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【感想】宙を巡るカラーテレビ(『TVオバケてれもんじゃ』)

 TTYOで『TVオバケてれもんじゃ』を見た。全11話、短いながらもなんだかクセになるような連続ドラマであった。


そもそもてれもんってなにもん?

てれもん「おれ、テレビの電波のカスから生まれた、テレビモンスター。(中略)お前、おれのうち壊そうとしたジ?」
トンボ 「うそぉ?」
てれもん「あの古いテレビが、おれんちなの!」
トンボ 「ええーっ?」
てれもん「ザンゲしろぉ」

『TVオバケてれもんじゃ』第1話「ザンゲの神様クラッシュも真っ青!!」より

 てれもんじゃ、通称てれもんと主人公の林トンボ少年との出会いは、真夜中のリビングでのことである。林家のカラーテレビ――なんと東京オリンピックの年に買ったという骨董品である――は5年前から壊れかけており、8チャンネルのフジテレビただ一局しか映らない。『キン肉マン』(日本テレビ)も『キャプテン翼』(テレビ東京)も『トップテン』(日本テレビ)も見たことがなく、それゆえに自分の性格がひねくれてしまったと考えているトンボは、断固買い替えをアピールすべく、夜中にこっそりテレビを叩き壊そうとする。
 両親が寝静まったころ、トンボはまるで『ゴーストバスターズ』のような姿でそろりそろりと居間にやってきた。ただ家電を壊すだけなのになぜお化け退治の格好をせねばならないだろう。いつまでもしぶとく8チャンネルを映し続けるこの骨董テレビに、トンボは何か付喪神的なものを感じていたのだろうか。そうだとしたら、その第六感は大当たりである。彼はゴーストをバスターするどころか、却ってTVオバケの爆誕に一役買ってしまう結果になってしまった。
 トンボが今にもバットを振り下ろそうとした瞬間、急にテレビがガタガタ震え出したかと思うと、チャンネルのつまみがひとりでに回り始める。ブラウン管がフラッシュでも焚いたように眩しく光り、思わず顔を覆ったトンボ目掛けて、画面の中から一本の腕がにゅうっと伸びてくる。オレンジ色でやたらと長いその腕は、トンボの鼻を掴み、腕を引っ張り、バットを奪って彼の頭をこつんとやる。
 果敢にも工具を持って再び立ち向かおうとするトンボだが、テレビのほうも攻撃の手を緩めない。画面から飛び出したプリズムのような光が室内を飛び回ると、まるで強風でも吹いたかのように家具は暴れ、戸棚や引き出しもばたばたと開閉する。あっけにとられるトンボの目の前で光は着地、くるくる回転しながらどんどん大きくなっていき、次第にオレンジ色のまるまるとした姿が現れる。怪物と言うにはユーモラスで、かわいいマスコットと言うには個性的な面構え。
 ジー、と言いながらそいつは大きく両手を広げ、子ども一人ぐらいなら丸呑みできそうな口をがぱっと開いて、生まれて初めての名乗りを上げる。
「てれもんじゃ!」

