’人種’ とスポーツメデイア
この授業は、幅広い '人種' というカテゴリの「白人」「黒人」という2つの人種にフォーカスしていました。
この2つのカテゴリ以外でも議論できることはあると思いますが、このnote
では授業内で触れたことについてまとめます。
’人種’ とは
現在わたしたちが使っている ’人種’ のカテゴリーは、遺伝的なものに思えますが、歴史的・社会的に形成されたものです。
平均すると地理的距離が近いほど遺伝的特徴が似ているとされますが、個人にフォーカスすると、同じ '人種’ カテゴリーの中でも遺伝的特徴が似ていないことや、遠く離れた場所に住む人の特徴が似ていることがあります。
これらを踏まえると、’人種’ というカテゴリー分けは、肌の色やその他の身体的特徴などをもとに、人々によって社会的・歴史的につくられたものであると考えられます。
Moral justification と今に続くステレオタイプ
今日の人種差別には「西洋人は他の人種より優れている」という植民地主義的な '人種' についての考え方が主にベースにあると言えます。
この考え方は、Bandura によって提唱された Moral justification と呼ばれるプロセスとつながっています。
Moral justification とは、自分の不正行為や一方的な考えを、社会的に倫理性や道徳性があるとして合理化・正当化することです。
例えば、1900年代初め頃にアメリカで黒人系アスリートが台頭し始めた時、一定数の白人系アメリカ人は「黒人の人々は遺伝的・人種的に力が強い、運動神経がいい」と、黒人アスリートが白人アスリートより活躍していることを合理化して解釈していたとされています。
このそれぞれの人種に対する偏見やステレオタイプは現代のスポーツメディアでも未だに見られます。
(例)白人アスリート:賢い、努力家、リーダーシップがある、冷静 など
黒人アスリート:パワー、スピード、感情的、生まれながら など
この記事のヘッダーに使った Mark Knight による「2018 USオープンファイナルのセレーナ・ウィリアム選手(手前)と大阪なおみ選手(奥)」のイラストも、明らかに人種差別的考え方が見られます。
スポーツメディアと Internalisation、Self-fulfilling prophecy
'Internalisation' とは、個人が時間と共に社会の中の考え方や価値観を信じたり、取り入れたりしていく過程のことです。
そして 'Self-fulfilling prophecy' は、人に何かを言われたり期待されたりすることで現実的にそれが叶うことを指します。
例えばこの2つの記事について。
どちらの記事もマンチェスター・シティの若い選手が(左の記事ではタイトルにありませんが)お母さんに高級な家を買ったことを取り上げています。
ただ、左の黒人選手に対しては
「まだ1度もプレミアでスタメンになったことがないのにも関わらず」
白人選手に対しては
「将来有望な選手がお母さんのために」
という点がタイトルで強調されているように感じ取れます。
筆者は別々ですし、意図的に人種に対する偏見やステレオタイプを煽ろうとして書いた記事ではないと思います。
しかし結果的に、それぞれの人種に対するこのようなメディア描写が Internalisation を助長してしまいます。
先に述べた黒人・白人アスリートに対する偏見やステレオタイプが、直接的でなくとも継続的にメディアで描写・フレーミングされ、個人に当たり前のものとしてInternaliseされていく。
そして、個人が信じていることは Self-fulfilling prophecy として働きます。
最終的にスポーツメディア内の人種差別的フレーミングは、ネガティブに描写されがちな人種の人々の可能性を狭めてしまいます。
最後に
客観的事実と主観的解釈は別物です。
最後に授業で紹介された、Raheem Sterling 選手による2人の記事についてのインスタグラム投稿を紹介します。
この note から何か気づきや学びがあれば嬉しいです!