熱帯雨林の奥地で空っぽになった話 〜 クレドの最初に「未来世代への責任」を据える理由〜
みなさま、こんにちは。
株式会社シーフードレガシー 代表取締役CEO 花岡和佳男です。
以前の記事「目頭にバナナが生えそうなほど嬉しかった話」や「シーフードレガシーのクレド・大切にしていること」で、【シーフードレガシーのクレド1:未来世代に対しての責任】に触れました。
株式会社であれば「株主に対しての責任」を最上位に持ってくることが多い中、なぜ私は「未来世代に対しての責任」をここに置くのか……。
今日はその背景となる経験について綴ります。
ボルネオでの粗放養殖事業の立ち上げ
前回の記事「豊かな海を守るビジネスの作り方①: シーフードレガシー創立秘話」でも少し書きましたが、20代中頃、私は単身マレーシア・ボルネオ島に渡り、現地のビジネスパートナーたちと共に、サンゴの生態系を保全するために、エビの粗放養殖を営む企業の創立に携わりました。
向こうに着いて最初に行ったのは、よそ者(私)による新事業展開が地域部族間抗争の火種とならぬよう、周辺の複数の部族への挨拶巡りでした。
水牛と暮らす田んぼの部族や、熱帯雨林に生きる丘の部族などを巡り、カタコトのバハサ(マレー語)と渾身のゼスチャーで、長老たちに「マングローブ林を焼き払わなくても豊かな暮らしができる」と説いて回りました。
どこまで正確に伝わったのか自信がありませんが、了承をいただき、村々の若者たちに声をかけ、チームメンバーとして集まってもらいました。
チームメンバーの多くが、外国人(私)とはもちろん、異部族と一つ屋根の下で暮らすのも初めてのこと。最初はぶつかることもありましたが、時間を重ねるうちに打ち解け合うようになりました。
エビも順調に育ち、マングローブ林を破壊しなくても地元住民が豊かに暮らせ始めた事や、部族間のかけ橋として現地のコミュニティに貢献できていることを実感し、充実感を得る日々でした。
そんなある時、チームメンバー伝いに、ある部族の長老からご招待を受けました。喜び、浮き足立ちました。
熱帯雨林の奥地で空っぽになった
熱帯雨林をかきわけ伺ったお宅は、丘の斜面に建てられた高床式住居。窓は陽よけのため小さく、でも壁板や床板の隙間から風が抜けて中は快適。一番奥に通され、長老と対座し、若者たちに囲まれました。
長老は現地の言葉で、私にわかるように、ゆっくりと話してくれます。周りの若者達も皆にこやかで、歓迎ムードに感じました。
少し会話をした後で、長老から「ところで、君がもたれかかっている柱にある穴は何だと思う?」。
私は能天気に、熱帯雨林に生息する珍しい生物の棲家でも紹介してくれるのかと思って、大袈裟に驚くゼスチャーの準備をしていました。
ところが、続いて発せられた彼の言葉は、急に早口で、グッと篭った声。
薄暗い部屋の中、彼の表情を正確には読み取れませんが、自分の言語力の乏しさによる誤解ではないことはすぐに悟りました。
壁板の隙間から差し込む光が、彼の深いしわや痩せた頬骨を浮き彫りにして、静寂の中を漂う無数の塵や埃を輝かせていました。それはまるで亡くなった人々の霊や魂が見えるかのようでした。
部屋の一番奥にいる私を取り囲む若者たちの腰に下げられたナタが鈍く光り、恐怖がこみ上げてきました。その恐怖は言語力関係なしに言葉が出てきません。
汗や涙だったのかもしれませんが、自分を構成するものが滲み出ていき、自分の中が一気に空っぽになっていく感覚。
命の危機を感じたのはもちろんそうですが、それ以上に絶望したのは、自分が持っていたアイデンティティの脆さでした。幼少期からシンガポールで外国人として育ち、日本の立場や役割に気を配りながら、現地の歴史観を重視した生活を送ってきたつもりでした。
それが、日本での生活経験がほとんどない私に許されたジャパン・アイデンティティだと信じ、それにすがるように、まだ見ぬ母国への憧れを抱きながら育ちました。そんなアイデンティティの基礎が、長老にあの一言を言わせてしまったことで、粉々に砕けたのです。