 いわば骨董テレビの自己防衛本能が生み出したガーディアンとしての我が子、それがてれもんなのだ。てれもんがいる限り、テレビは林家に鎮座し続ける。てれもんとテレビは一心同体であり、病めるときも健やかなるときも分かたれることは無い(なおてれもんは病気になると体から電気を発し、林家の電気代節約に貢献するという特性を持つ)。
 それはつまり、このテレビのある所こそがてれもんの居場所であることを意味する。第10話「私は恋するフランケンシュタイン」で林家から家出したてれもんは、わざわざテレビを風呂敷で背負い、持ち運んでいる。テレビが林家の資産であることなどお構いなしだ。また、第11話「突然サヨナラ!いとしのテレビ」においても、林家を離れる決意をしたてれもんは、テレビとてれもんの両方を受け入れてくれる家を探していた。
 てれもんにとってテレビは「おれのうち」であり、放送されるテレビ番組は彼の庭だ。てれもんはテレビの画面に映る番組の中へ自由に出入りすることができる。撮影スタジオを我が物顔で歩き回り、さらにはドラマから登場人物を引っ張り出してくることすらお茶の子さいさい。実名の有名人をそのまま出演させるハチャメチャにより、後番組の番宣だってこなしてしまうメタな度量の広さもある。
 第1話でてれもんとトンボが撮影スタジオ内をうろちょろしている際、「『オレたちひょうきん族』の神様」が出てきたのも印象深かった。気の抜けた様子でセットの前に腰かけ、ぼんやりとソフトクリームを食べていた神様は、突然現れたトンボたちの姿を見つけ、慌てて本来の定位置である台にのぼる。てれもんに強いられるがまま、テレビを壊そうとしたことを懺悔させられるトンボ。するとてれもんは神様を台から追い落とし、自分が代わりとなってトンボへ神罰(天井から水)を与え、笑い転げる。
 クラッシュ・ギャルズや羽賀研二が本人役で出演しているのとは異なり、神様はあくまで「神様」本人役としてのご登場なのがミソである。セットの前でソフトクリームを食べていたのは「神様役のタレント」ではなく、「神様」そのものなのだ。様々な番組やメディアを股にかけるとんねるずや高見山関と同じだけの情報強度を、ワンコーナーのキャラクターにすぎない「神様」が持っている(そして「中の人」には言及されない)ことが、却って『ひょうきん族』という番組の人口膾炙率、人気のすさまじさを感じさせる。世代ではない自分でも知っているくらいなのだから、よっぽどキラーコンテンツだったのだなあ。

 閑話休題。
 そんなこんなで林家に居候することになったてれもん。さやかやラドンといったトンボの友人たちとも知り合い、シャバを謳歌しようとする彼の前に、一人の男が立ちはだかる。エンディングではヒーローさながら、くるくる回転しながら格好良く飛び降りを決め、狼狽するてれもんを通せんぼするかのように着地。着地時に軽く曲げた膝をすばやく伸ばして、すっくと立つ凛々しい赤ブーツのふくらはぎは何度見ても見とれてしまう。ぱっと画面が切り替わると、緑色の髪を振り乱し、にやけたような笑顔の白塗り顔が現れる。彼こそ電器メーカーの正義の味方、ザ・グレートデンキである。


ザ・グレートデンキとその他まわりのあれこれ

 林家の旧式テレビを目の敵にし、隙あらば新型のテレビに買い替えさせようと画策している存在がいる。商店街の電器屋のオヤジ・小俣だ。
 小俣は店の奥に構えた「電気の神様」に「てれもんをやっつけさせたも~れ」と祈りを捧げることにより、ザ・グレートデンキへ変身(というかお着替え)する。直接「林家のテレビ壊れたも~れ」とお祈りすれば話が早いような気もするのだが、そうはしないのが微笑ましいところ。
 グレートデンキは自ら発明した武器を手に、日々てれもんを亡き者にしようと奮闘する。なお、しばしばトンボたちが巻き添えを食らっているが、その様子を見るに殺傷能力はあまりなさそうである。「てれもんくん」と芝居がかった調子で呼ばわりながらニヤニヤ近づいてくるグレートデンキの姿は、奇抜ながらもどこか憎めない。実際、てれもんと彼はライバルとして追っかけっこをするだけではなく、時には共通の敵相手に流れで共闘し、時には手錠に繋がれて、燃え盛る鉄格子からふたりで脱出することさえもあった。

