろうか、『仮面ライダー4号』を見た。本作は映画『仮面ライダー3号』の後日譚に当たり、『3号』自体は何度か見たことがあったのだが、『4号』のほうは何となく伸ばし伸ばしで見損ねていたのだ。dtvにも加入していなかったし。
先日までプライムビデオの「東映オンデマンド」を契約しており、そのラインナップにあったのでようやく重い腰を上げたのである。結論から言うと、今のタイミングで見たのは大正解であった。というのも、この作品がタイトルに『仮面ライダー4号』を冠しながらも、予告に出ていたスカイライダー風のライダーでも、もちろんライダーマンでもなく、『ファイズ』をその主軸にしているからだ。『ファイズ』未履修だった過去の自分がこれを見たところで、話の内容はそこまで深く理解できなかったかもしれない。まったく、TTYO様さまである。この調子でどんどん履修していきたい所。
『仮面ライダー4号』見た いやはやすんごいミスリード! と思いつつ、なるほど、たしかに『555』は平成の「4号」だものな……取って付けたようなスカイライダー風「4号」は首領風の男が精魂込めて作り上げた作品であり、いわばその分身である。進之介風に言うなら「繋がった」ってところか。
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
一度は笑顔で死に、そこから蘇り、今再びの生を「死にたくない」と感じている巧。「誰かを犠牲にするのはもう沢山」と呟き、木場や草加の事を思い出しているが、その「犠牲」の中には貴方自身も入っていますからね、と声を大にして言いたい。崇高なる自己犠牲は大いに結構だが、→
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
巧が自分自身で言及しているように、遺された者はいつでもやり切れない。オルフェノクで一人だけ生き残ったと言う海堂もまた、遺され、取り残されたた者である。長い月日を経て、彼は「死に意味など無い」と思うに至る。死はただ悲しいだけだ。せっかく拾った命をあたら捨てるのは悲劇でしか無い、と。
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
だが、巧は1度目の死を大切にするため、この仮初の命を終わらせると決める。土手に寝転がり、手を太陽に透かす彼に気負った様子はない。最初の死は自らをすり潰すように気力を尽くした事による、充足感と笑顔の中でのものであった。二度目の身体に崩壊の予兆はないが、同じような静かな決意が→
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
巧の中には満ちている。カメラを覆うような黒いヴェールは、巧が自らの手で引いた緞帳である。/時空改変マシンの前で、縋るようにスネークオルフェノクはファイズを殴る。その拳を手のひらで受け止め、軽くいなすと、ファイズはゆっくりポインターをセットする。脚のひとふりでマーカーを飛ばし、→
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
キックがスネークの胸を貫く(マシンを壊せば無かったことになる、と踏んでの行為だろう)。残心のファイズに、スネークは背中から倒れかかる。……変身の解けた海堂、その思いを文字通り背負って、巧は自分と同じ顔をした首領=時空改変マシンのコアたるファイズアクセルを撃ち抜く。
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
全てが終わった4月5日、侑斗の手にする写真から巧の姿は消えている。だが、またも遺されてしまった海堂の記憶には、あの何度もの繰り返しがきちんと刻まれているのだろう。死を意味づけして賛美するかは人それぞれだが、少なくとも巧は己の二度目の死を意味あるものと思えたはずだ。
— 望戸 (@seamoon15) December 11, 2023
巧が「二度目の生」を受けたのはどのタイミングだろう、とぼんやり考えていた。『平成ライダー対昭和ライダー』の巧と『仮面ライダー3号』の巧は少し似通っているように思えるので、もしかしたらそのあたりなのかもしれない。あるいはディケイドが世界の理を破壊したときに、彼の命も世界とともに再生されたのか。
「その後のファイズ」をめぐる冒険のさなかなので何回目かの『仮面ライダー3号』を見たのだが、たっくんが『平ラ対昭和ラ』で決意した「せめて子どもの未来だけは守る」という意気込みを今回も踏襲していたのでちょっとぐっときてしまった 世界中の洗濯物を真っ白にするほかにも夢できたじゃん!
— 望戸 (@seamoon15) September 27, 2023
夢が出来たと喜んだ途端にこれですよ。おつらい。
土手でのシーンでは黒いメッシュのネットがカメラを遮り、『ファイズ』最終回を彷彿とさせる。透け感のあるその布は喪服のフェイスベールも連想させるが、切れ間から見える巧たちの様子は至って穏やかだ。巧が自ら引き金を引いた二度目の死は、「笑って死んだ」という一度目とは状況も何もかも違うけれど、彼の人生の集大成であるという点では等しく価値を持つのかなとも思う。巧にとっても、海堂にとっても。
来年公開の『パラダイス・リゲイン』と、これらの番外編とも言える映画たちがどれほど繋がっているかはわからないが、いち観客としては心して待つばかりである。楽しみです。