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vol.5 未来は変えられる、なら、取り戻す

衝撃が私を襲ってから約24時間後に、私はやっと泣くことができた。実際には涙の粒は流れていない。街を歩きながら粒が落ちてこないようにどうにか耐えていた。
限界突破していた心の緊張が少しずつ緩んできているらしい。爆発させないように固めていた感情が少しずつ落ち着き、徐々に人として正常な感情の振り幅になりつつあるようだ。まだまだ“正常”には届かないけれど。

昨日の夜ご飯は食べられなかった。今日の朝ごはんも食べられなかった。昼にやっと食べることができた。でも、美味しく食べることが好きな私は味を感じにくかった。強がりみたいに美味しいって言ってみたりしたけれど。美味しかったんだけど、幸せなご飯の時間ではなかった。

6人のブログは読んだ。映像はまだ見れてない。見てしまったらもう戻れない気がして。流れて来るものはさらっと見たけれど、信じようとできなくて。


もう少し時間が経てば、黎Pリストの曲を聴くことができるだろうか。
“百聞は一見にしかず”という彼を見ることができるだろうか。
いつになったら矢花黎を正面から見ることができるだろう。
一度心を殺した彼を、新しい場所で笑顔を見せる彼を、どうやって見ようか。
いつも通りを届けてくれた彼の本当の気持ちを知ることは、これから先無いと思う。
だって心のうちを大っぴらに明かさない人だから。
あなたが、あなたたちが紡ぐ文章は読み続けるけど、顔を見ることができるまでもう少し時間が欲しい。

25時間が経過し、私が普通に行動できていることに驚いている。洗濯機をちゃんと回して干して、いつもよりも量は少ないながらもご飯を咀嚼して飲み込んで、注文していたものを受け取りに行った。無表情だし頭は働いていないけどどうにか動いている。

人は、こうやって強くなっていくのだろうか。“大人”になっていくのだろうか。


どれだけ時間が経とうとも、私は7 MEN 侍が好きである。IZ*ONEの時とは訳が違うが、同じく7 MEN 侍に関してもずっと好きだしずっと名前を出し続けるだろう。それほど好きなのだ。
こんなに人生を賭けようと、共に歩んでいこうと思った人たちは初めてなのだ。他に応援しているアイドルたちよりも私と年齢が近いということもあるのかもしれない。何が理由であれ、私は7 MEN 侍が好きなのだ。痺れる愛と書いて“痺愛ひめ”なのだ。


6人の将来が幸せであってほしい。そう願う。

本人たちを責めることはしない。あの6人が、他人を責めるような行為を決してしない人たちであったからだ。


でも、私は未練たらたらなんだよ。メンバーはもう覚悟をしたんだろうけど、ごめんな。
勝手ながら、ブログから未練を感じ取ってしまった。その未練を捨てないでほしい。

2025年2月13日の中村嶺亜のブログでUVERworldの撃破が出てきていた。この曲にはこんな歌詞がある。
「もしもの時はここに戻ろう いつもと同じ何も変わらずに」
7 MEN 侍は終わっていない。戻ることができる場所なのだ。

いつか7 MEN 侍が復活して活動するとしても、みんな”大人”になっているのだろう。花様年華のような、青く淡く美しいモラトリアムが7 MEN 侍で染められているという事実が何よりも私の救いなのかもしれない。
正直言うとそのモラトリアムがもっと続き、その先にあるデビューを共に喜び添い遂げたかったのだけれど。


さて、私は経営の勉強をしよう。
私が事務所を立ち上げて引き抜けば良いのだ。
そうだよな?
つべこべ言わずに行動を起こそうじゃないか。
未来は変えられる、なら変えて見せようじゃないか。


矢花黎が未来を向こうとしているのなら、私もほんの少しだけ、一瞬だけ未来に目を向けてみることにする。


7 MEN 侍が好きなのだ。私は痺愛なのだ。


7 MEN 侍としてあの6人が武道館に立つ姿を私は見たいのだ。


物語はいつもまっさらから始まるのだから

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