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あなたへ~大貫妙子「春の手紙」より~

 春を想い、いまを、生きています。


 最後に虹を見たのはいつですか?

 もし、今日のような透き通る青空に虹を見つけられたのなら、どんなに綺麗なことでしょう。

 手紙をしたためながら、そんなことを思ったりします。


 あなたと出会ってから、ただただ移ろいゆく季節がとても色鮮やかになりました。


 春の木漏れ日、夏のざわめき、秋の彩り、冬の静けさ。


 巡りゆく季節は感情と表情を映し出し、私はただただ美しさに息を飲んで見つめるばかりでした。


 何も根ざしていなかった私の心にあなたは種をまき、花を咲かせてくれたのだと今更ながら感じています。


 あなたと長いお別れをしてから、随分と時が経ちました。


 もっとも、別れるなんて言葉を使うほどのことをしていたわけではありません。


 たんぽぽの綿毛のように、私の前に舞い降りたあなたはふわりと優しくて。

 逢うたびに、話すたびに、心惹かれていって。

 あなたも呼応するかのように笑顔になって、いつしか手を繋いで歩くようになりました。


 告白もしていなければ、付き合っているかいないかもはっきりしていなかったけど、私はそれで構いませんでした。

 あなたの手の温もりを感じられるだけで嬉しくて。

 それ以上、何かを望もうとは思いませんでした。


 お互いに好いていたのはわかっていました。

 わかっていながらも、あえて言葉にすることはしませんでした。

 世界にはたくさんの言葉のピースが散りばめられているけれど、言葉で表現できないことや、表現したくないことが確かにあって。


 言葉にしなくても、分かり合えていればそれでよかったんです。


 でも、時々思うことがあります。


 あのとき、もし言葉にして伝えていたのならどうなっていたのかなって。


 もしかしたら、何か変わっていたのかもしれない。

 そう、思うときがあります。


 あのとき、本当は知ることがただ単に恐かっただけなのかもしれません。


 天気の良い春の日には、二人でよく公園に行きましたね。


 木々の緑がさやさやとこすれる音と香りに包まれながら散歩をして、いつも決まったベンチに腰かけました。


 随分と雨風で傷んでいて、青いペンキがところどころはがれた木製のベンチ。

 ベンチの目の前には芝生が広がっていて、陽の光がよく当たっていました。


 ほんの少し冷たい風と暖かい日差しのコントラストが心地良くて、公園で行き交う人々の声と、あなたの優しさに耳を傾けていたのを覚えています。


 二人でずっと公園の陽だまりを見つめている中、あなたの顔に目を向けると、時折一人に帰るような遠い眼差しをしていました。


 何かを憂い、何かを悲しむような眼差し。


 あのときどんな想いで陽だまりを見つめていたのか。


 きっとたくさんのことを、あなたは抱えていたんだろうと思います。


 傷つくことも、迷うことも、たくさんあって。


 でもそれを私には見せようとしませんでした。

 だからこそ、私はあなたの様子に気付いていながらも、声をかけることはしませんでした。


 あなたはそれを望んでいないと思ったからです。


 顔を見つめる私の様子に気付くと、あなたはすぐに笑顔を見せていましたから。


 ただ、どんなあなたも素敵なことに変わりはなくて。

 あなたのそばにいられることが何よりも幸せだったんです。


 あなたと過ごしたいくつもの季節は、今もなお、色濃く、鮮明に残っています。


 いま、あなたは、どこで何をしていますか。

 幸せに、暮らしていますか。

 そんなことに、よく、想いを馳せます。

 

 あなたと逢うことは、もう二度と叶わないでしょう。

 でも、それでもいいと思っています。


 いまも時折、公園を訪れてベンチに腰かけます。


 まだ冬の寒空の下、コートは手放せませんが、目を閉じて、あなたのことを思い出します。


 あなたの優しさも、温もりも、悲しみも、笑顔も。全部、私の心の中にあります。


 心の中にある音に耳を傾けると、不思議と春の足音も聞こえてきます。


 あなたと一緒に過ごした春が訪れるのも、もうすぐです。


 いずれ、私にもきっと好きな人ができるでしょう。

 でも、あなたを忘れることはありません。


 ずっと、私の心の中にあなたはいます。


 それは苦しみでもなく、悲しみでもありません。


 人は始まりや終わりなど区切りをつけたがるけど、私はつけたいとは思いません。


 春が訪れるたび、あなたを思い出します。

 こうして手紙を書いている今もなお。


 この手紙は、届くことのない手紙。

 春を想い、今を、あなたと、生きています。

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