ふくしま訪問記ー震災から約10年の浜通り地区を訪れてー
みなさんは、東日本大震災から10年と聞いてどう感じますか?
まだ10年?もう10年?いろいろな感じ方があると思います。
わたし自身は福島県福島市出身で、震災当時は小学6年生でした。地震が発生した時は体育館で卒業式の予行練習をしていて、中靴のまま校庭に避難したことを覚えています。
現在は大学生になりましたが、この10年あっという間だったなあと感じています。10代の10年間ってすぐに過ぎてしまうものですね…。
今回は、12月4日~6日に福島ツアーに参加し、震災後初めて原発事故の影響が大きかった地域を訪れる機会を頂きました。そこで見たもの・聞いたこと・感じたことを書きたいと思います。
訪問の概要
今回の福島ツアーは、globalshapers横浜ハブと経済産業省が合同で企画してくださり、福島県浜通り*の双葉町・大熊町・富岡町を訪れました。
(*福島県浜通り:福島県東部の太平洋側沿岸の地域。福島県は東から順に浜通り・中通り・会津地方の3地域にわかれています。)
このツアーでは、前半2日間で福島第一原子力発電所の見学や現地の施設・企業などの訪問をし、最終日はツアー参加者でワークショップを行いました。
【ツアースケジュール】
12/4(金)
JR常磐線 双葉駅にて集合
東日本大震災・原子力災害伝承館見学
水素製造工場(FH2R)見学
大熊町役場でお話を伺う
12/5(土)
株式会社ふたば ブドウ畑見学
東京電力廃炉資料館見学
福島第一原子力発電所見学
富岡町出身者の方からお話を伺う
夜の森桜並木のイルミネーション
12/6(日)
ワークショップ / カーボンニュートラルな社会づくりについてお話を聞く
「福島を訪れて感じたこと」
「福島のために私たちができること」
「サステイナブル社会に向けて私たちができること」
▼ツアーを記事にして頂いたものはこちら!▼
福島民報「若手リーダーが原発事故学ぶ WEF組織、福島『伝承館』訪問」
https://www.minpo.jp/globalnews/moredetail/2020120401001973
なぜ福島ツアーに参加しようと思ったか?
私が今回のツアーに参加した理由は大きく2つです。
①実際に現地に足を運び、ありのままの現状や言葉に触れるため
県内出身であるため、日常的に震災に関するトピックに触れる環境で育ちました。しかし、自分の目で震災や事故の現状を見て、現地の方から直接お話を聞く機会はほぼ持てていませんでした。
「ニュースを見てわかった気になっているかもしれない。本当に理解できているといえるのだろうか?」というもやもやから、現地に実際に足を運び、自分の目や耳で現状を学びたいと思いました。
②今の福島に必要なこと・自分にできることを探るため
現在、大学は県外に出ていますが、卒業後は福島へUターン就職も考えています。それは地元が好きであることも大きな理由ですが、福島が震災と原発事故の影響を受けて大きく落ち込んだ状態から、励まし合い這い上がろうとする姿を見て、少しでもその力になりたいと思うようになったからです。
そのために、今の福島には何が必要なのか、自分がアプローチできることにはどのようなことがあるのか、そのヒントを今回のツアーで得てアクションに繋げたいという想いがありました。
福島ツアーレポート
ツアーの中からをいくつかピックアップしてご紹介します!
①双葉駅周辺をぶらぶら
電車の関係で、集合場所である常磐線双葉駅に集合時間よりだいぶ早く到着。せっかくなので近辺を散策することにしました。
常磐線は今年3月に9年ぶりの全線開通を果たしたばかり。
駅もとてもきれいです!
▼2020年3月に開通したJR双葉駅▼
写真左側の茶色い建物は駅舎で、駅の待合室兼休憩スペースになっています。中はとても暖かく、飲み物が自由に飲めたり、町のマップやパンフレットがたくさん置いてあったりしました。(ここの管理をしているまちづくり会社のふたばプロジェクトの方にお話を聞いたらその方はまさかの中学の2個上の先輩でした…!こんな偶然あるんですね笑)
一歩駅の外に出ると、震災当時のまま残されている家屋や掲示板が。
今年3月に双葉町の避難指示が一部解除されましたが、それは双葉駅周辺の町の4%に過ぎず、現在双葉町に住んでいる方は0だそうです。
避難指示の解除は現在も進んでいますが、解除が遅いほど元の住人の戻ってくる割合が低く、町ごとの居住者数にかなりのばらつきが出てしまっている現状があります。双葉町では6割以上の方が「戻らない」という意向を示しています。
②東京電力廃炉資料館
原子力事故がなぜ起こったのかの説明や廃炉事業についての展示があります。
東京電力の方のお話や展示の随所に反省と謝罪の言葉があり、それに対してとても違和感がありました。ただ、その違和感の理由はその時にはわかりませんでした。
②福島第一原子力発電所
ツアーでは、原発の見学もさせて頂きました。
服装は、全身防護服のイメージが強かったのですが、長袖長ズボンにヘルメット・ゴーグル・マスク・手袋・二重の靴下・長靴に線量計で、思ったよりも軽装で驚きました。敷地内は除染がなされ、マスク無しで歩ける場所もあります。
現在行われている廃炉作業は3~40年かかると言われていますが、その過程では問題が山積みになっています。
特に、汚染水と処理水の問題があります。
*「汚染水」:原子炉建屋内で燃料が溶け落ちたものが建屋内に入った地下水や雨水と混ざることで生まれる放射性物質の濃度が高いもの。
*「処理水」:汚染水を浄化処理し、放射性物質をほぼ取り除いたもの。
処理水に含まれる「トリチウム」という放射性物質は、水と同じ性質を持っているため除去が難しく、この浄化処理でも取り除くことができないそうです。トリチウムは、雨水や人の体内など自然界にも存在しているもので、ごく弱い放射線を出します。
この処理水は現在タンクに貯めて敷地内に保管されていますが、タンクは増え続け、2022年には敷地が満杯になる見込みです。
そのため、現在海洋放出が検討されていますが、風評被害への懸念などから進められていません。
仮にタンクの全量を1年間で処分した場合でも、日本で生活する人が1年間に受ける放射線の1/1000以下であり、人体への影響はないとされているそうです。
もちろん安全に絶対はありませんが、「処理水」「放射性物質」「海洋放出」といった一部のワードだけが先行してしまっていると感じました。
今回学んだことをもとに、まずはコツコツ地道な発信をしていきたいです。
▼福島第一原子力発電所見学の様子▼
④富岡町出身の方のお話
「原発とわたしたちは加害・被害ときれいに分けられる関係ではない」という言葉がとても印象的でした。
町は原発によって栄えてきたし、周りには原発で働いている人がたくさんいた。決して二分できるような関係性ではないし、東電を責めているわけでもないとおっしゃっていました。
このお話を聞いて、廃炉資料館での違和感のもやもやの理由がわかった気がしました。反省と謝罪が繰り返されることで、強制的に線を引かれて一方的に距離を置かれていると感じたのだと思います。
事故を起こしたことは決して許されることではないけれど、今後も色々なことを住民と協議して決めていく以上、歩み寄り対話する姿勢は大切なのではないかと思います。
お話を聞いた後は、みんなでイルミネーションへ。こちらは富岡町のシンボルである夜の森地区の桜並木で、この道も今年3月に開通したばかりであるそう!
