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安さと希少性の狭間
それを見つけると、いつも「お」と心が少し踊る。
丸くて赤い背景に、黄色い囲み枠。その中心にはゴシック体で力強く書かれた「表示価格より半額びき」の文字。
値引きシール。
買い物をする際、つい衝動買いしてしまうものランキングのトップ3には入る強者。正確にはシールそのものではなく、シールが貼られた食材や惣菜を買うのだが。
値引きされた商品にはさまざまな理由がある。消費期限が迫っているもの、形が悪いもの、包装が破れてしまったもの――どれも「価値が下がった証拠」だ。当然ながら、定価では売れないからこそ値下げされる。
しかし、だからこそ惹かれてしまう。
「価値が下がった」というその事実に、なぜか魅力を感じてしまうのだ。希少性とお得感を同時に味わえる気がして、つい手が伸びる。半額シールのついた食材を一つでも手に入れると、それだけでちょっとした戦利品を得た気分になれる。そして誰もいないワンルームで、Youtubeを前に自炊した料理を食べる。
上京した結果がこの様である。滑稽だろうか、昔の自分よ。
元はといえば大阪生まれ。一念発起して転職し、ちょうど1年前に東京へやってきた。
よく言われる定説、「関西人は安さにこだわる」。商人の血は微塵も引いていないが、家庭が特別裕福ではなかったため、小さい頃から「値段」と「価値」には敏感だった。
高価格、低価格、高品質、低品質。ときには中価格、中品質。そんなテーブルを頭の中に描きながら、日々買い物をする。地方と都心の価格の差と、最近は特に食品の価格高騰も相まって、価格とにらめっこする時間が増えた。
要するに、私はお金と価値にうるさいのだ。
同じ「希少性」と「価値」という観点で考えるなら、まったく正反対に位置するのが高級料理だろう。
大学時代、一度だけ背伸びをして1万円のフレンチのコースを食べたことがある。他にも入学祝いや父の還暦祝いなど、特別な日に‟高級”な料理を口にしてきた。テーブルに並ぶのは、目新しい料理ばかり。美味しいものもあれば、当時の自分にはまだ理解できない味もあったが、その光景は今でも鮮明に覚えている。
パッと見れば、高級料理のほうが上位の存在に思える。しかし、それは「食材自体の希少性」と「世間から認められた手が生み出す確かな価値」があるからだ。たとえば高級肉、世界三大珍味、市場にはほとんど出回らない食材――そういったものを使えば、自然と価格は上がる。そして、それを扱うのは料理人としてキャリアを築いたプロフェッショナル。彼らの技術とブランド力が加わり、さらに価値が高まる。そう考えれば、値引きシールの商品と比較すること自体、ナンセンスかもしれない。
だが、同じ「希少性」といっても、それが生まれる背景は違う。
普段の買い物で見つける、ちょっとしたお得感としての希少性。
特別な日にしか味わえない、非日常の体験としての希少性。
どちらも「価値」を持っているが、その質は異なる。だからこそ、一概に「値段が高いから良い」「安いからダメ」とは言い切れない。価値は、個人の尺度によって決まるものだからだ。
(ちなみに逆も然りで、高くてもダメ、安くても良いという話ではない)
結局のところ、自分を満たすためには世間が定めた数値的な価値に縛られず、自分なりの価値基準を持つしかないのだろう。
……こういう発想が、いかにも関西人らしいと言われそうだが。
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