 かつて百恵ちゃんに投げられたという紙テープの塊や、てれもんを気に入って追いかけ回す総天然色カラーボーイなど、個性的な人外キャラクターのゲストにより、てれもんはしばしばピンチに陥る。が、毎日が大変なのはなにもTVオバケだけではない。林家は林家で、てれもんがテレビ番組から連れて来た不良少女やフランケンシュタインの対応に大わらわである。面倒ごとはいつでも家庭の外から持ち込まれるのだなあ。そうでなくても気の強い女の子たちが学校中を席巻しており、トンボたち男子はちょっぴり肩身が狭い。ヒロイン・さやかも行動力溢れる元気な年上のお姉さんで、一時はザ・グレートデンキのファンクラブ会長を名乗っていたこともあった。あの緑色のツナギファッションも、さやかが身にまとえばなんだかキュートに見えてくるのが不思議だ。
 そして、そんなキャラクターたちに負けず劣らず、静かに林家へ侵食することを目論んでいるのが、トンボの級友・ラドンである。彼はしばしば林家へ入り浸るが、目的はトンボと遊ぶことではない。トンボの母・アゲハと結婚し、林家の家長に収まることがラドンの野望である。サークルクラッシャーならぬファミリークラッシャー。熱烈な求愛を受けたアゲハもまんざらではない態度で、夫であるカブトはやきもきさせられている。とはいえ、喧嘩はちょくちょくするものの、基本的にカブトとアゲハは息ぴったりの似た者夫婦だ。幸か不幸か、ラドンの望みは当分叶いそうにない。
 アゲハとゴールインするためにカブトの失脚を狙いつつも、連れ子となるトンボについては特に邪魔者扱いせず、むしろ積極的に父子関係になろうとしているラドン。友情とはまことに温かいものであるなあ。ところで、林家の人間が虫から名前を取られているのは見ての通りだが、ラドンっていったいなんだったっけと思ってググってみた。

東宝特撮映画に登場する巨大な翼竜。初登場作品『空の大怪獣ラドン』(1956)での全長は50メートル。翼長は120メートルで超音速で飛行する。古代トンボの幼虫、メガヌロンをとする。

デジタル大辞泉プラス 「ラドン」の解説 ー コトバンク (太字は引用者による)

 ちょっと話が変わってきたな……?


テレビと家族と子どもたち

 本ドラマは全11話とあっさりしており、週に二話ずつ配信されているのを見ているうちに、あっという間に最終回がやってきてしまった。
 最終話は第1話のリフレインから始まる。第1話ではトンボのモノローグとして語られていた「チャンネルが一つしか映らないがゆえに人生お先真っ暗」理論が、今度は作文の形で両親の前に提示される。てれもんの音読を聞いたアゲハたちは大変なショックを受けている様子である。
 第1話では、トンボは自分の気持ちを両親に直接伝えてはいなかった。息子の暗い心境には気づかず、出前のラーメンをうまそうに啜る父母。噛み合わない親子の空気感が、トンボをテレビ破壊の凶行に走らせたといっても過言ではない。
 しかしこんどこそ、両親は息子の思いをはっきりと理解した。ラドンやさやか、そしててれもんの物怖じしない性格が、トンボにも少なからず影響を与えたのかもしれない。考えたことは声や言葉にしなければ、どこにも届かない。電波が届かなければテレビが映らないのと一緒である(てれもんのテレビは8チャンネルしか映らないけれど)。
 トンボのためにテレビを買い替えようか、等と話している二人のもとには、さらなる吉報が寄せられる。なんと、お使いに行っていたトンボが商店街の福引で最新型のカラーテレビを見事引き当てたのである。
 こうなってくると立つ瀬がないのがてれもんだ。なにせ、彼の依りどころは旧型の骨董テレビであり、ごく普通の一軒家である林家には(新型や薄型ならともかく)2台もテレビを保管しておくためのスペースがない。1台はリビングに置かれ、もう1台は良くて庭か物置である。てれもんは新型テレビを壊そうとしてまでその搬入を阻止しようとするが、その目論見は意外な形で成功する。リビングでてれもんと言葉を交わしたトンボは、「返してこいよ」とてれもんに台車ごと新型テレビを託し、何処かへと走り去ってしまった。喜び勇んでテレビを返品しに行くてれもん。トンボは物陰から、その様子を悲しそうに見つめている。

