ソシャゲと欠乏について
自分が所有していないものは、失ったわけではない。
この前提が崩れてしまうと、結構危険。
ソシャゲをするとき、この危険が見え隠れするように思います。
抽選販売に漏れてしまったプレステ5のことを、ヨドバシカメラの受付で無くしましたといっても奥から出てくることはありません。
ソシャゲの無料10連ガチャで出なかったカードを、他の人がSNSで簡単に出しました、なんなら2枚出しましたっていうのを見てしまうと、失ったかのように思ってしまう。欠乏が生まれます。
プレステ5であれば在庫がないというのがわかっているから、納得いかなくても諦めがつきます。
ソシャゲのガチャはそもそも在庫という概念がない。
運営は確率を操作している、という非難が出たりもする。不満も蓄積します。
不正は実際にやってたから語り継がれることにはなると思います。
それが射幸心であるといってしまえば簡単ですが、物でもない、お金でもないものに対する欠乏感。
その欠乏の入り口が無料の10連ガチャだったりするのが、悪さをしているのかもしれません。
なぜ人がソシャゲにお金を注ぐのかといえば、それはプレイ費用だし、友人との同時代性を楽しむものでもあります。
ソーシャルと名のつくものですし、社交費の一つにも数えても良いかもしれないです。
それについて課金している人は非難される謂れはありません。
ただ私は今は、無闇に欠乏感を生む遊びよりも、誰にも影響されず、誰もやってないゲームを一人ぼっちで遊ぶ方が向いているなと思います。