40歳まであと2年

今日は私の誕生日。30超えてからの誕生日なんて嬉しくもなんともないと思っていましたが、結婚して以降毎年おめでとうLINEをくれる義両親と、私を驚かせようとプレゼントを用意してくれる夫のおかげで、1年のうちで楽しみな1日の一つになりました。
ちなみに、17歳以降実の両親からは誕生日を忘れられています。産んでやっただけ感謝しろってことでしょうか?別に私が頼んだわけじゃないのにね……。

「おめでとう」という言葉

この世に生を受けた瞬間、入学式や卒業式、就職、結婚と、節目節目で「おめでとう」と祝福されるけど、ひねくれものの私はそれを素直に受け取ることができない。
だって、学校なんて楽しくなかったし、働くことは好きだけど「なりたい自分」や「理想の自分」とは程遠い所に流れ着いてしまったと、ふと泣きそうになる瞬間がある。結婚して夫と家族になれたことはとても幸せなことだったけれど、流産や子宮外妊娠など、辛いこともたくさんあった。
きっと、定期的に「おめでとう」と言われるイベントが用意されているのは、残酷な人生を生き抜くための人間の知恵なんだろうなと思う。
「おめでとう」今日だけは、辛い日々を忘れて笑っていよう。明日からまた退屈で残酷な日常がやってくるけどね。
だから誕生日の今日だけは、全力で世界が私の存在を祝福してると思い込むことにしている。誕生日と休日が重なった。『音楽の日』のトップバッターが大好きなINIだった。大好きなお店でディナーの予約が取れた。本当に私は幸せだ。

何も成し遂げなくてもそれでいい

3日前、同郷のタレントが自殺してしまった。息子の誕生日の翌日だったらしい。ご家族の気持ちは想像を絶するし、本人がどれだけ追い詰められていただろうと考えると本当に心が痛む。27歳、これから楽しいことがいっぱいあったはずなのになんて、悩みに直面している人にとっては1ミリも響かない。
目の前には果てしなく高い壁がそびえ立ち、後ろは崖っぷち。よじ登る気力がなくなって、ふと弱気な風に吹かれて後ずさりした瞬間に足を踏み外し、真っ暗な谷底に落ちてしまう。どうして私たちは生まれた時から成長と前進だけが正しいと思い込んでしまっているんだろう。
子宮外妊娠を告げられた時、豆粒ほどの心臓がピクピクと動き、「ドクンドクン」と音を立てているのを聞いた。そこに命があることを知った瞬間、自分でも驚くくらい愛おしさがこみあげてきて、数時間後には手術でこの命を消してしまうなんて不可能だと思った。このまま成長なんかしないでいいから、一生私の中で生きていて欲しい。本当にそう思った。
命はそこにあるだけで美しい。それなのになぜ、生れ落ちてしまうとただそこにいるだけでは許されなくなってしまうんだろう。何も成し遂げなくたって、生まれてきただけで素晴らしいはずなのにね。

ただ生きる

なんだかしんみりしちゃったけど、そんなわけで38歳になった私は、頑張りすぎず、無理もせず、日々淡々と生きていこうと思います。

美味しい食事と酒、素敵な夫と可愛い猫と、高い税金にブチ切れながら、健康にゆるゆると暮らせたら良いな。

誕生日なのでなんとなく思ったことを書いてしましました。
こんばんは久しぶりに夫とデートなので、そろそろ支度をしようかな。
皆さまも素敵な日々を過ごせますように。

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