愚行

男もすなるnoteといふものを、我もしてみむとてするなり。

石川慶監督の「愚行録」を観た。
貫井徳郎氏の小説は拝見していないので、映画「愚行録」に限った話である。

どこにでもある乗り合いバスのシーンから始まる。
様々な世代、性別の乗員たちが思い思いにしゃべりあったり笑いあったりあくびしていたり。
そこに浮かない表情の武士(妻夫木聡)が座っている。

これは遠い世界のお話ではなく、我々の過ごしている日常の話なのだ。

そして、ユージュアルサスペクツをオマージュした例のシーンが始まり、妻夫木聡さんを目当てで観に来た夢女子にそういう映画じゃないよと告げる。

一年前に起きた一家惨殺事件、世間では「あんなに人当たりのよいご家族が」と言われているが、被害者の関係者から話を聞くうちに全く違った一面が見えてくる。

ある証言者は「殺されてもおかしくない」と言う。
その証言者自身も決して善人ではない。

「登場人物、全員悪人」というキャッチフレーズを思い浮かべる人もいるだろう。
けれど、証言者たち、被害者家族、そしてそれを取材する記者、善人でも悪人でもない普通の人たちなのだ。

これは遠い世界のお話ではなく、我々の過ごしている日常の話。

安易にサイコパスなんて言葉を使わせないように、丁寧に描かれた映画。
悪人たちの話ではなく、愚行を犯す普通の人たちの記録。

愚行録である。

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