 トンボがあれほど欲しかったテレビを諦めたのは、もちろんてれもんのためである。
 テレビを持ち帰った当初、トンボは旧型テレビの去就について楽観的な様子であった。新型テレビは一家のテレビとしてリビングに鎮座し、旧型テレビはその役目を終えてただのてれもんの家になればよいというのがその考えである。だが、他ならぬてれもんの口から置き場所という現実的な問題を突きつけられ、トンボはうろたえる。さらに、泣き落としにかかったてれもんから「トンボはこのテレビと一緒に、てれもんもいなくなればいいと思ってるんだジ」などと言われてしまい、トンボはテレビとてれもんに背を向け、黙って俯く。
 先にも述べたように、てれもんにとってもトンボにとっても、てれもんと旧式テレビは不可分なのである。葛藤の末、トンボは新型テレビを諦め、この奇妙な友人とこれからも生活していくことを選んだ。流行りのチャンネルも映らない、なんならそろそろ本当に壊れかけたテレビではあるが、それでもこれはてれもんの家なのだ。てれもんを家ごと無下に追い出すことなど、もはやトンボには出来ない。
 トンボの悲しそうな表情を見たてれもんは、新型テレビに林家のスペースを譲るべく、自ら転居先を探しに行く。だが、大きくて古い壊れかけのテレビなど、さやかもラドンも引き取ってはくれない。
 ここにきて、とうとうてれもんは旧型テレビとの別れを覚悟する。「まだうつります 心のやさしい人 引き取ってください」と捨て犬のように張り紙をしたテレビを見晴らしの良い道端に置き、とぼとぼと台車を引いて長い坂道を下っていくTVオバケの姿は、遠景の画面の中でひどく淋しげだ。さらにてれもんは、自らも林家に別れを告げようとする。まさかテレビだけを追い出して自分は林家に残ろうだなんて、そんな虫のいい話はないからだ。
 トンボはてれもんと一緒にいるために新型テレビを我慢したのに、てれもんはトンボに新型テレビを与えるために林家から出ていこうとする。互いを思いやるトンボとてれもんの気持ちは見事にすれ違ってしまっている。

 トンボとてれもんの間を再び取り持ったのは、誰あろう旧型テレビである。道端に捨てられても、船に載せられて川に流されても、当然のような顔をしてあっという間に林家のリビングに帰ってきてしまう旧型テレビ。
「お前なんてきらいだ、消えてなくなれ」と心にもない言葉を投げつけるてれもんに、旧型テレビは己の神通力をこれでもかと発揮する。家中を吹き荒れる風、乱舞する家具、眩しい光は明滅し、まるでてれもんが誕生した瞬間を彷彿とさせる。が、新たなTVオバケはもう生まれない。テレビはひとりでシュウシュウと荒い息を噴射し、林家を占領するに至る。
 暴走したテレビをなんとかするため、トンボの両親はグレートデンキを連れてこようとする。本人は隠しているつもりであったが、グレートデンキの正体はご町内にはバレバレなのである。
 グレートデンキにやっつけられるくらいなら、と自らテレビに戦いを挑もうとするてれもん。トンボは体を張っててれもんを止めようとする。旧型テレビが倒されてしまえばてれもんがいなくなってしまう、と心配しているのだ。てれもんは旧型テレビを守るために生み出されたのだから、守る対象が無くなってしまえばてれもん自体この世から消え去ってしまっても不思議ではない。新型テレビを諦めてまでてれもんを選んだばかりだというのに、それではあんまりである。だが、トンボの制止を力ずくで振り切って、てれもんは旧型テレビと向かい合う。

