視えるもの、見えないもの
みなさんこんにちは。風見汐音と申します。
「恋は盲目」とよく言いますが、私はあれの典型例です。
片想いの時はそうでもないのですが、両想いになると途端にその人しか見えなくなります。自覚はちょっとしかないです、結ばれている最中だけの話ですが。
割と尽くすタイプだと自分で勝手に思っています。お節介焼きなんですよね、性根が。あとかまってちゃんです。ほんとは。多分今回(もう前回かな?)はある程度上手に隠していたつもりになっていました。というか押し込めていました。自分に嘘をつくのはよくなかったのかな。
話が逸れました。
そんな「恋は盲目」な私ですが、つい先日、視野がぐっと広がった気がしました。別れたからなんですけどね。いろいろな人に慰めてもらおうとメッセージを送っている中ではたと気が付きました。私の周りにはこんなにたくさんの人がいて、心配してくれたり、一緒に遊びに行こうねなんて言ってくれたりしてくれるということに。高校の時はなかった視点だった気がします。高校の時は、支えてくれる友人がいるのは割と当たり前で、恋愛の最中も、終わってからも、たくさん話を聞いてくれて、同感してくれたり、解決策を考えてくれたり、時には諭してくれたり。彼らはいつだって私のライフセーバーで、道標で、前を向くための光でした。大学に入ってからはそんな彼らに頼れないから、どうにか一人で、友人や先輩の手も少しは借りつつ、歩いていました。そうしたら、真っ暗な道に光を灯してくれる人が現れて、二人で歩いて。ふと気が付くとその人はずっと遠くに行ってしまって。私はその場で座りこもうとして。でも、もう私はあの時の、高校の時の病みやすくて、弱気で、すぐに厭世的になるような、やわな少女じゃない。自分で光を灯す術を身につけていました。希望を自力で見出せるようになっていました。
へこむときが一瞬あっても、その先のことを考えることで光を繋げるようになっていました。
だからかな、高校の時の私をなぐさめに行ってあげたいな、と今はよく思います。よく頑張ったね。でもまだまだ未来にはたくさんの光があるから、もう少し頑張って、こっちに近づいておいで、なんて声を掛けたい。
過去から未来には干渉できるのに未来から過去に干渉できないの、本当に人生の辛いところですよね。辛いことがあって、足を止めたくなっても、それでも、どうにかして足掻いて、前を向かないとそのあとに待っている楽しいこと全部享受できないんですよね。これからまたつらい目に遭うかもしれないのに、それでも前に進まないといけない。
私にとって、そのための糧が創作で、演劇で。今回は本当に公演と近くて助かった。昔、休みの期間に別れを切り出されて、その時は一人で抱えて、死にそうになってたから。別のことして、たくさんおしゃべり出来て気がまぎれたし、サークルのみんなといるのは本当に楽しくて、その間だけは大学の講義のこととか、学科のこととか何にも考えなくてよくて。勿論講義も学科も嫌いじゃないし、寧ろ好きだけど、それでもこの先、また辛い瞬間が絶対訪れる。その時の生きる光はきっと演劇になる。先輩の舞台を見た時からずっと憧れていたその場所に立った、あの時の感動と衝撃は今でも私を突き動かしてるから。
嘘をつくのは苦手だけど、演じるのは好きで、得意って言えるようになりたい。だからまだ、走れる間は舞台の上を駆けまわりたい。忙しくなるのは分かってるけど、わがままを言えるなら同期のみんなと。
だからみんな、まだまだ出しゃばっちゃおうね!(おい)
後輩たちに我々の演技を見せつけてやりましょう。
光を灯す術を身に着けた私は、きっともう、止まらない。
……と、いいな。
止まっていたら背中を思いっきり叩いたり、手を引っ張ったり、座り込んでいるときは無理やり立ち上がらせたりしてください。きっと一瞬躊躇って、でも笑いながらその手を取って、また前を向くから。
いつの間に、こんなに強くなれたのかな。高校の頃の私が見たら、きっとびっくりするのでしょう。でも、貴女はそれだけの出来事を乗り越えてきたから。
きっとまだ、辛いことはこの先たくさんあるけれど、周りのみんなを程よく頼りつつ、灯を点けて進んでいこうね。
……相変わらず取っ散らかっててすみません。
まあ私のブログ的な何かだからいっか。
以上、風見汐音がお送りしました。
またきっとすぐに、お会いできると思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?