見出し画像

兄弟で繋いだ甲子園



夢を掴んだ2024年7月28日

2024年の第106回全国高等学校野球選手権、甲子園大会は甲子園100年の記念大会。
そして、男三兄弟の宇野家にとって三男の最後の夏、宇野家最後の甲子園への挑戦だった。
長男は桐蔭学園で5度の挑戦、夢叶わず、次男は早稲田実業で最終学年にまさかの事態に見舞われ、甲子園大会自体がなくなり、3度しか挑めなかったが全てあと僅かで敗戦。
そして三男、1年春の入学式翌日から全ての公式戦にスタメンでフル出場してきたがここまで甲子園には出れなかった。
迎えた最後の夏、見事に西東京大会を勝ち抜き、早稲田実業9年ぶりの甲子園出場を勝ち取った。
日大三高との決勝戦、先制の2塁打を放ち、その後も4四死球と全打席出塁で勝利に貢献した。
兄2人はそれぞれ神宮球場に応援に来ていた。長男は子供の時からずっと一緒にいて、三男を赤ちゃんの頃から知ってる地元の友人達と、次男は早実の先輩として、甲子園を目指せなかった世代の仲間と神宮で応援。
サヨナラ勝ちの瞬間は2人とも大泣きしていたと聞きました。

思えば長男は父の母校に夢を抱いて入学したものの、学園としても野球部サポートについては最盛期は過ぎていて、激戦の神奈川では甲子園には届かなかった。次男は早実に入学、1年から活躍するものの2年夏まであと僅か、というところで敗退していた。
新チームになり最後の1年が始まり戦力充実のチームはオープン戦ほぼ負けなし、自信を持って準備した秋の大会は初戦直前に不祥事が発覚、出場辞退となった。
何もその不祥事に関係ない次男は毎日泣いていた。顔を見るのも辛い日が続く。もちろん兄も弟もその様子を見ている。
そして最後の夏に賭ける思いで負傷した膝を手術し必死のリハビリで春を迎えようとしていた矢先に世の中は一変、感染症が蔓延して早々と甲子園大会の中止が決まる。
やりきれない思いの次男、離れて暮らしていた時に、弟から電話を。その電話口「真仁朗(三男)には俺の気持ちなんかわからないだろ」とその電話で突き放す様な一言。その後父から「弟も本当に悔しいんだ。優しくしてあげられないのはわかるけど傷ついてるよ」と話した。
その事を次男はずっと後悔していた。しかし家族みんなわかっている、そのやりきれない気持ちを。
迎えた代替大会、二刀流で大活躍し打ってはホームラン、リリーフで勝利、という悔しさを全てぶつける熱い試合を勝ち切った。
私はアマチュア、プロ問わずおそらく数千試合の野球を見ているが、人生最高の試合がその試合だ。
何度もビデオでその試合を弟に見せた。両親以外は観戦出来なかったので、そのビデオを食い入る様に見て、「さすが竜一朗(次男)だね」と誇らしげにしていた。

そして三男、中3で日本代表に選ばれるなど順調に成長、進路は数多くのスカウトの中から兄と同じ早実を選択。理由は「1年生から活躍したい、プロに行きたい」だったが、この甲子園を決める夏の大会になって、兄の無念を晴らす事も選択理由の一つでもあったと知ることになる。

兄2人が見守る中、優勝旗を受け取る三男、肩を組んで神宮球場のスタンドで写真を撮る兄2人。

こんな幸せな球日があって良いのか…多くの苦労が頭をよぎる。

父が野球経験者だったことで半ば強制的に野球を選択させられた長男、小中のクラブチームの勝手も分からず母も心から楽しめない。前世代の指導者にストレスが爆発して自ら指導者となった父のもとで何とか学童野球を終えた。中学チームに進み関東大会にも出場、最後の夏の大会ではサヨナラホームランを放つなど活躍。父の母校に推薦で入学した。
慣れない寮生活、父親の経験したことをそのまま押し付けた、価値観も押し付けられて窮屈な高校野球だっただろう。
チーム状態もあまり良くない3年間、何とか掴んだレギュラー番号を背負って挑んだ最後の夏は公立校に2回戦負け、彼の涙を知るのは写真だけだった。あまりの早い敗戦に保護者とのケジメの時間も取れない、取らない野球部。
終わったことも実感出来ずの高校野球だった。

次男はその兄の後を追うことを目指していたようだが、スカウトに来てくれるのは他の学校の監督。心はいつしか早稲田実業へと。
順風満帆の中学野球、全国大会に出場、日本代表にも選出されアメリカ遠征もした。
高1春からベンチ入り、強豪校で腕を磨き、2年時には2番手投手として、外野手として二刀流でチームに貢献。あと僅かで甲子園切符を掴めない。
迎えた新チーム、強力打線と安定した投手陣で秋の優勝候補となったチームだったが不祥事で都大会初戦前に出場辞退。くだらない奴らのくだらない事件で警察沙汰にもなり多くの人が傷付いた。
そして冬を越える際に痛めていた膝を手術、夏を目指してリハビリの日々が始まる。松葉杖で登校する姿を見て、もう一度マウンドに上がれるのか不安になった。
そして最終学年となる2020年の年明け、感染症が世界中に蔓延して世の中は一変。高校野球も夏の甲子園が中止という事態に。
こんなに不運な事があるのだろうかと自分の命を差し出せば息子が報われるのならいつでも差し出したいと毎日思っていた。
術後の回復が思わしくなく再手術をしたのもこの春先。
夏の代替大会が決まったが、甲子園は目指せない。そしてリハビリが間に合うかどうかという不安の中で次男は歯を食いしばりマスクをつけてリハビリに励んだ。
迎えた夏の代替大会、膝の状態は半分くらいの回復、しかし初戦から強豪との対戦が決まると練習の強度を上げて大会を見据える。
迎えた初戦、3点ビハインドの終盤、同点ホームランを次男が放つ。そして勝ち越した最終回のリリーフのマウンドに上がる。
1球1球、膝が痛む中全力投球し、相手の反撃を振り切り勝利。
3年生の保護者しか応援出来ない、そんな静かな球場だったが間違いなく人生最高の試合だった。
そして早稲田大学入学、名門大学の伝統の練習は膝に不安を抱える身体では乗り切れないものだった。3年間怪我と闘いながら頑張ったが4年時に学生コーチに転身、最終学年のリーグ優勝に貢献した。
大学4年春のリーグ戦、全国大会が終わり弟の最後の夏が始まる。OBでもある次男は連日練習の合間を縫って応援に駆けつける。優勝した弟を見て忘れかけてた全力でプレーしたい気持ちにスイッチが入った。
「アメリカに留学してプレーがしたい。費用は働いて返す」
と言ってきた。
断る理由は何もない。やりきって欲しい。海を渡り大好きな野球をとことん楽しんで来てほしい。そして後悔なく社会へ飛び立てばいい。

兄の心にも火をつけた甲子園、3回戦まで進み、悔いなく高校野球を終えた。

しかしこの功績は長男から続く挑戦の系譜だ。三男も中3時のインタビューで「兄の悔しさも背負って甲子園に挑む」と話していた。
その夢を叶えてくれた弟への感謝と負けてられないな、という兄たちの情熱に火を灯して長い夏が終わった。


いいなと思ったら応援しよう!