▼夜の森桜並木のイルミネーション!▼
福島市の実家周辺をフィールドワークしてみる
実家の周りにも震災関係で残っているもの、新しくできたものがあります。
改めて、お散歩も兼ねて実家のまわりをフィールドワークしてみました。
いままで身近すぎてあまり意識していなかったものも、今回のツアーでその見え方に変化があったように感じます。
線量計
当時は公園などを中心にたくさんあった線量計ですが、今は数がだいぶ減りました。幼いころに遊んでいた場所に無機質なものが設置されて立ち入りすら禁止されたのはやっぱり少し辛かった記憶があります。
この数値の安全性を改めて考えるきっかけになりました。
(どのくらい安全なのかはまだ説明できません…!歯のレントゲンが1回0.01mSv=10μSvなので0.134μSvはほぼ無害かと)。
▼近所にある線量計。一番上にはソーラーパネルがついています。▼
復興住宅
避難された方々が、仮設住宅での生活を経てこのアパートに入居されています。お散歩の時にはベンチに座っているおばあちゃんがにこやかにあいさつしてくれます。
ツアー後に復興住宅を見て、震災から住人の方が戻れていないたくさんの住宅を思い出しました。住んでいた地域に戻れない・戻らない方々がまだまだ多いこととも繋がります。
以前より少しは、背景を理解できるようになったのではと思います。
▼大熊町のまだ避難指示が解除されていない地域。道路の両側はバリケードによって立ち入りができなくなっています▼
▼近所の復興住宅バス停▼
まとめ
①自分の足で現地を訪れることの重要性
ツアーの振り返りをして一番強く感じたのは、実際に自分の足で現地に行くことがいかに意味のあることかということ。ニュースでは想像しきれない空気感や現地に住んでいる方の想いに触れることでより身近に・ありのままの現状を捉えられるようになりました。
また現地に行って、今度は地域のプロジェクトに混ぜてもらったり個人的な繋がりを作っていきたいなあ。
②地域を盛り上げるポジティブな取り組みがたくさん生まれている!
ツアーに参加するまでは、原発事故・避難区域・津波とネガティブなキーワードが先行していました。実際に現在もそれらの影響は色濃く残っています。
一方で、避難指示が解除されて開かれ始めた地域をなんとかしようという前向きでポジティブな取り組みやそこに懸ける想いにたくさん触れることができました。
例えば、株式会社ふたばさんの企業訪問でお話を聞いた富岡ワインプロジェクト。
1からのワイン作りを通して、地域づくりに取り組まれています。
無理だと言われながらもプロジェクトを立ち上げ、「地域のために何かしたい」という想いを持っている方々が活動する場ができて、人が集まり、最終的にそれが地域にポジティブなインパクトを与える。これってすごいことだなあと。
今後は、地元の方だけでなく県外の方もどんどん巻き込まれていったら面白いのではないかと思います!
今回のメンバーはまず、富岡ワインに巻き込まれます!(笑)
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③加害・被害の対立関係で捉えない
富岡町でのお話から、私も自分を被害者だと捉えていたことに気が付きました。
現在、日本全国で原子力発電所に関わる議論がされていますが、この問題は地域の区分なく各々が自分事として捉えるべきものなのだと気づかされました。誰もが電気を作っている地域に住む人、その電気を使っている人、電気を作り供給している人のどれかに当てはまり、当事者である。この自分事化が進んだら、風評被害を生んでいる構図も変化していくと思います。
おわりに
震災後約10年が経っても自分の家に帰れない方々が大勢いて、やっと避難指示が解除されてもその地域に戻ってくる人は少なく、活気が戻りにくいという現実を目の当たりにした訪問でした。
愛着のある故郷を離れ、戻ることが許されないということは心の拠り所がなくなるということでもあり、精神的にもとてもつらいものだと思います。
震災に関して事実を発信すること・自分の考えを述べることをもっとオープンに。でも、つらい想いをした方への最低限の思いやりはあるか、配慮は欠けていないかには気を配る。この点を心に留めておきたいと思います。
ふくしまが、ゼロから新しいものがたくさん生まれていく面白い場所になりますように。