支倉常長は今で言う「東出融」的存在?
あくまでも私がふと思った事です。
以前書いた記事で石巻市にサンファン館があり慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航しましたが記事にも書いた様に九鬼家、大本教、創価学会などの要素がかなり多く新たにツイッターなどで新しい情報を調べて情報拡散してくださってる情報を見て支倉常長は現代で言う「東出融」的存在?と思いました。
前回から納得していなかったことがあってそれは支倉常長の家紋です。
支倉常長の家紋としての意匠は、「逆卍に違い矢斜め十字」が有名であり
卍や赤色などで世界紅卍字会などと言えますが矢については触れていませんでした。
ですが矢紋言う家紋がありました。
【主な使用家】
この紋を広めたのは服部氏である。
この紋を広めたのが服部氏!、そして服部といえば東出融は服部半蔵(青山家)の子孫で、里見甫(李・鳴)にそっくりです。
東出融は出雲族の重要人物でしたが支倉常長は桓武天皇を祖先とする桓武平氏の流れを汲む山口常成の子で、桓武天皇は出雲族ですね。
rapt_neo東出融が出雲族の重要人物であり、私に様々な工作を仕掛けてきた確信犯。
「平安京」が出雲族のために作られた都であるという確固たる証拠。大阪都構想を巡る「大和族」と「出雲族」の黒い思惑。
出雲族が「天照大神」ではなく「スサノオ」を拝んでいることは、これまで何度もお話してきましたね。例えば以下の記事などです。
○「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
○空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
なので、桓武天皇が「出雲族」だったということは、ほぼ確実だと言っていいわけです。
さらに東出融は山形県を拠点としていますが支倉常長の父、山口常成の子として羽州置賜郡長井荘立石邑(現在の山形県米沢市立石、米沢市立関小学校の周辺)に生まれる。となっています。
また東出融は先祖が伊賀と甲賀の二重スパイ → そんな人は服部半蔵ぐらいしかいない → 服部半蔵は徳川家の家臣。
RAPT×読者対談〈第75弾〉あらえびす・東出融の正体(1)
支倉常長もまた伊達氏の家臣=徳川家ですね。
RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。
最後に津軽家の家紋、蜂須賀家(秦氏側)の家紋も卍で秦氏側も出雲川も卍を使用することや支倉常長の家紋の卍に違い鏑矢なのも両方の血が入ったのか?、服部半蔵に関係する二重スパイなのか?、NWOの役目を負わされていたのか?、そのために慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航したのか・・・どうなのでしょうか
では✋