歴史の転換点
もしかしたら一瞬だったのかもしれませんが、いつまでも続く長い沈黙に感じました。
それを破ってくれたのは、ゆっくりと優しい口調に戻った長老でした。
ショックから立ち返り、理解が追いつくのに時間がかかりましたが、少しずつ肺に空気が戻ってきました。
生かされたと同時に、重いバトンを受け取りました。
促されて皆で家の外に出ると穏やかなマジックアワー。すぐに村はお祭り騒ぎに。ヤシの蕾の液を発酵させた苦いお酒や、現地の米を発酵させた甘いお酒、香辛料の効いた地料理を盛大に振舞ってくださいました。
くしゃくしゃの笑顔になった長老やその周りの大人たちと、数えきれないほどたくさんの乾杯を交わしました。
ナタを腰にさげていた若者たちは、次々と私の隣に座ってきては、「さっきビビってたでしょ」と愛嬌たっぷりにからかってきたり、「長老のこんな嬉しそうな顔見るの初めて」と謝意を伝えてくれたりして、打ち解けてくれました。
さまざまな感情が渦巻く中、でも最高の清々しさ。見上げると、熱帯雨林に縁取られた夜空に無数の星。先ほど長老の家で私たちの会話の行方を見守っていた霊や魂が、新たな門出を祝ってくれているかのように、その時の私の目には映りました。
日本と自分の立場や役割って何だ…
一泊して翌日、事業拠点に戻ってからは覚悟を新たに、より一層やりがいのある毎日を送りました。
事業を軌道に乗せて拡大させては、時々メンバーと一緒に彼らの村を訪れ、彼らの活躍ぶりを家族や村長や村の皆さんに報告しました。
いつも歓迎してくれて、卵を産む鶏や、名前のわからない野菜や、苦いお酒や甘いお酒などを、お土産に持たせてくれました。
国際社会や海外の地域社会における日本人としての立場や役割について、これまで以上に考えるようにもなりました。
東南アジアのマングローブ林を破壊する集約養殖によって生産されるエビが、日本で大量に消費されていることを、私が初めて知ったのはその頃です。
私が解決したかった問題の根源は、養殖事業現場にではなく、自国の消費行動にあったのです。
自国の消費行動が、この土地の子達の幸せな未来の糧を搾取している……
やり切れなさが込み上げました。加害国に籍を置く自分が、加害の事実を知りもせず、被害地で綺麗事を吐いて充実感に浸っている……違和感に苛まれました。
蘇ってくるのは、自分の基礎が砕け空っぽになっていく、あの感じ。
長老の言葉を実現する
「もう自分を空っぽにさせない。」「長老の言葉を実現する。あの時間を”歴史の転換点”にする!」 そう決心し、後任を育て仕事を引き継ぎ、問題解決のために東京行きの片道航空券を手にするまで、長い時間はかかりませんでした。
それから約20年。国際環境NGO日本支部での海洋生態系担当としての勤務などの経験を経て、いま私は東京を拠点に、多くの方々に支えられながら、株式会社シーフードレガシーを経営しています。
「海の自然・社会・経済の繋がりを象徴する水産物(シーフード)を豊かな状態で未来世代に継ぐ(レガシー)」ことをパーパスに掲げ、「未来世代に対しての責任」を経営信条(クレド)の最初に置いています。
最後に
長老が言葉にしたように、世界中の未来世代が幸せの上に出会い、そこからさらに幸せな歴史を刻んでいってほしい。そのための"歴史の転換点"を一つでも多く作りたい。そう思って日々、組織経営や事業展開をしています。
私は、国際社会の約80億分の1を構成するだけの、微細な存在かもしれません。しかしながら、世界中の人々の人生の節目節目には、何らかの"歴史の転換点"があり、それが積み重なりあって今があり未来が作られていくと考えます。そのことを考える度に、自分も「未来世代に対しての責任」を果たすべく、役割をまっとうしようと気が引き締まります。
今日も最後までお付き合いくださり、有難うございました。
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