てれもん「てれもん、お前から生まれた、電波のお化けジ。お前、てれもんのお母さんみたいなテレビジ。てれもん……てれもん、お前が好きジ。でも……、でも、戦うジ~!」

『TVオバケてれもんじゃ』第11話「突然サヨナラ!いとしのテレビ」より

「覚悟しろ」などと勇ましいことを言いながらも、てれもんはふわふわ浮遊するテレビに対してなかなか攻撃を繰り出すことができない。そこにやっと登場したのがギラギラ笑顔のザ・グレートデンキである。林家に新しいテレビを購入させるためならば、戦う相手がてれもんだろうと旧型テレビだろうと構いやしないのがこの男だ。
 ご自慢の銃は跳ね飛ばされてしまったが、負けじと振り上げた金づちでゴツンと一発。途端にテレビの画面は爆発を起こし、グレートデンキははるか彼方へ吹き飛ばされてしまう。そしてテレビも不思議な音とともに回転し、まるでロケットのように白煙を噴き出しながら空へ昇っていく。

 かくして林家には再び平和が訪れた。リビングの一等地には、てれもんのあらたな寝床としてベビーベッドが置かれている。そう、宇宙へ飛び出していった旧型テレビは、どうやらまだまだ健在であるようなのだ。トンボがナレーションで語って曰く、人工衛星となって地球の周りをまわっているらしい。何とも壮大な話である。
 テレビが無事ならば、TVオバケもそのまま存在し続けることができる。林家には新型テレビも旧型テレビも無くなってしまったが、ブランコやスケートボードで外遊びをするトンボとてれもんは溌剌として楽しそうだ(ここのてれもんのバランス感覚がすごい。あのガワでよくもまあこんなにスケートボードを乗りこなせること!)。トンボが自称していたような暗くひねくれた性格など、この二人の様子からはちっとも感じられない。
 思うに、『キン肉マン』や『キャプテン翼』を見られないことをトンボが負い目に感じていたのは、それら流行のテレビ番組が、小学生にとっては何よりも大切な「共通の話題」だったからだろう。「昨日のトップテン見た?」という同級生たちの会話に混ざれず、一人ぽつんと孤立してしまうのは、たしかに寂しい。そんな経験が重なれば、トンボが自分のことを暗いつまらない人間だと錯覚してしまっても不思議ではない。しかし、皮肉にもTVオバケであるてれもんが無二の親友となったことにより、テレビなどなくてもトンボは本来の明るい性格を取り戻したのだ。

 家庭にとってテレビとは、どういう役割を持つものなのだろうか。
 外部の情報を家庭の内部に伝える媒介。暇つぶしの時間つぶし。話題を共有するための必須装置。そこに有れば自然と囲んでしまうもの。
 壊れかけのテレビのために食い違っていた林家の親子関係は、てれもんじゃの出現により回復された。TVオバケが人間と並んで食卓を囲む様子は、あたかもテレビを見ながら団欒している家族のようである。トンボが外から物々しくバットを引きずってきた混沌の第1話は、トンボとてれもんが明るく外へ遊びに出かける、希望に満ちた最終話へと無事に塗り替えられたのだ。
 そしてまた、骨董品のテレビもてれもんにとっては「おれのうち」であると同時に「お母さんみたいなテレビ」であった。意志を持ち、自在に動き回るに至ったこのテレビに、てれもんは大いに感情移入するものの、最終的には離れることを選択し、テレビよりもトンボの幸せを選ぶ。いわば親離れの瞬間である。物理的にテレビを宇宙へかちあげたのはグレートデンキだが、てれもんが「戦うジ」と宣言したとき、すでにその精神的別離はなされていた。つねにセットだった骨董テレビとてれもんは、ここで永遠に分かたれることになる。……だが、世の親の常であるように、テレビは人工衛星の軌道から我が子をずっと見守り続けている。電波のカスから生まれ、電線を自由に伝って移動できるてれもんであるから、もしかしたら衛星放送くらい受信できてしまうかもしれないものなあ。


 まとまりがないが収拾がつかなくなってきた。以下各話のざっくり感想です。

第1話

 OP曲もED曲もクセになる感じ。劇中でてれもんらがしばしば口ずさんでいるのもまた良き。


第2話


第3話


第4話


第5話


第6話


第7話


第8話


第9話


第10話


第11話


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