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アヤカのこと

小学生のときの友達、アヤカ。わたしはとてもアヤカに好かれていた。それはなぜだかわからない。わたしは、別にアヤカのことなんて、好きじゃなかったのだ。しかもアヤカに開放されたときなんて「ああ、こういうふうに笑える友達がよかったんだ」とさえ思ったほどだ。


小学生のとき

アヤカと同じクラスになったのは、小4だったろうか?それとももっと前だっただろうか?とにかく、アヤカはわたしのことが好きだった。

わたしが休み時間に書くイラストに、「かわいい!」「上手!」と言ってくれた。わたしとアヤカは、ちゃおを愛読していた。当時はちゃおが児童向け少女漫画界を席巻している時期だった。きらりん☆レボリューションや、ミルモでポン!や、ビューティポップが連載していた時代だ。いくら少女漫画界を席巻していた時期であっても、「ちゃおを読んでる」じゃなく「ちゃおが大好き」なのは、わたしとアヤカぐらいだった。わたしにとって、ちゃおの話をするならアヤカ、だったのだ。

わたしにとって、ちゃお仲間だったアヤカだが、アヤカにとってわたしは「親友」だった。


親友って何?

小学生はやたらと「宝物」「親友」が問われる時期だった。「宝物って何?」「親友って誰?」。わたしは、宝物と本心で言えるものもなかったし、親友と言える人もいなかった。だいたい、宝物はものだからまだいいとして、親友というのは多くの人のなかから「いちばん」を決めることだ。宝物を決めるということは宝物以外を決めることで、親友を決めるということは、親友以外を決めることなのだ。人に順位付をするなんてことできないと思ったし、そもそも、そう考えると自分の中に順位は存在しなかった。あの子もあの子も平等に楽しく遊びたいと思っていた。誰にも執着していなかった。

そうだ、アヤカはわたしに執着しているように思えていた。そのときは、執着という言葉が自分の中になかったからわからなかったけど。アヤカは「親友」にわたしの名前を挙げた。わたしは、「親友はいない」と答えていた。アヤカはわたしのその回答に少し不服そうに「ナルの親友はわたしがいい」と言った。

わたしは、アヤカのことが正直鬱陶しいと感じることもあった。例えば親友と思ってほしいと言われることだとか。毎日毎日話かけられることだとか。いつも遊びに誘われることだとか。何が嫌なわけでもないし、楽しいときだってあるけど、そのなんとなくの鬱陶しさと楽しさを平均すると、「友達」だった。


アヤカと遊ぼう

わたしは、お菓子作りが好きだった。というより、お菓子を作る過程が好きだ。小学生のとき「こまったさんシリーズ」が大好きだったし、レシピを見たりするのが好きだった。今でもお菓子作りの様子やレシピが好きだ。粉だったものが複雑な工程を経て綺麗なお菓子になるのが好きだった。

アヤカもお菓子作りが好きだった。けれど、子どもだから難しいことをしないようになのか、アヤカが作ろうというものはいつも「簡単レシピ」だった。これが、わたしにとってなんとなく嫌だった。アヤカは「ガトーショコラがこうすれば簡単に作れるんだよー!」と喜んで言うが、わたしは「簡単に作りたくない。難しいからやりがいがあるんじゃないか」と思っていた。それでも作ろうという誘いをずっと断れるわけにもいかない。3回に2回くらいは断れても、さすがに3回に1回くらいはOKじゃないと、なんか気まずい。

簡単レシピは、本当に簡単だった。工程は本当に少なくすみ、あっという間に終わって食べたらおいしかった。それはそれですごいので、おー!と感動したりはするが、何か根本がこの子とわたしは違う、と感じていた。なのに、なぜこの子は「わたしとあなたは同じよね」という目でいつも見つめてくるのか、と思っていた。そういった視線が、鬱陶しかったのかもしれない。勉強ができ先生からも「いい子」と認められる存在であるわたしは、あなたのようなふつうレベルの子と同じじゃないのに。勝手にわたしと同じような気持ちにならないでよ。わたしのことが好きだからって、あなたとわたしは違うのに。

アヤカは、わたしがAと言えばAを選んだ。それが鬱陶しく、つまらなかった。アヤカが言うことで大笑いしたことはなかった。大笑いできることを言える子がいいというわけではないけど、何か新しい発見を得たり、刺激的なことがなかった。

そして小6のとき、他の子も巻き込んで大喧嘩した。それはまたアヤカの話2で書こうと思う。


結局アヤカとの関係は、高校1年生くらいで終わった。

持ち上がりの公立中学校までは同じ学校に通っていたが、高校は別々のところに通った。高校生になって携帯電話を持たせてもらっても、ほとんど連絡をとることはなかったが、わたしの誕生日にわざわざプレゼントをわたしに来た。久しぶりに会うと、彼女は少し落ち着いていて、それでもわたしはこれ以上踏み込まれたくなくて、さっぱりと「わざわざありがとう」と言い、少し話して別れ、彼女の誕生日には何もしてあげなかった。

自分は、こんなに自分のことが好きな相手のことを「親友」と言ってあげられない、冷たい人間なのだと、ずっと思っていた。「親友」と思える人がいない、冷たい人間なんだと思っていた。

冷たい人間なのだから、ぼっちも怖くない、むしろ好きでもない人についてこられるほうが嫌だ。

そうしてわたしは出来上がっていった。

同じノートパソコン、8年使ってます!